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#勉強

方便と対症療法まみれの表面的な世界

私は以前から勉強、学問、試験、大学などについて色々と語ることが多いのですが、世に言う「勉強」≒「試験勉強」や大学という存在そのものについて、まさに「方便」だなぁと思うことが多いです。過去にも試験勉強は作業、本当の勉強は独学という記事に似たようなことを書きました。ある目的のために便宜上行うこと、便宜上の存在、というようなニュアンスです。本質的ではなく、中身がない、中身が問われない。また、「試験」とい

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なぜ親は子に「勉強しろ」と言うのか

これまで自分自身の人生を振り返る中で何度も親子関係については考え、noteでも取り上げてきました。「もっとこうしてほしかった」とか色々な思いはありつつも、これだけは本当にありがたかったと思っているのが、親は私に「勉強しろ」と言ったことがない、ということです。このことは何度も書いていますが、本当に言われた記憶はなく、いつも自ら進んで勉強していたように思います。中学受験についても自分の意志で決めたこと

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仕事も学びも「喜び」であるように…

私は実家暮らしで両親と一緒に暮らしているのですが、このコロナ禍で在宅勤務が基本となり、ほぼ四六時中、家族で家にいる生活が半年以上経ちました。親はいつも嫌々仕事をしているようで、毎日愚痴をこぼしており、一日の大半を嫌々やる仕事で過ごすって辛いよな…と思いながら、そんな親にお茶を淹れたりご飯の支度をしたりして過ごしています。

話は変わって、好きなテレビ番組の話を。テレビ東京で月曜の20時からやってい

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大学に通う意味と金銭的負担のしわ寄せ

2月に入り受験シーズンもいよいよ本番。これまでも受験、勉強、大学などをテーマに色々と書いてきました。前回は、奨学金が「就職するための借金」になっているという記事を書き、大学で学ぶためではなく、就職で有利なように大学卒という肩書が欲しいがために、若いうちに借金を背負わなければならない現状をやや批判的に見てみました。低賃金で借金返済の負担もあれば、晩婚化になるのも頷けます。少子化問題も耳にタコができる

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奨学金が「就職するための借金」になっている

1~2月は受験シーズンということもあり、教育に関する話題が多めです。例によって心の友とやりとりをしていて、「大学は(いい会社に)就職するために行くだけになっていて、奨学金は実質就職するための借金みたいなもんだよね」という話になりました。大学や教育といったものも資本主義の原理に取り込まれてお金!お金!となり、本来的ではなくなっているのではないかという考察をしていました。

人々が大して勉強する気もな

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軽視されすぎな「家庭科」「保健体育」

「もうセンター試験か、そろそろ受験か」と高校生の頃の勉強状況を思い返してみて、いくつか気づいたことがありました。高校の授業で今でもやたら印象に残っている授業は、家庭科と保健体育であったということです(笑)。私の高校は進学校でしたが特に受験対策もなく、文理問わずすべての教科を履修していました。あらゆる教科の授業があった中でも、主要科目以外の家庭科と保健体育の授業は強く記憶に残っています。

家庭科で

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勉強嫌いを量産する「比較」「テスト」

世の中の人々に勉強が好きかどうか、アンケートを取ったらどのような結果になるのでしょうね。多くのお父さんお母さんが「子どもが勉強しなくて…」と嘆いているという状況(それも本当かどうか…)を考えると、勉強大好きで学習意欲に満ちた人というのは割と少数派のような気がします。「勉強」とひとくくりにしてしまいましたが、学校の勉強は嫌いだけど好きなことに対してはすごく熱心に学ぶとか、逆に受験や資格試験の勉強には

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試験勉強は作業、本当の勉強は独学

明日はセンター試験。私も12年前は受験生でした。中学受験、高校受験、大学受験を経験し、公務員試験を受け、宅建試験も受けたりと、受験勉強や試験勉強に随分と時間と労力を割いてきた人生だったと思います。noteにおいても勉強や賢さ、知識や教育といったことを話題にすることも多く、私にとって「NO勉強、NO LIFE」(古い?)と言ってもいいくらい、非常に重要な関心事です。

親しい人や初めて会った人に「普

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過度な競争心をあおる教育・スポーツ

これまでにも書いてきましたが、最近の私は特に具体的な目標もなく生きており、何も目指していないので、心が平安でいられる時間が増えてきました。あるのは内面の目標のみ(もはや内面の目標しかなくなったの記事参照)、目標がないからこそ、誰とも比べず、競わず、嫉妬もせずに心が落ち着いていられるようになったのだと思います。自分の生き方、価値観、思想が固まってきて、他者の評価や世間体から解き放たれてきたことも大き

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自発的に学ぶからこそ知恵がつく

ここ2回に渡る記事で、学歴や会社がステイタスとなっている社会だからこそ「それが当たり前だから」と漠然と大学に進学してしまった自分を振り返っていました(漠然と流されて生きる人生の無意味さ、学歴・会社がステイタス=人を見る目がない社会の記事参照)。大学受験から12年、大学卒業から8年ほど経って、当時勉強していたことがどれだけ今も身についているか考えてみると、ほとんど忘れてしまっていて役に立たないものに

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土台固めこそ丁寧に、時間をかけて

昨日のこれまでの常識がまるっと覆る予感という記事に、『本当に当たり前のことなのですが、中身(知識、技能、技術、人柄、信用など)がないサービスや商品は終わりが早いもので、結局は中身を習得する過程をすっとばしてお金を得ようというのは無理な話なのだなと痛感します。』と書きましたが、自分で書いていて「本当そうだわ」と思い、なんだか励まされました(笑)。世の中身がなさそうなサービスが流行っている(ように見え

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「なぜ?」の問いがすべての原点

知識・知恵・情報・賢さなどについて語るシリーズの続きです。私が昔から勉強好きで知識欲旺盛だった話は今まで何度もしておりますが、私のその好奇心や探求心の原点ともなる問いは「なぜ?」なんですよね。何か問題にぶち当たったり、わからないことがあるといつも「なぜ?」と考えていました(もちろん今も)。私がスピリチュアルやエネルギーのことに関心を持ち、学ぶようになったきっかけも、自身の体調不良がきっかけでした。

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「知識」を「知恵」に変えてゆく

知識・情報・インターネットや知恵・賢さ・教養などについて考えるシリーズをなんとなく始めていこうと思います。以前にも「知識偏重型」って本当に問題なの?という記事に、知識を詰め込むことは悪いことばかりではないという持論を書いていますのでよろしければご覧ください。ここ数日は「知識」と「知恵」ってどう違うんだろう?とか、「教養」ってどうやって身につけるんだろう?「教養」って何だろう?ということを一人で考え

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