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『かちかち山』




『かちかち山』



薄汚ねぇババアがまた俺の悪口を言ってやがる。
俺の顔が間抜け面だとか、二頭身だとか、九九ができないだとか、挙句、童貞だと決めつけている。
まあ、ここだけの話、童貞なのは本当のことなのだけどさ。恥ずかしながら、それだけは事実です。

しかし、これだから田舎者を嫌悪したくなるのだ。狭小な世界で生きている井の中の蛙どもは、非常識でデリカシーがなく、自分勝手な無頼漢である。失礼千万のクズ人間である。華美な都会生まれの俺とはどうも肌が合わない。野蛮だし、訛りがキツいし、人前で青痰を吐いたり、卑猥な言葉を使う。

あのババアは底意地が悪い顔をしていた。ババアは毎日、夕方くらいになると畑仕事で疲弊してくるのか、目が落ち窪み、化粧崩れしたひどい顔になっていた。それはまるで円山応挙の幽霊図みたいな風貌であり、あの醜悪な姿を見るだけで虫酸が走った。
だから、ぶっ殺してやったんだ。後悔はない。
まあ、あの婆汁は不味かったがな。食べた直後、五臓六腑が焼けただれるかと思ったよ。眩暈と嘔吐を催したから大学病院へ行って、胃洗浄をしたね。
金輪際、あんなものは口にしない。石の裏のダンゴムシでもつまんで食べていた方がまだマシだな。

ということで、今日は、ゆずちゃんという美人な兎と柴刈りデートである。ゴールデンウィークの初日は快晴だ。すこぶる気分がいい。去年のゴールデンウィークはコロナウイルスで具合が悪くなり、死にかけた。しかし、一年経ったら、まさかこんなにハッピーになっているなんて。美輪明宏さんの言う通り、正負の法則というのは本当にあるんだね。

などと思っているところに兎のゆずちゃんが待ち合わせ時間から少し遅れてやってきた。ゆずちゃんと会うのは初めてである。ゆずちゃんとは数ヶ月前にマッチングアプリで知り合ったのだが、実際には会っておらず、俺は今日まで一日千秋の思いで、ゆずちゃんと逢瀬することを待ち続けていたのである。

あ、こっち。こっちです。どうもこんにちはー。
俺、思いのほか早く着いちゃったから、あそこに見えるのびやかな禿山をキャンパスノートに写生していました。ほら、いい感じの仕上がりでしょう。


などと、つまらぬことを口走ると、ゆずちゃんはにこりともせずに真顔の棒読み口調で、どうも、とだけ言うと、ぷいとそっぽを向いてしまった。俺は狼狽し、年下のチビの兎のくせに随分と生意気なヤツだなと思ったが、ここは年上の男としての心の余裕を見せるために泰然として、手土産を渡した。

これ。今、街のデパートで開催中の東北物産展で買った福島のどら焼きです。以前、ラインで甘いものが好きだと言っていたので。もしよければどうぞ。

と言うと、ゆずちゃんは急に満面の笑みになり、「うわー、ありがとう。わたし、これ、食べてみたかったの!いいの?」と言って喜んでくれたので、ほっとした。それからは会話が弾み、俺たちは肩を並べて山道を歩いた。楽しかった。幸せだった。
ゆずちゃんは音楽、とりわけラップが好きらしく、今、推しているのはマシンガンケリーだと言う。
マシンガンケリーなら俺もよく聴いているし、インスタもフォローしている。イケメンだしね。
共通の話題で俺たちは意気投合し、それぞれの母校の校歌を歌ってみたり、嫌いな食べ物しりとりをするなどして日の当たる山道を愉快に歩いていると、

カチ、カチ。

と妙な音が近くでする。
俺は、耳鳴りかな、とか思いながら、

「おや?ゆずちゃん。今の『カチ、カチ』という音は何だい?ものすごく神経に障る不快な音だ」
「あー、この山はね、カチカチ山というの。だから、カチカチ鳥が啼いているみたい。いい声ね」
「へー、そうなんだ。ゆずちゃんは博識だね。さすが、国立大学を出ているだけあるね。俺なんか高卒だからさ。というか、あれ?背中が熱いんだけど」
「え、うそー!狸さん、燃えてるって!」

俺は発火した背中のバックパックを急いで地面に放り投げた。烈しい炎が黒のバックパックをみるみる包みこんでいく。先日、ネットで買ったばかりのバレンシアガのバックパックだった。二十万円もした高級品である。なかには、ゆずちゃんと食べようと思って拵えてきた、どんぐりの実と山蛭を具にしたおにぎりとイトミミズ入りの高濃度水素水のペットボトルが入っていたのだ。それらがぜんぶ灰になってしまった。のみならず、背中も焼けたせいで、大火傷を負ってしまった。クソ、ついてねぇ。


翌日、四季山水図の偽物みたいな掛け軸が飾ってある居間で目が覚めると、卓袱台の上でスマホが鳴っていた。電話に出ると、ゆずちゃんが俺の家の前にいると言う。昨日のカチカチ山での大火傷を心配してくれ、ママチャリで看病に来てくれたらしい。
なんていい子なんだ。心根の優しい子だ。ご両親の顔が見てみたい。俺はゆずちゃんのことを惚れ直したぞ。涙が出るほど彼女が愛おしくてたまらない。

狸さん、背中の火傷の具合はどうですか?
わたし、夜も眠れないほど心配してたんだよ。
市販のものじゃ効かないと思うから、隣村の病院の皮膚科で処方された強い塗り薬を持ってきたわ。

そう言って、ゆずちゃんは俺の背中に色白の小さな手でベタベタと薬を塗布した。俺はどきどきした。
長年、女性から遠ざかって生活していた俺のうぶさが露呈してしまい、屈辱的なほど顔が赤くなった。
こんな美しい端麗な顔をした兎に体を触られたことなど一度もない。しかも、わざわざ隣村の病院にまで行き、こうして薬を届けてくれるその気持ちが何よりも有り難かった。神のような御方だ。素敵。

などと思って、夢うつつになっていると、突然、背中に皮膚をバールかなにかで無理矢理に剥がされたような激痛が走った。うぎゃああ!と声が漏れる。途端に目の前が真っ暗になり、俺の意識は途絶した。あの女、俺の背中に何を塗りやがったんだ……


十日後、俺は禿山の奥の方にある沼でバス釣りをすることにした。兎にふられ、意気消沈していた俺は、もう死のうかな、と考えるほど、思いつめていたが、よくよく考えると、世の中に女なぞは星の数ほどいるのだ。別にゆずちゃんだけが女ではない。
中学の時分、両親の仕事の都合で二年くらい住んでいた小さな町で失恋したとき、ある先輩から言われたことがある。目の前の彼女よりも可愛い女は絶対に現れないなどと今は思っていても、社会に出ればそんな女なんてごまんといる。都会に戻ってみろ。田舎の美人は都会の普通以下だ。もっと広い世界を見なさい!その言葉に妙に得心し、感銘を受けた俺は、心が病むたびにその言葉を思い出して苦難を乗り越えてきた。だから、今回も大丈夫なはず。


目的の沼までの道のりは長かった。俺は田んぼのおたまじゃくしを掬って遊んだり、ヘビイチゴの実を食べながら鼻歌を歌ったり、地面に落ちている小銭を拾って小躍りをするなどしながら、ようやく沼に着いた。目の前の視界が拓けた。水の匂いがした。そこは周囲二キロほどの沼であり、深緑色の水の底は見えなかった。水面を鴨が泳ぎ、沼の上空をトンビが悠然と旋回している。また、沼のぐるりのほとんどが鬱蒼とした深い森になっていて、猛々しい樹木が水際に迫って茂っていた。俺のいるところだけが部分的に草地になっている。そして、涼しい風が吹くと、デデッポッポーというキジバトの啼き声がしたので、きょろきょろとしていると、背後から声をかけられた。そこにはゆずちゃんが立っていた。俺は喫驚し、ぎゃああ、と言いそうになると、

こんにちは、狸さん!わたしのこと覚えてる?ゆずです。この前はごめんなさい。わたし、狸さんの火傷を治してあげようと思って、塗り薬を塗布したんだけれど、それが何かの手違いで、あれは腐った馬糞だったのよ。本当にごめんね。わたしを許してください。誰にだって、間違いはあるでしょう……


などと、しおらしい態度で謝り、へつらうようにペコペコしながら俺の顔色を窺うので、俺は許した。
なぜなら、麦わら帽子を被り、頬に薄ピンクのチークを施したゆずちゃんが可愛らしかったからだ。
白のヘッドホンを首にかけているのもいい。
しかし、以前より猜疑心が強くなっている俺は、


でも、あの日からずっと、俺のラインをブロックしてたでしょ?あれは何?どういうつもり?


と気になっていたことをこともなげに言うと、


それもごめんなさい。わたし、こう見えて、おっちょこちょいだから、スマホの充電器をどこかになくしたの。それで充電ができなくて、誰からの連絡も確認できないし、動かない状態なの。本当よ。


と言うと、うつむき加減で、今から切腹するみたいな陰気な顔をするので、俺は些か怖くなり、
「いや、もういいんだ。それより、俺と一緒にバス釣りしない?俺、釣り竿とルアーとゴムボートをもってきてるからさ。どうかな?天気もいいし……」


そして、俺たちは地面に群生しているネコジャラシを踏みつけながら、沼の岸に近づいていった。
水中には夥しい数の魚影が蠢いていた。全部、ブラックバスである。もはや、入れ食い状態だった。
俺は汗だくになりながら、一生懸命にゴムボートを膨らませた。ゆずちゃんは手伝ってくれなかった。木陰に筵を敷いて座り、スマホを見ながら、折れた木の枝の先で足元にへのへのもへじを描いている。
あれ?スマホの充電が切れているんじゃなかったっけ?と訝しく思ったが、それを深く考えると発狂しそうになるので、見て見ぬふりをしていると、


狸さん、そのゴムボートは一人用だよ。わたしがゴムボートに乗るから、狸さんは泥の船を拵えて、それで釣りをするなんてどーかしら?体も大きいし、そっちの方がたくさん魚も乗せられると思うわ。


と言い出すので、それは妙案だと思った俺は、敏捷な動きでその辺の泥をかき集めて、泥の船を拵えた。そして、その泥の船で意気揚々と沼に入った。
水中を青大将がするすると泳いでいく。太陽が眩しい。空は真っ青だ。雲ひとつなくて清々しい。好きな女と山の奥でふたりきり。もう最高の気分だ。バス釣りをする前に水切りでもしようかなーなんて。
ところで、ゴムボートのゆずちゃんはどこだ?逆光のせいで後方がよく見えない。あれれ?まだ岸にいる?なんて思っていたら、泥の船が三分の一くらいくずれていた。足首まで冷たい水が侵入している。
すると、俺の頭すれすれを数十匹の蝙蝠の集団が一列になって飛んでいく。ぶつかったらあぶねぇ、と思い、蝙蝠を避けようとしていたら、体の均衡を失い、足を滑らせて、頭から沼の中に落っこちた。
俺は泳げない。冷たい水の底に石のように沈んでいくだけだ。目の前を通り過ぎていくブラックバスどもは俺のことを蔑んだ目で見ている。完全にバカにしている。なめている。そうなんだ。いつだって、世の中は俺に味方してくれないんだ。ああー、苦しいよ。息ができないよ。濁水が肺に入ってくるよ。
結局、俺は生きていて何もいいことがなかったな。学生の時分からいじめられ、女にはもてないし、友達も少ない。就職先にも恵まれず、金もなかった。
俺がどんな悪いことをしたって言うんだよ。でも、
これで、このカオスのようなクソな世の中と決別できるのだから、これはこれで俺は救われるのかもしれないね。ああ、木魚を叩くような音がする。水中なのになぜだか聞こえてくる。不気味な音だ。何だろう。これが死というヤツなのかもしれないな。



          〜了〜




愚かな駄文を最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
大変感謝申し上げます。

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