ごめんなさいが言えなくて

ごめんなさいが言えなくて。

ケンカのあとは淋しいな
なんだか胸がいたくなる
ごめんなさいが言えなくて
ひとりぼっちって淋しいな
(子門真人『ケンカのあとは』より)

大人になると、簡単な言葉一つ使うのも難しくなる。

たとえば「がんばって」。
この言葉をうつ状態の人に言うと、かえって追い込んでしまうことがある。
このことを知ったのは、ずいぶん大人になってからだ。

同じように難しいのが「ごめんなさい」。
ちいさい頃から教わってきたのに、いまだにうまくできない。

テレビで大人が謝罪する場面をみると、余計にそう思う。
誰に、なにを思って謝罪しているのか分からない。
そういう人に「謝れ」と詰め寄る人の気持ちはさらに分からない。

「ごめんね」「いいよ」

ちいさい子どもたちの方がよっぽど上手だなと、思う。

昨日、僕は奥さんに「ごめんなさい」と言った。
ケンカしていたわけではなかったのだけれど、なんとなく言いたくなって。

具体的にこういうことについて「ごめんなさい」と思う、という言い方ではなかった。そんなことを考えたら自分を責めはじめてしまうから、ただ「ごめんなさい」とだけ言った。

僕の場合、「ごめんなさい」と言うことは、自分の無力感やふがいなさを認めることとつながっている。だから、それをしてしまったら、自分に心底絶望して、頑張ってなにかをする気が失せるくらいに思っていた。

それに「ごめんなさい」と言うことは、白黒はっきりさせずに負けを認めることとも思っていた。自分に非がないことを謝ることで、事がうやむやになってしまうのもいやだった。

でも、そういうこと抜きにただ言ってみたら、僕は謝りたかったんだなと気づいた。

「謝って済むことじゃない」「で、どうするんだよ」という声が自分の中ではしたけれど、奥さんはそうは言わなかった。

このブログは、そのあたりのことをよく表していると思う。

「私は嫌な奴だ」「私は冷たい人間だ」
などと、自分を責めるバイブレーション。
どんより重いですよね。

そのバイブレーションで、相手に謝っても、
ほんとうに伝えたいことはなかなか伝わりません。

罪悪感から相手に受け入れてもらうことを求めても
自分も相手も重くなってしまいます。

(略)

自分が、ほんとうは大事にしたかったこと、
その気持ちに気が付いてあげて、
そんな自分の思いを大切にしてあげる。

そしてそのスペースから、相手に語りかけてみる。
そして、満たせなかった悲しい気持ちも含めて
その思いを正直に相手に正直に伝えてみる。

「さっきはごめんね。
 ほんとはもっと分かってあげたかったんだけど
 それができなかったのが、悲しい…」

僕の「ごめんなさい」は、奥さんに響いたようだった。

その「ごめんなさい」は「あなたを大事に思っている」という意味だった。

いまこうして書いてみても「それだけ言って何の意味があるんだ」と思わなくもない。「だからなに?」「具体的にどうするの?」と思えるような言葉でもある。

でも、そんな足しにもならなそうな言葉でも、奥さんには響いた。

それどころか、僕が「ごめんなさい」と伝えないことによって、触れてあげられなかった気持ちがあるように感じた。

僕は口先だけで「ごめんなさい」と言いながら、自分を改めないのが嫌いだ。だからそれを言う前に、なんとかしようとしてきた。

でも、どんなにやってもダメなときの「ごめんなさい」もある。
それでも相手を大事に思い続けているということは、ある。

こうして書きながら、なにが伝わったのかは、いまでもよく分からない。

でも、自分を責めるためでも、批判から逃れるためでもなく

「あなたを大事に思っています」

という意味での「ごめんなさい」はちゃんと言った方がいいよな、と思っている。

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