村上 ハルカ

1987年生まれ。2015年に突然市役所を退職。ホリスティックな健康をサポートする「Green Cosmo」サイト運営しています。資本主義の次は共同創造・個人の時代。FB友達申請お気軽に。サイトhttp://muraharu.com

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      2020年2月頃から始まった新型コロナウイルス騒動は物心両面で大きな変革をもたらしそう。騒動がらみで考察したことをまとめてます。

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    「する」偏重の世の中で、「ある」についても考える

    この世は「する」偏重の世の中だなと感じることが多いです。何もしないことは悪で、何かをすることが良しとされ、褒められる傾向にあると思います。夢に向かって努力したり、困難に立ち向かったりすることはとても褒められることで、学生時代や若い頃は特に「そういったことが評価されるのだ」、という価値観を持って生きている人が多いのではないでしょうか。これも学校教育やメディア、その他あらゆる物語の影響が大きいのかなと思います。 世の中の闇を知るようになると、「する」ということに非常に慎重になっ

      • ドル箱は精神科、そして産婦人科へ

        昨今のコロナ禍において、主流メディアは医療従事者を持ち上げたり、医療ドラマでイメージアップを図ったりして、医療信仰を続けようと必死になっていますが、この騒動を機に医療・製薬業界がいかに悪魔的か、ということに気づいた人も少なからずいるのではないでしょうか。noteでは何度も書いていますが、私が医療の闇、そしてこの世の闇に気づいたのは、高校生から飲んでいた心療内科の薬の薬害に気づいたことがきっかけでした。そのおかげで今回のワクチンも避けられたので、感謝と言えば感謝なのですが、にし

        • くじ、賞、ランキングはやりたい放題

          コロナ騒動で浮き彫りになったことの一つが、「人々の騙されやすさ」でした。前からわかってはいたことですが、政府やメディアの言うことに何も疑問を抱かない人が本当に多く、ちょっとそれと違うようなことを言うと攻撃されたり、感情的に否定されたりするようなことが自分自身もあり、あぁもうこれはどうしようもないことなんだなぁと諦めが生じてきたと同時に、「人を騙すのってなんて簡単なんだろう。これじゃお金儲けも簡単だわ」などと考えたりもしたのでした。私には良心があるのでできませんが、こういう風に

          • 「投資・ポイ活・ピル」煽りに注意…

            私は以前から、メディアや政府等の体制側が持ち上げ推奨するものを疑い、どういった方向に人々を誘導しようとしているのかを察知するのが好き、というかそういう習慣になっています。私がここ数年気になっているのが、主に雑誌記事を中心とした、投資、ポイ活(ポイントをためる活動)、ピルへの誘導でした。雑誌のサブスクを契約しているので、気に入った雑誌や気になる記事をタブレットで読むことが多いのですが、私が読むような女性向け雑誌はとりわけ、上で挙げたものを取り上げている記事が多いなと感じています

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            個人的に思う「社会で必要とされる能力」2選

            敢えてまとめサイトのようなタイトルにしてみたのですが(笑)、至って普通の記事です。「社会で必要とされる能力」とか、あるいは「就活で企業に見られるのはこんな能力」といった言説は山ほどあり、その回答としてよく見るのはコミュニケーション能力や論理的思考力などでしょうか。まぁそれはそれで大事なのだろうと思うのですが、社会不適合者の自分がある程度世の中を見た上で大事だと思うのはそういった類のものではありませんでした。 どんな仕事に就くにしても大事なのは、「健康な心身(体力)」と「上の

            方便と対症療法まみれの表面的な世界

            私は以前から勉強、学問、試験、大学などについて色々と語ることが多いのですが、世に言う「勉強」≒「試験勉強」や大学という存在そのものについて、まさに「方便」だなぁと思うことが多いです。過去にも試験勉強は作業、本当の勉強は独学という記事に似たようなことを書きました。ある目的のために便宜上行うこと、便宜上の存在、というようなニュアンスです。本質的ではなく、中身がない、中身が問われない。また、「試験」というのは洗脳そのものだと感じていて、ある問いに対して答えはこうであると暗記させられ

            「注意されたくない」のために犠牲になる人生

            いつ終わるのか、コロナ騒動、マスク社会。いい加減普通に暮らそうよ、と思っている人も多そうですが、「コロナ怖い、マスクしなきゃ」の人もまだまだいます。テレビのCMでも「マスクを外しましょう」と言い始めたのにそれでもまだ街を行く人はほとんどマスクをしていて、これは一体どういうわけなんだろうと思うのですが、これはおそらく「注意されたくない」という思いが人生における重要な価値観だからなんだろうなぁと思ったりもしました。私自身、注意するのもされるのも本当に嫌なので、この価値観を強く持っ

            野心・保身・妄信という「シン」御三家

            なんとなく流行りに乗ってみたタイトル(笑)。社会や人々を眺めていて、結局問題の根底にあるのって人間の「野心」「保身」「妄信」じゃない!?と思いつき、なんかゴロが良いぞ~ということで「シン」でまとめてみました。社会的地位の高い人、著名な人は「野心」&「保身」に執心する人が多く、市井に生きるごく普通の人々は「妄信」の罠にハマりやすいものだと感じています。 政治家、官僚、企業のトップなど、支配する側の立場の人間は、そもそも出世欲や金銭欲、名誉欲といった「野心」が強いからこそ、その

            ディストピアの落としどころ

            SFと言われてきたディストピア物語を笑えなくなってきた昨今。一時期ディストピア小説や映画にハマって(今も好き)、いろんな話を見てきました。ディストピアものというのは、だいたいにおいて監視社会が基本となっており、支配者による独裁、洗脳、管理統制が描かれているものが多いです。そして現実社会もその方向にどんどん向かっていっており、こういう世の中が進んでいった先の落としどころはどこなんだろう、と考えることも増えました。 そんなことを考えていて頭に浮かんだのが『未来世紀ブラジル』とい

            厄介な「情」と「マウント心」

            ここ1~2か月くらいの間、私と母親との間にちょっとした小競り合いが発生していました。それによる気づきもあったので少し書いてみたいと思います。ここのところ、母に慢性的なある症状があり、近所のクリニックにたびたび通っていました。私は自然療法について学んでいたことがあったので、「その症状には〇〇が良いとされているよ。私も同じ症状になった時に飲んだことあるよ。」というようなことを軽く言ってみたことがあったんですね。すると「そんな○○なんかで治るわけないじゃん。」と馬鹿にしたように一蹴

            正直に「わからない」と言う誠実さ

            コロナ禍でこれまで以上に「デマ」という言葉を主流メディアからたくさん目に、耳にしたなぁと感じています。政府、マスコミ、アカデミズム(御用学者)というのは、本当に「デマ」という言葉が好きなようで、自分たちに都合の悪い情報はすべて「デマ」と言っているように見えます。ワクチンに関する都合の悪い情報など、ことごとくデマ扱いされていますし、それを真に受け鵜呑みにして信じてしまう人が多いことにも驚いています。主流派メディアの「デマ」は真実と思え!というくらいが、実際は正しいんじゃないかな

            過激になると良い内容も伝わらない

            コロナ騒動が起きてから、これまでより一層、他人の人生にどこまで介入できるんだろう?と考えてきた数年間。noteにも日々考えたことを綴ってきましたが、いつまでもぐるぐる考えてしまっています。特にワクチン接種の是非については意見が真っ二つと言っていいほど分かれており、推奨派も否定派もどちらも身体のことを思っているのですが(一部の推奨派は確信犯かも)、前提となる世界観が違いすぎて常に議論は平行線となり、分断、対立、険悪につながっていきます。この騒動で多くの人間関係に亀裂が入ったもの

            「治療のため」なら何でも許される?

            コロナ騒動でこれまで以上に「健康」「医療」についての関心が高まる昨今。「コロナ対策」と言えばどんな理不尽なことでもまかり通り、全体主義に陥っている…ということは以前の記事でも書いてきました。普段からさして健康に気を遣っているわけでもないのに、政府やメディアの言うコロナ対策には盲目的に熱心に取り組む、というのが多くの大衆の姿。「健康」「医療」を持ち出せば何でも正当化される風潮に違和感しかありません。今回の記事では、最近読んでいた本を手掛かりに、コロナ云々ではなく以前から気にして

            「忙しい、忙しい」という現代の退屈

            他人は自分を映す鏡と言いますが、コロナ禍で親が在宅で仕事をするようになり、「忙しい、忙しい」と常に愚痴りながら、仕事以外の時間はスクリーン中毒になっている姿を見て、「忙しいと言いながらも本当に退屈な人生なんだろうな…」と思いつつ、そう思ってしまう私も人生に退屈している側面があるんだよなぁ…などと考えていました。自分で選んだ人生なのに、やらされ感ばかり、主体性がなく、愚痴多し。最近、『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学』 マーク・キングウェル (著), 小

            悲惨な状況にどう折り合いをつけて生きていく?

            ここ最近のテーマは変わらず、「他人との境界線についての考え方」で、外の世界のあまりに悲惨な状況に対して、精神的にどう折り合いをつけていけばいいのだろうと考えることが多いです。この世はあまりにも救いがないというか…昨今コロナ騒動、ワクチン騒動による分断、差別、薬害もそうですし、中国によるウイグル民族迫害の問題に興味があり調べていた時にも、そのあまりの極悪非道な仕打ちに言葉にできないほどの感情が溢れてきてしまいました。生きとし生けるものの命を軽視するサイコパスと権威を妄信する人々

            被害者に優しくない社会で生き抜くために

            私が常日頃思っている疑問の一つに、我々は種々のハラスメント行為(とその人物)に対して、何か解決策はあるのだろうか、というものがあります。世の中で起きる諸問題には、必ずハラスメント的な構造があり、端的に言えば、強者による弱者いじめ、嫌がらせが、マトリョーシカのようにあらゆる組織、階層で存在しています。そもそもの社会全体が支配層による大衆いじめの構造を持っているし、家庭では親による子どもへの支配・管理的子育て、カップル・配偶者間でのモラハラ、学校での教師・先輩・同級生からのいじめ