「そうかもね」「その説あるね」で良い関係

私は少なくともこのnoteを始めた2016年頃には既にこの世の闇には気づき始めていて、いわゆる陰謀論的な世界観で生きてきていますが、それでも特に気付いていない一般の人たちとの会話に困ることはそこまでありませんでした。しかし、2020年以降のコロナ騒動を機に、ワクチンやマスク、消毒等をめぐる見解や考え方の相違が、人間関係においても大きな影響を及ぼすようになったなぁと感じています。それは私に限らず多くの方が感じていることだろうと思います。外の世界の事象に対する見解が違い過ぎて、自分の思っていることを素直に表現できる場はネット上以外にはなくなったと感じていました。

そんな中でも、以前から書いているように私には本当に親しい心の友と呼べる友人が一人だけおり、なぜその友人とだけは話ができるのだろうかと考えてみたのですが、相手の言うことに対して頭ごなしに否定したりしない、はじめから聞く耳を持たないといった態度を取らないことが大事なのだなとある時気づきました。私は昔から世間的には荒唐無稽と言えるような話をよくしていたのに、友人はどこまで本気にしているかは定かではないけれども、「そんなのあり得ない」とか「陰謀論だ」とか「変なスピリチュアルだ」などと言うことはなく、割と素直に聞いてくれていました。そして今はワクチンも打っていないし、自然との調和の重要性に気づき、自然栽培的なものだったり、発酵食品だったり…そういったものにも興味を持つようになったそうです。

政府やメディアの言うことを信じている人に話しづらさを感じる一方で、陰謀論に傾き過ぎた人とも話しづらいと感じてしまうことがあります(一方的に)。陰謀論系の人の中には過激な思想に走ってしまう人、思い込みが激しい人、自分と考えが違う人を馬鹿にする人も結構いて、そういう人ともなんか合わないなぁ~と感じます。前に健康情報は知識マウントの道具なの?という記事や、メディア情報だけで国際情勢を語る愚という記事を書いたことがありましたが、健康情報にしても政治や国際情勢などにしても、よくわからないことが多いというか、そこまで確信が持てないんですよね。その時々の「見解」というものはありますが、別の情報が出てきたり、何か状況が変わればその考えも変わる可能性は大いにありますし、「あれ間違ってたかもなぁ」と思えば割とすぐに別の説をとれるくらい、暫定的なものとしてとらえています。

外の世界の事象に対する見解はコロコロ変わることが多いですが、絶対に変わらない、確信している思いや考えというのももちろんあります。例えば「ワクチンは(内容やメカニズムはともかく)危険なので打たない方が良い」、「乳児期の母子分離は子どもの情緒に悪影響を与える」といったことについては確信を持っています。今はコロコロ変わっている見解も、ある時から確信に変わる可能性はありますね。よくわからないことについてはいろんな説や考え方をとりあえずためておいているイメージです。

友人もそういうタイプの人なので、お互いが仕入れた説をためていっているようなところもあります。合言葉は「そうかもね」「その説あるね」です。荒唐無稽な話であっても、とりあえず頭の片隅に置いておく感じですね。置いておくと、その説をさらに裏付ける情報が入ってくるときもあるし、別の情報が入ってきて混乱することもあるし(笑)、「やっぱあれは違ったかも」となることもあります。

こうやって書くとなんか簡単そうだし、そんなこと?と思われるかもしれませんが、なかなかこういう反応をできる人は少なく、いたとしたら本当に貴重な存在だと思います。親子とか家族などの親しい関係だと余計に難しいこともあり、政府・メディアを信じている人と色々気づいた人というのは対立してしまう傾向がより強いように感じています。この記事に共感してくれた貴重な方々とは良い関係を築けそうなので、是非今後ともよろしくお願いいたします(笑)。

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