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両親と妹へ

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両親・妹を一度に亡くした遺族としての思い、そして生前の家族との思い出たち。 一つでも目に留めていただけると幸いです。
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#エッセイ

母の初恋は時空を超えて。

母の初恋は時空を超えて。

今、私が洋楽を
ここまで愛しているというきっかけは沢山あるけれど。

やはり一番は両親、特に母親からの影響が
とてつもないくらい大きい。

私がお腹にいるときの母は主にどんな曲を聴いていたんだろう。
よくよく振り返るとその質問はしたことがなかったが、
その頃 特に聴いていたであろう曲やグループ、バンドは不思議と歳が経つほどに自然と想像できるほど、母の好みも幅広く、そしてそれぞれへの愛は熱いものだっ

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父の涙を見た、大晦日の思い出。:一年間 読んでくださった皆さんへ感謝を込めて

父の涙を見た、大晦日の思い出。:一年間 読んでくださった皆さんへ感謝を込めて

2021年も残りあと半日弱となりました。
今日、今年最後の投稿は、エッセイ。
お世話になった皆さん、いつも読んでくださった皆さん お一人お一人を思いうかべつつ、綴りました。
ぜひ、お読みいただけたら嬉しいです。

☆☆☆

中学1年の大晦日のことだ。
家族で朝食をとっていると、ふと父が箸を止めてつぶやいた。

「今日、墓参りに行ってきてもいいかな、年始に買い足すものは帰りに買ってくる」

そして、

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大切な人への思いも、記憶も音楽と共に忘れない。

大切な人への思いも、記憶も音楽と共に忘れない。

「ほしまるさん、いつも元気だから
そんな辛い過去があるなんて思わなかった」

特に、結婚してから知り合う人たちは皆必ずそう話す。
とはいえ、私自身も 家族(両親と妹)の喪失体験に関しては、誰にでも話しているわけではない。

なぜなら、noteを書き始めの初期に記したことではあるが
私の家族の死因は 【変死】というカテゴリーにあたるものだからだ。

それこそ、今の時代、季節毎に どこの局でも

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今でも思い出す じいちゃん、ばあちゃんの背中

今でも思い出す じいちゃん、ばあちゃんの背中

今日は敬老の日だ。

もう直接は伝えられないけれど
私なりに気持ちや思いを込めて、
私の じいちゃん、ばあちゃん(母の両親)との思い出話を書こうと思う。



私は出身そのものは東京だが、生まれたのは
千葉県の母の実家近くの産院だった。

だから、出生地そのものは千葉県。
なので 積極的に「生まれも育ちも東京」とは名乗っていない。

千葉県といっても、東京に程近い市なのだが
それでも 小さな頃

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母の日に白いカーネーションを買う勇気をもらった話

母の日に白いカーネーションを買う勇気をもらった話

両親と妹を亡くしてから、まだ数年しか経っていない頃の、ある年の母の日。

私は当時、住んでいた家から近い花屋さんに 予約していた花を取りに行っていた。

その花屋さんには、度々お世話になっていた。

当時は、友人や知人の結婚などお祝い事も多かったので、花束を買うときはいつも予約して 取りに行ってから会場に向かった。

また 家族のお墓参りに行く前に、いつもお供えの花を買っていた。

母は花が大好き

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きっかけはバスケットボール。

きっかけはバスケットボール。

もともと私は運動、スポーツに苦手意識があった。

そんな私が小学生だったある日、大きな怪我を負った。

辛いリハビリを乗り越えて、私が運動・スポーツを楽しめたきっかけとなった話を記したい。

新学期早々、思いがけない怪我を負った1983年4月。テレビに映っていたのは、開園したばかりの東京ディズニーランド。
中継リポーターがアトラクションの魅力を存分に伝え、スタッフや来園客にインタビューしていた。

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未だに苦手なこと:幼い頃のトラウマは今も消えない

未だに苦手なこと:幼い頃のトラウマは今も消えない

こんにちは、ほしまるです。
早いもので1月の土日も今週が最後。
もう2月なんですよね。
特に受験生や受験生を持つご両親、ご家族の方々もこの時期は風邪を引かないよう、気の張った日々をお過ごしかと思います。
全国の受験生皆さんの努力が実を結ぶことを祈りつつ、どうか皆さんくれぐれもお身体お大事に暖かくしてお過ごしくださいね。



私は40代後半になり、もう数年で50代に突入する。
そんな私には未だに

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大学教授の涙...

大学教授の涙...

先日、ニュースでふと 軽井沢スキーバス転落事故から五年、という話題を目にした。

事故が起こったは五年前の2016年、1月15日未明。
軽井沢町の国道でスキー場に向かっていたツアーバスが道路脇に転落し、大学生など15人が死亡、26人が重軽傷を負った。

遺族、関係者が慰霊碑を訪れ、犠牲者を悼み手を合わせる様子は、見ていて胸が締め付けられる思いだった。

訪れた方の中には、 尾木直樹氏の姿もあった。

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