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あしたの小窓から。

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小窓のむこうに、ちいさな「あした」が見える。 ここでは音楽、教育、投資、霊性などについて、考えたり感じたりしたことをつれづれに綴っています。
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2019年2月の記事一覧

不安定とは「生きてる」ってことじゃないか。

不安定とは「生きてる」ってことじゃないか。

自己否定が、流行っている。

いつ頃からだろう、見かけるようになったのは。
会社をやめた30代前半くらいからかな。

児童館でも流行っている。
「わたし、バカだから」「どうせ無理でしょ」「おれにはできない」といった言葉がすこしも深刻そうでなく、常套句のように出てくる。大人でもそういう言い方をする人がかなりいる。

それは、日本文化において美徳とされた謙遜とは、だいぶ違う気がする。
奥ゆかしくもなん

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支援と支配。

支援と支配。

弱い者たちが夕暮れ
さらに弱い者を叩く
その音が響きわたれば
ブルースは加速していく
(THE BLUE HEARTS『TRAIN TRAIN』より)

先日、ある話を聞いた。

詳細は書けないが、強い立場の人が弱い立場の人の思いを聞かず、力をつかって持論を押し通し、ぐちゃぐちゃにしてしまう話だった。

弱い立場の人の良心や葛藤は、強い立場の人の「正しさ」によって粉砕された。強い立場の人は、弱い立

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男の心の傷の治し方

男の心の傷の治し方

風邪をひいた。
風邪をひくと、からだの感じがいちいち変だ。考えることも暗くなる。

だからだろうか、いま「支配」のことが気になっている。

人はたぶん、誰かに支配されることを最も嫌う。
けれど人はまた、追い詰められると、人を支配し、服従させようとする生き物でもある。

児童虐待についての記事を読み漁りながら、そんなことを考えた。
そして、そこには傷ついた男性性が現れているように思えた。

なにかの

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サスペクト(疑念)ってだいじね。

サスペクト(疑念)ってだいじね。

昨日、フェイスブックのタイムラインに、こんな言葉が流れてきた。

対話は、それをつうじて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる。相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければ成り立たない。
(鷲田清一『折々のことば』より)

相手へのリスペクトと自己へのサスペクト。
なんていい言葉だろう、と思った。

そして、リスペクトとサスペクトがらせんのようにぐるぐる回って、各人が自

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「学び」は突然、発動する。

「学び」は突然、発動する。

昨日のことだ。

夜の児童館では、毎週恒例の「学びタイム」が行われていた。
中学生、高校生を対象になんらか「学び」に関することをする時間だ。

この日は、高校三年生がプレゼンテーションをすることになっていた。
テーマは「プログラミング」。

彼は、自分の通う工業の専門学校で使っている、レーザーで物を切る機械を動かすためのプログラムを教えようとした。

正直、マニアックすぎる。他の中高生には理解でき

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僕は「子ども好き」ではなくなったらしい。

僕は「子ども好き」ではなくなったらしい。

自由ってやつは 楽しいもんだぜ
僕も昔は 縛られてた
(映画『ピノキオ』より)

昨日、自分がもはや「子ども好き」ではなくなっていると気づいて驚いた。

僕は長年、自分のことを「子ども好き」だと思って生きてきた。

身内であるめいだけでなく、ショッピングモールや地下鉄の車内、エレベーターの中なんかでよその子を見かけても、自分から微笑みかけてしまうくらいの「子ども好き」だった。

そして、僕は誰より

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ワークショップの、そのあとに。

ワークショップの、そのあとに。

僕はいままでたくさんのワークショップに行き、感銘を受けてきた。

いまでもそうで、二月に妻が橋本久仁彦さんを呼んだ円坐の余韻にふと心が惹かれたりする。

でも、大事なのは、ワークショップは終わるということ。
そのあとはくるりと前を向いて、自分の人生を生きるのだ。

僕は時々、前を向いたあとの自分の人生にがっかりすることがある。
どんなにワークショップでいきいきしても、日常で「全然だめじゃん」という

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昨夜見た夢。

昨夜見た夢。

急に春の陽気になったからか、満月だったからか、風邪をひいた。

昨日は悪寒がひどくて、すぐに寝た。
そして、こんな夢を見た。

僕はディズニーランドのキャスト(アルバイト)に採用された。
児童館の同僚も同じロケーションに配属されている。

コスチュームの説明を受け、現場までの道をおぼえて初日が終わる。

そして翌日、僕はすっかり出勤日のことを忘れてしまう。
同僚は通勤バスで帰ってきて、宿泊先で佇む

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ごめんなさいが言えなくて。

ごめんなさいが言えなくて。

ケンカのあとは淋しいな
なんだか胸がいたくなる
ごめんなさいが言えなくて
ひとりぼっちって淋しいな
(子門真人『ケンカのあとは』より)

大人になると、簡単な言葉一つ使うのも難しくなる。

たとえば「がんばって」。
この言葉をうつ状態の人に言うと、かえって追い込んでしまうことがある。
このことを知ったのは、ずいぶん大人になってからだ。

同じように難しいのが「ごめんなさい」。
ちいさい頃から教わっ

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祖父はなぜ同じ話を繰り返したのか。

祖父はなぜ同じ話を繰り返したのか。

昨日書いた「はつの円坐」で聞かせていただいた80代、90代の先輩のお話。お寺の方によると、何度も聞いている話だったという。

それで数年前に亡くなった祖父のことを思い出した。

いまから五、六年前、晩年の祖父は老人ホームに入っていた。僕はその頃、ニート状態にあって時間だけはたっぷりあったから、介護に行く父について祖父の老人ホームを訪問した。

父が日用品を買いに行く間、決まって僕は祖父と二人きりに

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10代の悩みを90代がきく。

10代の悩みを90代がきく。

昨日、名古屋市千種区の西念寺さんで「はつの円坐」という場をひらいた。

円坐は丸くなって座り、あとは話しても話さなくてもいいという場だ。聞きたければ聞けばいいし、そうでなければご自由に。それ以外は、なんにもない。

そんな場にもかかわらず、この日は七名もの方が一緒に座ってくださった。

驚いたのは、その世代の幅だ。
最年少が16才で、最年長が91才。
平成15年と昭和3年、2003年と1928年生

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心をなににたとえよう。

心をなににたとえよう。

昨日、友人が主催した「影舞の種」という会に参加してきた。
そこで「聞くこと」の師匠、くにちゃんこと橋本久仁彦さんと再びご一緒できた。

個人的に印象深いのは、二度目の影舞を舞っていたときのこと。

指先と指先を触れ合って、その揺れに真摯についていく。
そこにくにちゃんの選んだ音楽が乗る。

影舞にあるのはそれだけなのだけれど、観ている側からはこの上なく美しいものに映る。舞っている側にはなにもわから

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わたしがわたしじゃ、だめなんですか。

わたしがわたしじゃ、だめなんですか。

私以外私じゃないの
当たり前だけどね
(ゲスの極み乙女『私以外私じゃないの』より)

昨日、弱音を書いて公開して、反響を眺めていたら、こつんとある問いに行き当たった。

「わたしがわたしじゃ、だめなんですか」

思いついたら、まるで、みんながそれを抱えているように見えた。

勉強ができない子ども。
女っぽくない女性。
仕事ができない会社員。
良妻になれない奥さん。
いくさが嫌いな武士。
子育てがに

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こんな私でいきてゆく。

こんな私でいきてゆく。

たとえば、狩猟時代に狩りが苦手な男は、どんなふうに暮らしていたのだろう。

たとえば、武士の世にいくさが嫌いな男は、どうしたらよかったのだろうか。

僕はときどき「男であること」が嫌になることがある。

たとえばそれは、部屋に入り込んだ虫を「叩いて!」と言われるとき。
家族みんなが離れている中で、ひとりスリッパを構える。

でも、僕だってこわい。

そんな自分を「けしからん」「情けない」「武士の風

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