澤 祐典

音楽家、社会福祉士。15分のお話から世界に二つとない曲をおつくりする『あなたのうた』、歌える人生の扉をひらく『歌い手冥利』、ハナウタから曲ができるまで伴走する『作曲事始』といった歌、作曲、人の話を聞くことに関する仕事をしています。

澤 祐典

音楽家、社会福祉士。15分のお話から世界に二つとない曲をおつくりする『あなたのうた』、歌える人生の扉をひらく『歌い手冥利』、ハナウタから曲ができるまで伴走する『作曲事始』といった歌、作曲、人の話を聞くことに関する仕事をしています。

    マガジン

    • あしたの小窓から。

      小窓のむこうに、ちいさな「あした」が見える。 ここでは音楽、教育、投資、霊性などについて、考えたり感じたりしたことをつれづれに綴っています。

    • 歌の音箱

      これまでにつくった歌を入れています。聴いてもらえたらうれしいです。

    • 博多縁坐舞台ができるまで

      2022年12月23日・24日に開催される『博多縁坐舞台 2022』に関する記事をまとめています。

    • 南畑移住日記

      都会そだちの夫婦が、見渡すかぎり、山と川に囲まれた中山間地域に移り住んだ。「住める」とはどういうことなのか。そもそも暮らしていけるのか。詰むや詰まざるや、という日々の記録。

    • 暮らしの詩

      起きたことを文章で書くのが、おっくうになって、詩を書きはじめました。

    最近の記事

    みそか

    『みそか』 作詞 澤 祐典 作曲 澤 祐典 わたしの住む街に みそかがやってくる 長かった一年を 水にながそう だれもが手を止めて 鳥は羽をやすめる 夜のしずくが落ちて 思い出をにじませる ルララ ルララ おねむり 朝がくるまで いろんな たのしいことが あったよね 凪いだ海の小舟は どこへも進まない だけど海の底では 明日がうごきだす ルララ ルララ おやすみ 夜が明けたら あたらしい 一年が やってくる ああ あと何度 泣いたら わすれられるかな ああ あと何度 みそかを むかえられるのか ルララ ルララ おねむり 朝がくるまで あたらしい 一年が やってくる ルララ ルララ おやすみ 夜がおわれば いろんな たのしいことが 待っている

      • ずっとこのままでいいのに。

        職場の同僚は、年末年始が嫌いだと言った。 「ずっと気持ちがまっすぐのまま、揺れないほうがいい」 と彼女は言った。上がりもせず下がりもせず、平坦な毎日が続くといい。そう言った。 年末年始にはなぜかいつもより多くの休みがもらえる。大掃除をして、紅白歌合戦を観て、おせち料理を食べて、東西ドリームネタ合戦を観て、箱根駅伝を観る。 12月31日の23時59分から60秒数えると『ゆく年くる年』の中でお坊さんが除夜の鐘をつく。それまでの「去年」の空気が一変して「新年」になったように

        • 人生を変える光。

          ロングコートダディ さや香 ウエストランド というのが、決勝を見たときの僕の「好きな順」。笑った量もこの順だった。 でも勝つのは、さや香かウエストランドだろう。そう思った。 その二組は明らかに一本目よりよくなっていたし、去年の錦鯉にあった「なにか」が宿っているように感じたからだ。残念ながら、ロングコートダディの伸び率はそこまででもなかった。あんなに面白いのに。 こないだ『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。 あの映画でも、湘北メンバーが試合中にめちゃくちゃ

          • (途中で音が大きくなります。音量ご注意) 『涙』 作詞 澤 祐典 作曲 澤 祐典 なんて言えばいい? どう言ったらいい? こんな思いは 言葉にならずに 涙がでちゃう もしもぼくがあの日 望み通り生きてたら 君はぼくのことを いまも愛してくれたかな それはいつもいつも 胸にのこる光と影 ついに目覚めはじめ 君をノックし続けてる 別れは生きてゆくことの運命(さだめ) 切り捨ててゆく悲しい運命(さだめ) それなのに 思い出してしまうのは何故? なんて言えばいい? どう言ったらいい? 星のあかりを 探して歩いた なんて言えばいい? どう言ったらいい? こんな思いは 言葉にならずに 涙がでちゃう 二人で写った モノクロームの写真に 未来は見えなくて ああ もうどこかへ 逃げちゃえば こんな思いはしなくて済むかな なんて言えばいい? どう言ったらいいのか 分からないまま 生きてるだけで 知られたい?知られたくないわ 聞かれたい?聞かれたくないわ 分かりたい?分かりたくないわ くだらない?くだらなくないわ ワレワレはワレワレじゃない ワレワレはワレワレじゃない 心を通わせたい と思えば思うほど 誰かの言いなりに なりそうな気がしてる なんて言えばいい? どう言ったらいい? 人の醜さは 許さないでいいかな なんて言えばいい? どう言ったらいい? 知られたい?知られたくないわ 聞かれたい?聞かれたくないわ 分かりあいたい 分かりあいたい あいたい あいたい あいたい 分かりあいたい  あいたい あいたい あいたい あいたい ワレワレはワレワレじゃない ワレワレはワレワレじゃない なんて言えばいい? どう言ったらいい? こんな思いは 言葉にならずに 涙がでちゃう

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            ロックンロールにあこがれて。

            かっけぇ。 と心の底から思うことがある。涙がでてくることがある。 それはたとえば、サンボマスターの『美しき人間の日々』なんかを聴いているときだ。 本当に思ってることを、本当に言って、本当に誰かを愛して。 そんなこと一つもできない臆病な僕達の、胸のど真ん中をその言葉は撃ち抜いていく。 言葉はしばしば、僕達をからめとって檻の中に入れてしまう。 言えば言うほど、言葉だけがいっぱいになって、なにがなんだか分からなくなってしまう。 混乱して混乱して、自分が誰かも分からなくなる。

            運命の蝶

            『博多縁坐舞台 2022』は、一期一会の出逢いが織り成す即興舞台。 即興だから事前準備はできない。当日なにが起こるかも分からない。 その日、出逢った瞬間、刹那に起きる出来事がすべてで、その火花に身を委ねることになる。一つの火花が次の火花を生み、その光と熱が連綿と連なって強烈な圧となり「成り行き」となる。 思えば、今回の開催に至る過程もそうした「成り行き」の連続だった。 「博多に橋本久仁彦さんを呼ぼう」と思った時、僕は北海道釧路にいた。 友人、濱屋公紀子(まきこ)が開いた

            空をこえて

            博多に移り住んでから、飛行機に乗ることが多くなった。 それまでは五年に一度あるかないかだったのに、今年は下半期だけで三度、この後も二度、フライトの予定がある。 博多は、空港から都心部まで地下鉄一本で行ける。博多駅なら5分、天神なら12分。東京、大阪、名古屋と比べると格段に近い。それでフライトが増えたのだ。 飛行機は、旅の交通手段の中でも特に緊張感が高い乗りものだと思う。 出発時刻に間に合うか、手荷物が重量オーバーしていないか、保安検査所を通れるか、なによりちゃんと飛ぶのか

            【ご案内】

            みなさん、お元気でいらっしゃいますか。 私達は、博多に移住して3回目の冬を迎えようとしています。 さて、このたび、12月23日、24日の両日において、大阪から橋本久仁彦さんをお迎えし、『博多縁坐舞台2022』を開催させていただく運びとなりました。 会場は、五十年以上の歴史がある、本物の能舞台。 今回は参加者と別に、24日の本番を観覧いただける「お客様」枠も設けています。 一期一会の出逢いを全身全霊で味わい、縁ある方々との再会を祝す時間としたいと思います。 謹んでご案内

            海はひろいな、おおきいな。

            4月上旬に、福岡県那珂川市から福岡市に引っ越した。 引越し会社は使わず、すべての荷物を自分たちで運んだ。そんな引越しをするのははじめてのことで、なかなかに骨が折れた。 それから 2ヶ月経ち、僕も奥さんも新しい仕事を見つけ、新しい人間関係の中で暮らしはじめている。 以前住んでいた那珂川市「南畑」は、距離的にも心情的にもだいぶ遠くなった。けれど、今年のはじめから 3月にかけて、あの地域で経験したことは、まだ消化している最中だ。 簡単に言うと、そこでしていた「地域おこし協力

            気の抜けた仕事。気の入った仕事。

            午前中、つまらない展覧会に行った。 尊敬している作家さんが出展すると聞いていたので楽しみにしていたのだけれど、彼の作品はただ置かれているだけだった。なんの文脈も、解説も、リスペクトもなく、ただ置かれていた。とてもさびしそう。悔しいと思った。 たくさんの作品が飾られていたけれど、見れば見るほど、視界がぼんやりして眠たくなった。自分が誰だか分からなくなった。「芸術ってつまらない」と思わせるような空気があった。 その展覧会の出口では、芸術系の高校の卒業制作展が行われていたけれど

            光の透過率。

            今日、那珂川のある作家さんに会った。 素晴らしい方だった。 そして僕は、クロマニヨンズの甲本ヒロトさんのこの言葉を紹介した。 えっとね、最後にね、さっきある雑誌の対談で言ったことと今話していたことがもの凄くリンクするので、まったく同じことを言うね。 えっと、月や星は輝いてないよね? 星って輝いてないよね? 反射してるだけだよね。ロックンロールの星たちも輝いてるんじゃなくて反射してるんだ。光っているのは太陽じゃないか。星が光ってるんじゃなくて、太陽が光ってる。月が光ってる

            見えない仕事。

            今日、ひとつの仕事が終わった。 外から見たら地味な仕事に映ると思う。 しかし、この仕事には複数の、わりと大切な目的があった。 たった一つの出来事が、こんなにたくさんのきっかけになる、というような。 それゆえか、地味な仕事なのに大いに揺れた。 途中でつぶされそうにもなった。妥協しそうにもなった。 ほんと大変だった。 でも、そのおかげで、会はとてもいいかたちで終われた。 複数の目的はすべてかなったように見えた。 いつもはいっしょにいられない人たちが、その時間だけは共に時を過

            M1、なんで泣けたのか。

            もうおとといのことだ。 2020年の『M1グランプリ』をやっていたのは。 去年もすごかったけど、今年もすごかった。 最後の審査は見事に割れた。 二本面白いのは、マヂカルラブリー、一本目が面白かったのは、おいでやすこが、漫才らしいしゃべくり芸なのは、見取り図という感じに。 でも、そんなこととは別に、僕はM1を観ながらウルウルしっぱなしだった。はじめはオープニングのところで、その後は敗者復活のインディアンスが出るところで、最後はなぜか錦鯉のところで。不思議なことに勝者が決ま

            「いい」はよくない。

            いい人。いい親。いい子。 どれも目指すと、後々生きづらくなるものばかりだと気づくのは、いつ頃からだろう。 いい人もいい親もいい子も他者を息苦しくさせる。 なぜかそうなってしまうのは「いい」になることが目的化して、他人も自分の中の正直な気持ちも切り離しているからではなかろうか。実は誰ともつながっていないのに「いい」のせいでつながったように見えてしまいもする。 「いい」は「いい」からこそ、それ以上突っ込まれにくい。 いいことをしている人ほど始末に終えないと言ったのは誰だったか

            郷に入っては郷に従え(そして牙を剥け)。

            新しい土地に入るときは、その土地の風俗なり習慣に合わせよ。 それが「郷に行っては郷に従え」ということわざの意味だ。 処世術としては絶対そう。 でも、それだけではアカンかもなあとこの頃思うようになった。 たとえば家族であれ職場であれ地域であれ、新しい人が入ってくるとき、必要なのは「双方向性」だと思う。新しい人がその場所に適応するのと同時に、その場所も新しい人に適応する。お互いが自らの思うところを語り、聞く。そういう双方向の関係が理想のような気がする。 それがどちらかに偏る

            わたしとは誰なのか。

            最近知り合った方にドライブに連れて行ってもらった。 それはそれはゆかいなドライブで、かなりの長距離だったがずっと楽しかった。 カーステレオで、高田渡さんとアイオラさんの曲を聴かせてもらった。 どちらもはじめて聴く曲だったが、めちゃくちゃよかった。 二組は曲調も歌詞の感じもぜんぜん違うのに、どちらも心身に染みる感じがした。 そしてふつふつと「自分の音楽ってなんだろう」という欲がかき立てられる感じがした。 二組の曲が終わると、カーステレオからは流行りの洋楽が流れてきた。