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可能なるコモンウェルス

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主権者の一人一人が、独立・自立した権力主体=コモンウェルスであることは可能なのか、どうすれば可能となるのか。法の支配・デモクラシー・社会契約、イソノミア・タウンシップ・評議会、イ…
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#社会

可能なるコモンウェルス〈1〉

 近代国民国家の民主主義とは、「国民・人民主権の原理」にもとづいて形成されているものだと、まずは考えることができる。他国の干渉を受けない一独立国家の主権者として、国民・人民はその「主権機能=権力装置としての国家」と一体化することにより、当の国家のその「内部」においては、彼らが「国民として一体化している」限りで、「一体的な主権者」の立場から、その国家の全権能を独占的に行使することができるのだ、という

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可能なるコモンウェルス〈2〉

 国民・人民主権の原理にもとづく、その「主権国家」とは、言うまでもなくいかなる他国からの一方的な干渉をも一切受けない限りで、「その国家の内部」においてはその主権者が、独占的かつ完全な主権を有するものとなる。ゆえに「国家は何よりもまず、他の国家に対して国家として存在するものである」(※1)と考えることもできるわけだが、だとするならばその国家の内部において完全な主権を有する者=主権者は、逆に言うと「他

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可能なるコモンウェルス〈6〉

 国家は何よりまず他の国家に対して国家なのであり、主権者はその国家においてただ一人である。その前提の下、他国との関係においては国民として一体化し、あたかも「一人の人間」であるかのように振る舞う一方で、我が身の個別的な生存と利害を何よりも優先させ、己れに関わり合うあらゆる事柄について抜け目なく算段して余念のない、「国民=人民」なるものの二面性。ルソーはそのような、人民=国民の二面性が見せる裏腹な欲望

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可能なるコモンウェルス〈7〉

 国や社会などといったものが考えられているとき、人は何よりもまずそこに「集団」を見出している。一定の人間集団の存在を念頭に置き、かつそれを前提とした上で、その前提に条件づけられたものとして自らの関わり合う国や社会を構想することについて人は何も疑いを持たないし、この前提をしばしば「他の人々」に強いたりもする。
 「権力が発生する上で、欠くことのできない唯一の物質的要因は人々の共生である」(※1)とア

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可能なるコモンウェルス〈9〉

 アレントの考えによれば、権力の発生には「他者との共生」が不可欠の条件になるのだが、しかし実のところこのような「他者」とは、けっして互いに「一体化することができない」という意味においても「他者」なのである。
 そのような、けっして一体化しえない「他者」との共生は、必ずしもそこで人間同士互いに「集団となること」を要求しないし、むしろそれは不可能なことであるという、一種の逆説を孕んで成り立っている。そ

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可能なるコモンウェルス〈10〉

 支配者も被支配者も同時に従うような、「一定の共同性」を有した規範の下、一定に構造化され制度化された関係性において、しかしこれもまたある一定の仕方で構造化され制度化された「関係の絶対性」が、一方を支配者に、また一方を被支配者として、それぞれを「一方的に」振り分けておいてはそれを釘止めにし、その関係性を絶対化している。その振り分けに、はたして一体どんな根拠と仕掛けがあるものなのかはともかくとして、ま

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可能なるコモンウェルス〈11〉

 いかに「絶対的な力と威厳」による支配の下にあったとしても、その被支配者たる人民はけっして、ただ黙って支配されているばかりであったわけではなかったのだというように、アレントはその心理を分析している。むしろ「誰かから支配されながら」も人々は、その一方においては「誰が自分たちを支配してはならないかということ」(※1)について抜け目なく敏感に嗅ぎ分けていたものなのであり、そしてそのような仕方で実態をあぶ

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可能なるコモンウェルス〈12〉

 「被支配者」の立場として人民が、いざ国家なるものと関わろうとするときにはいつでも、「支配者=主権者=絶対君主が独占的に有する国家の、その表象を代表し、その権能執行を代行する機関である政府」が、「国家そのものの代わり」として彼らの眼前に立ちはだかっていたものであった。人民は何をおいてもまずはその、政府という存在と相対するものでなければならなかったわけである。
 逆の見方をすれば、何者かが「国家およ

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可能なるコモンウェルス〈13〉

 国民・人民主権の考えにおいては、もちろんその独占的な権力をもって「他人を自分の意志に従わせている」のは主権者である人民・国民だということになる。しかし一方では「その権力に従っている」のもまた、当の人民・国民自身なのだということになる。そのように、「自分で自分に従っているのだから、人民・国民である限り誰も異存はなかろう」というのが、人民・国民主権における「共同規範」となっているわけである。
 自分

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可能なるコモンウェルス〈14〉

 絶対王権国家を統治する君主なるものとは、その地位は「神によって」授けられたものであって、手中におさめる「世俗的な支配権力」は神と同様に全能なのであり、胸中にある意志は「宇宙の立法者が抱く意志として、世界を統べる法そのものとなる」のだ、といったように、その存在そのものがすっかり神と重ね合わせにイメージされており、その「実存」としても完全に神と一体化されたものとして、すなわち「永遠の生命を有する者」

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可能なるコモンウェルス〈15〉

 「神によって支配を託された」という、いわゆる王権神授説。そういったまさに「神話」と言いうるようなものは、実に世界中において一般的に生じているものである。ということはそのような「託す神」もまた、世界中で「一般的に生じている」ということにもなるのだろう。ではそのように、「一般的に生じてくるような、一般的な神」とは一体、どのようなものとしてあらわれうるものなのだろうか?
 結論的なことを先に言ってしま

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可能なるコモンウェルス〈16〉

 一般に相続の関係を取り結ぶことができるものとされているのは、実際上「相続する者と相続される者が、その関係において相対的な立場にある」ということが明らかな場合にのみである。その関係の相対性にもとづいて、相続される者からする者へと、互いのその現状の立場は「移譲することが可能なものである」と見なされ、そこではじめて、相続される者とする者双方の、互いのその立場の「地位」が確立され、その地位に関連した諸々

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可能なるコモンウェルス〈17〉

 人民自身によって国家の支配的な権威を相続することの、その正当性=正統性を問うものであるような「革命」とは、しかしそれによって何か「新しいものを創設する」ということに、その目的が見出されていたというわけではけっしてなく、むしろ「かつてあった、古き善きものの回復」にこそ、その志向というものは指し伸ばされていたと言える。「正当性=正統性を問う」ということがまさに、その志向を証拠立てているのだ。
 そし

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可能なるコモンウェルス〈18〉

 絶対王権国家の下で人民は、絶対的な支配者=主権者である君主に「従属する人間集団=臣民」としてひとまとめにされた。ところで「その国家」において臣民=人民は、実際その数自体としては圧倒的な「多数者」なのだったが、しかし当の人民自身が、自らの有するその「多数性の意味」について、実に長い間まるで気がつきもせず、なおかつ関心を寄せることすらしてこなかったのであった。そんな人々がようやく、自らのその「圧倒的

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