娯楽に1500円使うより定額のオーディオブックに使えって結構前に呟いた気がするけど。賢くなりたいなら、古今東西の哲学者の言葉を簡単に聞ける片っ端に聞く。ビジネスなら超1流の聞くのも今の時代を生きるならお勧めというかまずこの二つやって自分が出来ることを選択すれば人生優位に生きれる。
デリカシーはリテラシー。 経験を、想像を総合する能力及び状況や立場を考慮する能力加えて人との関係こそ自分のあれこれを結局は否応なく左右してしまうことを理解しそれを重んじるべく我慢し折り合いを良くするよう勤しむこと、これは勉強に等しい。よってデリカシーはリテラシーなのである。
読書について。 蔵本が増えることに喜びを感じるのはその「本を得ること」においては正当であるが、例えばそれがより多くの知を得られたと考えるのは危険な考えである。なぜと言うに、読書とは元来「知る」でもなく「教わる」ためのものでもなく、いかにもそれは「考える」ためのものであるからだ。
やってみなければ分からない! は真実 さらに言うなら やってみて合わないならすぐ止める! この二重作戦があって初めて 物事はうまく行くことが多い まずはやってみるが やる前に撤退ラインは決めておく ブレーキの使い方が大事 心が強く見える人は 強いのではなく賢いのだ!
「賢い自分」なんて演じる必要はない。 他人に賢く見られたいと思っても、人はそこまで賢さに興味はない。 また、「賢い自分でありたい」なんて考えないほうが人生を楽しめる。 1つ1つの発見を楽しめるし、自分が見たいものを素直な眼で見れる。
頭の良さについて。 頭の良さとは経験によって得られた知識をうまく関連付けて、そしてそこから普遍性、絶対性を見出し、そうして理論や法則を論理的に構築し、そしてそれを頑固に守りそれは当然のことであるとして感覚的に遂行し、そして無駄に気にしない、ということが頭の良さだと僕は思う。
「賢さ」 見るとついつい 吸い寄せられる。
頭の良さよりも、今に合わせて頭をメンテナンスしていかないと、すぐに『老害』や『オジサン』などと、呼ばれてしまいます。よく、賢い人や作家さんが炎上するのは、時代とのピント合わせがずれているから。そうならないためには、常に、情報の取捨選択をして、常識を塗り替えていかないといけない。