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365の日々是好日

noteの毎日投稿をはじめて、今日で丸一年を迎えました。

コロナの世界になって、とりあえず何でもいいから「一歩でも前進している」という感覚がほしくてはじめたように思います。だから、この一年間に書き続けた文章は、ある意味、ぼくの「COVID-19 diary」です。目に見えない小さなウィルスは、ぼくたちを家の中に閉じ込めました。負けじと、ぼくたちは目に見えない電波を通じてコミュニケーションを密にさせました。この場所で書いたり、読んだり、オンラインCafeBarDonnaで対話をしたり、絶望の中にある微かな光を拾い集めて〝目に見えない〟絆を結びました。

それぞれの一日は飾り気のない、ささやかな揺らぎかもしれません。ただ、その積み重ねには、確かな意味のある一年でした。人の弱さを知り、強さを知った。対話の大切さ、実感の歓び、こころの交流、ことばのギフト、人間の可能性をより深く学んだ。かけがえのない一年でした。

コロナの時に何をしていたか、何を想い、何を感じていたか。それを記録として残すことができてよかったと思っています。まだ、今の段階ではコロナが終息する気配はありません。ライフスタイルや価値観が大きく変わり、これからも当分そのシフトされた世界で暮らすことになるのだと思います。ただ、一年先の未来のことはぼくたちにはよくわかりません。一年前のぼくたちが、今の世界を想像できていなかったように。

日々是好日

ぼくが大切にしていることばです。人生の指針であり、noteのメインマガジンにも同じタイトルをつけています。「良い日も、悪い日も、すべてが佳き日である」という意味です。

晴れた日には太陽の慈しみを、雨の日には雨の愛おしさを、それぞれ味わえる感覚を大切にする。「ポジとネガの両方に同じだけの価値を見出し、その豊かさを味わえるといいよね」というぼくの解釈です。盲目的に全てを肯定するのではなく、苦境の中にいかに滋味と、機知と、含蓄を味わうことができるのか。絶望の世界に光を見出す人こそが、真の意味でたくましい人なのだと思うのです。それは、まさしくぼくの教養のエチュードです。

この365日分の文章は、その思想を元に書き記したもの。文章のエチュードであり、生き方のエチュードでした。そのエチュードはぼくの命が果てるまで続くのですが、毎日投稿は一旦ここでおわります。

理由は単純で、一つの記事に対する濃度を高めたいからです。呼吸するように書いて投稿することも楽しいけれど、「毎日投稿」に縛られなくてもいいよね、と。もっと推敲したいし、もっと深く考えたい。マガジン『シルキーな日々』の質を高めたい。ぼくは仕事で毎日文章を書いているので、「毎日、文章を書く」ということは止めないのですが、少し発表の仕方を調整していきます。

ただ、「ことば(文章)を磨きたい」という方には、今でもnoteの毎日更新をオススメします。たった一年間でも、ことばと向き合う時間を意識的に持つことは、とても意味のあることだと思います。ぼく個人を振り返ると、一年前よりも自由にことばを扱えるようになった感覚があるし、何より頭とこころがすっきりとしました。「書くこと」は、ぼくの人生に良いことしかもたらしません。

一年を迎える一ヵ月ほど前から、胸騒ぎがしていました。「ちゃんと一年を迎えることができるかな」。別に誰かに頼まれていたわけでもなく、自分との約束でしかないことなのだけど、「何かの間違いで更新できなかったらどうしよう」って。今、どこかほっとした気持ちになっています。

うれしい気分なので、ひっそりとお祝いをしたいと思います。

いつもぼくの文章を読みに来てくださり、どうもありがとうございます。
そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

追伸
一年間で書いた記事の数は466本でした(今日を合わせて)。



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