AI化は「方便の世界」の監獄

最近(と言っても結構前からですが)何かというとAIがどうの、AIでこんなことができるようになりました、的な話題が多いなぁと感じます。私はテクノロジーに疎めの人間なので、あらゆる製品があるうちのごく一部のことしか知らないのかもしれませんが、今大衆的に世に出ているものに関しては、ものすごく魅力的に感じてすぐ使ってみたーい!という気持ちにはなっていません。まだ様子見というか、色々判断するに至っていない感じです。

ただ、なんとなく危惧しているのが、結局これって人々を「方便の世界」の世界観に閉じ込めることになるのではないか、ということでした。何かわからないことがあったとして、AI(ChatGPTなど)に質問してみると色々答えてくれるのだと思いますが、その回答は「方便の世界」の範囲内のものになるんだろうなと想像します。世間一般で言われていること以上のものはわからない、ということです。そもそも私は世間一般の常識や学校で教わったこと、政府の言うことやニュースで言われていることを信じていないので、なるべくそういったところから離れた情報を集めようと日々心掛けています。ある意味、体制にとって都合の悪い情報をAIから得られることはないんだろうなぁと思いますし、これまでは主にマスメディアや教育を使って洗脳工作が行われてきましたが、これからはAIが主流になる可能性もあるかなと思っています。

これまでにもアプリでオススメされたものを選んでいく人生という記事にAIのことを書いたりしてきました。テクノロジーの発展でこんなこともできるようになった!とか、○○が簡単にできるようになった!といったポジティブな側面も確かにあると思いつつ、なんだか選択肢が狭まるような、世界観が縮こまるような感覚もあり、モヤっとしています。AIのみならず様々な技術に言えることですが、人間があらゆる技術を使いこなせるほど精神的に成熟しているとは思えず、うまく使いこなせれば素晴らしいものにもなるんでしょうが、今のままだと支配層が人々を「方便の世界」にとどまらせ、支配・洗脳するための道具になるんだろうなぁ…という月並みな感想しか抱けないのが現状です。

以前から「方便の世界」とよく書いていますが、その大きな特徴の一つが「方便の世界=虚構」ということです。真実が何もなく、表面的で浅はかなイメージ。何が嘘で何が本当か、わからない。まさにAI化が進むと色んなことが偽装しやすくなり、写真、音声、動画など、様々なものがフェイクで作れるようになっていきます。現在では少しずつ元通りになりつつありますが、コロナ禍において行われたソーシャルディスタンスであったり、リモートでやり取りをするといったことも、今後さらに発展するAI化に関係があったのかなと思ったりしています。画面を通して人と話すといったことに違和感がなくなると、AIディープフェイク動画なども受け入れやすくなるのかなと思ったり(おじさんの顔や声も美女っぽく加工できたり)、また、リモート動画の情報も実は収集されていて、顔の表情や動きなどがビックデータとしてナチュラルなAI生成のために使われたりする可能性もあるかもしれません。

いつも通りまとまりのない文章になってしまいました。私自身もしっかりと考えや見解がまとまっているわけではないのですが、AIの発展というのは、私が思う真実や人生における大事なものから人々を遠ざけるようなものになりそうな気がして、少し危惧しています。うまく言えないけれども、人間自身の人間性の深みや中身が増すような方向性にはならないような気がしています。より浅い、軽薄な方向に向かっていくイメージです。現在の人間のレベルでは手に余るような技術がまた一つ出てきてしまったんだなと思いながら今後の展開を見守っている次第です。

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