フィクションは 闇が深いほど 美化されて…

例によって五七調のタイトルですが…。前回、楽しみが「与えられた娯楽」だけなのはさみしいという記事で、昨今の推し活ブームや人々の娯楽依存傾向に疑問を投げかけるようなことを書いてみました。私があまり推しや娯楽にのめり込まない方がいいと思っている理由の一つとして、フィクション(テレビ、映画、演劇、小説、漫画、アニメ、ゲーム等)というのは基本的に支配層の息のかかった洗脳工作のツールであり、プロパガンダだから、ということがあります。闇が深いものほど美化されますし、実話をもとにしたもの、歴史ものなどは特に注意深く見ていく必要があると思います。

100%ではないですが、「推し」にはフィクションがつきものなのではないでしょうか。誰かを応援していたら、その人が出る作品は観ようという気になると思います。フィクションの怖いところは、洗脳されていることをあまり自覚されずに洗脳されてしまうところで、知らないうちに潜在意識レベルに強く働きかけられてしまっています。ドラマでよく題材になる定番として、刑事もの、医療ものなどがありますが、刑事は正義の味方、医者は誠実に患者と向き合いその技術もすごい、といった印象を与えるものが多いです。私が中学生の時、ドラマ『HERO』が爆発的にヒットした際に、「検事になりたい」と言い出す人が増えていたことを思い出します。フィクションで描かれる職業に憧れて目指す人、なりたいと思う人は一定の割合でいると思っていて、その影響力は凄まじいものがありますね。最近ではスパイものが流行っていますが、スパイ=頭良くて何でもできてかっこいい、といった美化、洗脳が植え付けられているように思います。実際のスパイは基本的に悪事と関わっています。

実際には正義と反対の…闇が深い職業や業界ほど、フィクションで強く善や光を演出しなければなりません。人気のある俳優を使って、正義やかっこよさを強調していきます。警察や医者が正義で善なわけないのに(そういう個人の方はいると思います)、フィクションの世界ではキラキラです。歴史上の人物を題材にしたものも本当に注意が必要で、工作員ほど英雄として祭り上げられますし、都合の悪い部分はカットして功績の部分を強調してしまうなど、制作者側のなんらかの意図が入ってきます。いくらフィクションだと言っても、無防備な観客はそれをその題材の本人の印象へと重ねてしまい、イケメン俳優が演じた○○(歴史上の人物)はきっと素晴らしい人だったに違いない…と深い部分で思い込んでしまったりします。それを制作者側は狙っているということですよね。

あと最近はLGBTものも如実に増えていて、これも体制側の意図を感じますね。私は市井に生きる一般人のLGBTの方については特に何も思わないですが、体制側が意図的に広めようとしていることに対しては敏感に反応しますし、抵抗感もあります。「これも洗脳工作だな…」というセンサーがどうしても反応してしまうんですよね。あからさまな同性愛ものでなくても、男女のラブストーリーの話なのに、途中で同性愛のキャラクターが出てきたり…というような、さりげない形で入れ込んでくることもありますね。体制側からの「家族の多様性」のような文言はいつも注意深く見るようにしています。「多様性」は否定しにくい思想なだけに、それにかこつけて洗脳しやすい万能ワードだと思います。

人々を推し活や与えられた娯楽に夢中にさせることは、体制にとって都合の良い洗脳を強化するための強い推進力となります。爆発的にブームになるような作品というのは背後になんらかの意図があると考えられますし、強く洗脳したい何かがあるはずです。これはフィクションに限らず、あらゆる報道やニュース、SNSでバズった投稿など、全般に言えることではありますが、それを人々に広く流行らせようとする意図や思惑を汲み取り、注意深く物事を見ていくことが大事なのではないかなと思っています。

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