嶋津

ダイアログ・デザイナー / Dialogue designer / 仕事は文章・インタ…

嶋津

ダイアログ・デザイナー / Dialogue designer / 仕事は文章・インタビュー・場づくり。コンセプトは『対話で、暮らしを、芸術に。』。エレガントな“あいづち”を探究し、軽やかに対話をデザインします。

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「エチュード」とは、音楽では練習曲、絵画では下絵という意味。「話すこと、聴くこと、書くこと、読むこと」を通して、人生を豊かにする習作を。対話的なアプローチで表現やコミュニケーションについて考えます。オンラインミーティングでの交流でも、互いに学び合い、理解と親交を深めています。対話のある生活を。

  • 教養のエチュード

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マガジン

  • シルキーな日々

    「繭が風を手に入れ、シルクとなった」 文章のこと、仕事のこと、考えるということ。

  • 日々是好日

    毎日をゆたかに。 Art de Vivre. 暮らしの芸術を味わおう。

  • 哲学ドルチェ

    毎日、コーヒーをドリップして飲む少しの時間だけ考えごとに耽る。その時、書いた文章を“哲学ドルチェ”と呼んでいる。決めごとは一つだけ。大そうな話はしない。たかだかコーヒーの時間である。ほろ苦いコーヒーには、甘い哲学。

  • 教養のエチュード賞応募作品

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18歳差の恋愛において、大切なこと

ぼくの妻は18歳年上です。 出会った時から大切な人で、それは14年経った今も変わりません。むしろ、日を重ねるごとにその想いは強くなっていきます。彼女と出会って、ぼくは大きく変わりました。彼女が好きだった美術や陶磁器、花が大好きになりました。生きる姿勢、人への思いやり、想像力と共感力、誠実であるということ。 彼女の存在抜きに今のぼくは説明できません。彼女のことを誰よりも尊敬し、誰よりも愛おしく想っています。つよさも、よわさも、すべて含めて。 先日、「いい夫婦の日」に二人の

    • 幸福の音楽

      孫が生まれてひと月が経ちました。 会う度に一回りずつ大きくなってゆくふっくらした命は、確かにこの世界で脈を打ち、音を奏でています。人間は、それ自体が楽器であり、生きることは音楽なのかもしれません。両腕の中の音楽は、泣いたり、笑ったり、寝息を立てたり、心地良いメロディでわたしを癒してくれます。 両親は、この子が大きく育つ中で男の子になっても、女の子になってもいいように性別に頼らない名を与えました。ユニセックスな名前。性は、生きてゆく上で自分が決めればいい、と。それだけでも、

      • コミュニケーション格差

        良き対話ができると、コンディションが調います。 わたしは、仕事でのインタビューやライフワークとしての日々いろんな人と対話をしています。手前味噌で恐縮ですが、対話を終えた後に「嶋津さんとお話すると、その後一週間くらい調子がいいんです」と言ってもらえることがよくあります。ダイアログ・デザイナーとしての冥利に尽きます。 良き対話は、頭の整理だけでなく、こころの整理、さらには身体の整理を促します。それはわたしにとっても同じことで、良き対話は相互効果ですから、わたしのコンディション

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        • 対話のある生活を*【オンラインCafeBarDonna vol.109】

          メンバーのみなさま、ごきげんよう。 4月のオンラインCafeBarDonnaの予定です。 * 今月のオンラインCafeBarDonnaは、Xでの開催です。今まではzoomやGoogle meetsを利用してきましたが、今回はSpacesにて。参加者がスピーカーとなってわいわいにぎやかにおしゃべりしましょう。限定5名ですのでお早めにご連絡ください。 ※Spacesはこちらのアカウントで行いますのでフォローよろしくお願いいたします。 「オリジナリティは無駄から生まれる」

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        • 対話によって、融合するわたし、進化するわたし

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        • 対話のある生活を*【オンラインCafeBarDonna vol.99】

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          良き対話ができると、コンディションが調います。 わたしは、仕事でのインタビューやライフワークとしての日々いろんな人と対話をしています。手前味噌で恐縮ですが、対話を終えた後に「嶋津さんとお話すると、その後一週間くらい調子がいいんです」と言ってもらえることがよくあります。ダイアログ・デザイナーとしての冥利に尽きます。 良き対話は、頭の整理だけでなく、こころの整理、さらには身体の整理を促します。それはわたしにとっても同じことで、良き対話は相互効果ですから、わたしのコンディション

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          対話のある生活を*【オンラインCafeBarDonna vol.109】

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          メンバーのみなさま、ごきげんよう。 4月のオンラインCafeBarDonnaの予定です。 * 今月のオンラインCafeBarDonnaは、Xでの開催です。今まではzoomやGoogle meetsを利用してきましたが、今回はSpacesにて。参加者がスピーカーとなってわいわいにぎやかにおしゃべりしましょう。限定5名ですのでお早めにご連絡ください。 ※Spacesはこちらのアカウントで行いますのでフォローよろしくお願いいたします。 「オリジナリティは無駄から生まれる」

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          アクティブにパッシブであれ

          「教養のエチュード」に参加すると最後まで読めます

          対話は「聴く」からはじまる。 対話に関する発信をはじめてからそう言い続けてきました。対話は、相手のメッセージを受け止めるところから出発します。ここでの“メッセージ”とは、ことばだけでなく、表情やムードなどのノンバーバルも含まれます。この「受け止める」がなければ、二人で語り合っているように見えても、お互いがそれぞれに独り言をつぶやいているだけになってしまいます。そういう意味では、対話の力は「受け止める力」と言っても良いかもしれません。 「受け止める」がなければ、それは対話の

          アクティブにパッシブであれ

          偉そうな人

          「教養のエチュード」に参加すると最後まで読めます

          街に出ても、SNSの中でも、たびたび見かける“偉そうな人”。 振る舞いが横柄で、聴く耳を持たず、常に誰かを見下している。その状態がデフォルトなので、本人は無自覚なのだと思います。数年前までは、それでも通用したのかもしれません。限られたコミュニティの中で、画一的な価値観が支配する場においては、“偉そう”であることはそれなりに意味があったのだと思います。ただ、価値観が多様化した世の中では、“偉そう”であることはリスクでしかありません。 そういう人は気付かないうちに孤立化してゆ

          偉そうな人

          クソリプ・セラピー

          「教養のエチュード」に参加すると最後まで読めます

          今月は二度、編集者の今野良介さんと「対話パーティクソリプ大賞」を開催しました。 対話パーティは、わたしのライフワーク。XのSpacesで夜な夜なゲストを迎えて対話型のインタビューをひらく場所。時々、リスナーの方に好きなことば、失敗談、不思議な話などを募っては聴かせてもらったりしています。その中で「このポストにクソリプをつけてください」と、クソリプを募ったことがありました。参加してくださったみなさんのクソリプにかける創意工夫がおもしろく、第二回を開催するにあたり今野さんが一緒

          クソリプ・セラピー

          家族

          「教養のエチュード」に参加すると最後まで読めます

          妻の娘が出産しました。 その日から、わたしはおじいちゃんになりました。ただそれは、間柄を示すだけの名称で。わたしには、血の繋がった子どもはいませんので、自分に孫ができるという感覚は雲のように形があるようで無く、掴めるようで掴めない不思議なものでした。実際に生まれてきた赤ん坊と会い、腕に抱かせてもらうと、そこではじめて実感のようなものが芽生え、涙があふれてきました。 たとえ血の繋がりがなくとも、大切な人の遺伝子と、大切な人を大切に想うこころが受け継がれた命なのだとしたら、こ

        記事

          アクティブにパッシブであれ

          対話は「聴く」からはじまる。 対話に関する発信をはじめてからそう言い続けてきました。対話は、相手のメッセージを受け止めるところから出発します。ここでの“メッセージ”とは、ことばだけでなく、表情やムードなどのノンバーバルも含まれます。この「受け止める」がなければ、二人で語り合っているように見えても、お互いがそれぞれに独り言をつぶやいているだけになってしまいます。そういう意味では、対話の力は「受け止める力」と言っても良いかもしれません。 「受け止める」がなければ、それは対話の

          アクティブにパッシブであれ

          偉そうな人

          街に出ても、SNSの中でも、たびたび見かける“偉そうな人”。 振る舞いが横柄で、聴く耳を持たず、常に誰かを見下している。その状態がデフォルトなので、本人は無自覚なのだと思います。数年前までは、それでも通用したのかもしれません。限られたコミュニティの中で、画一的な価値観が支配する場においては、“偉そう”であることはそれなりに意味があったのだと思います。ただ、価値観が多様化した世の中では、“偉そう”であることはリスクでしかありません。 そういう人は気付かないうちに孤立化してゆ

          偉そうな人

          クソリプ・セラピー

          今月は二度、編集者の今野良介さんと「対話パーティクソリプ大賞」を開催しました。 対話パーティは、わたしのライフワーク。XのSpacesで夜な夜なゲストを迎えて対話型のインタビューをひらく場所。時々、リスナーの方に好きなことば、失敗談、不思議な話などを募っては聴かせてもらったりしています。その中で「このポストにクソリプをつけてください」と、クソリプを募ったことがありました。参加してくださったみなさんのクソリプにかける創意工夫がおもしろく、第二回を開催するにあたり今野さんが一緒

          クソリプ・セラピー

          家族

          妻の娘が出産しました。 その日から、わたしはおじいちゃんになりました。ただそれは、間柄を示すだけの名称で。わたしには、血の繋がった子どもはいませんので、自分に孫ができるという感覚は雲のように形があるようで無く、掴めるようで掴めない不思議なものでした。実際に生まれてきた赤ん坊と会い、腕に抱かせてもらうと、そこではじめて実感のようなものが芽生え、涙があふれてきました。 たとえ血の繋がりがなくとも、大切な人の遺伝子と、大切な人を大切に想うこころが受け継がれた命なのだとしたら、こ

          パートナーの役割

          パートナーの役割は、相手の自信を育むことだと思っています。 それは、恋愛でも、仕事でも、家族でも、友人でも同じこと。魅力を引き出し合い、短所を補い合える関係性。その中で大事なことは、パートナーが自信を持って日々を送ることへの貢献。関係性の中で、相手の自信を培ってゆく在り方なのではないかと思うのです。 それは根拠のない自信ではなく、“根拠”を発見したり、伝えたりして、育ててゆくことで豊かになる自信です。

          パートナーの役割

          カメラは、撮る人を写しているんだ。

          写真家のワタナベアニさんの『カメラは、撮る人を写しているんだ。』を読みました。シルキーな文体が心地良く、とろこどころスパイシーな笑いが散りばめられていて、滋味と滋養と含蓄の詰まった一冊です。 あの本を読んで、自分が今までに撮ってきた大切なものたちの写真を見直してみました。一枚一枚眺めていると、今までにそこには“わたし”は写っていないと思っていたのに、そのすべてに“わたし”がいました。 義母が亡くなり、数年前にひとりで暮らすお義父さんの近くに越してきました。たまに妻と義父と

          カメラは、撮る人を写しているんだ。

          生きがい

          さまざまな命の在り方を見てきて、あらためて“生きがい”の大切さに気付かされました。 数年前の流行病、断続的に起こる地震、繰り返される紛争、著名人の訃報、身近な人の逝去、自ら命を絶つ者、老後2000万円問題、介護現場の現状……あたりまえのように生活をする中で「生きるとは何か」を見つめ直す機会が度々あります。 しあわせとは何でしょうか。大事にしたいことは何でしょうか。限りある命をどのように使うのか。どのような時間を過ごしたいのか。死ぬとは何か。そして、生きるとは何でしょうか。

          生きがい

          恋愛は、マナーはあるけどルールがない

          「恋愛は、マナーはあるけどルールがない」とか言うでしょう。 あれは恋愛に限ったことではなく、“競技”と呼ばれるもの以外では仕事や人間関係すべてに言えますよね。一応“ルール”っぽいものはあるけど、結局、そのルールかから粋にはみ出せたり、新しいルールを提案したりできた人が評価される。わたしたちは小さい頃から“ルール”しか学んできませんでした。だから「ルールは守るもの」という認識が刷り込まれています。“ルール”からはみ出すことを学んでないから、その発想さえ浮かばない。でも、社会は

          恋愛は、マナーはあるけどルールがない

          対話のある生活を*【オンラインCafeBarDonna vol.107、108】

          メンバーのみなさま、お久しぶりです。 三月のオンラインCafeBarDonnaの予定です。 * みなさま、お元気でしょうか? わたくしはというと、インタビューに専門学校をリリースの準備と大阪、金沢、東京とあちこち巡りバタついていてなかなか店の看板をあげることができませんでした。 久々にCafeBarDonnaオープンです。 「オリジナリティは無駄から生まれる」という思想で日々を過ごしています。何でもない中から、何かを発見できるといいな。発見できなくとも、それはそれで

          対話のある生活を*【オンラインCafeBarDonna vol.107、108】

          大変な人

          今年に入ってから、XのSpacesでほぼ毎日「対話パーティ」をひらいています。 過去のパーティをアーカイブとして残るようにしたことで、後で聴いた人から感想が届くこともあります。うれしいですね。 * 深掘りするインタビューは仕事やYouTubeの『ダイアログ・ジャーニー』でやっていますので、「対話パーティ」ではカジュアルな雑談を心がけています。 基本的には、「話したことのない人をお迎えしたい」という想いではあったのですが、どうしても何度か話したことのある人やお馴染みさん

          大変な人

          余地はまだある

          コミュニケーションは二人の間で生まれるものです。 自分の考えや想いが相手に伝わらない、届かないことはよくあります。それを相手の責任に押し付けることは簡単ですが、それではいつまで経っても“伝える力”は育ちません。「わかってもらえない」と憤る前に、どれだけ「わかってもらおう」と工夫したのだろうかと自分に問うてみる。「まだまだできることはあったはずだ」と省みることができたならば、成長できる余地は残っています。 伝えるために何ができるのか。 相手に求めるだけでなく、自分にできる

          余地はまだある

          自信はなくとも、勇気は出せる

          手に持ったゴミを捨てたい時のことを思い浮かべてください。 目の前には川が流れています。清掃されたきれいな川よりも、ゴミであふれた汚い川のほうが、人は「ここに捨ててもいいか」と思いやすい。それは、ことばも同じです。汚いことばがたくさん投げられているのを見かけるとと、人は「ここだったら投げ捨てても構わない」と思ってしまいます。そうならないためにも、一歩目として自分が自分を貶めるようなことばを使わないことが大事です。 “自分”をゴミ溜めにしないこと。埃や塵が出る度にきちんと掃除

          自信はなくとも、勇気は出せる