見出し画像

パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜 その3 フリードリッヒ(フェデリコ)2世の人生最大の成果 ルネサンス 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 NHKさんの作品を取り上げ、平和への1つの切り口、史実を元にした深堀りをするという話です。

(特に駐在したイスラエル、飽きるほどデレゲーションのアテンドで行ったエルサレムと私の人生に大きく影響を与えた稀有な経験に直結しています。ですから食い散らかした現役時代を卒業したこともあり、コンテンツとして残す事に意義ありという認識です。立ち止まって丁寧に考察して行きます。)

 今回はフリードリッヒ(フェデリコ)2世の人生最大の成果についてです。
(閑話かなぁ…。ヨーロッパのキリスト教的なバイアスにも触れちゃぃます。)

 専門家の

以下の切り口は私には新鮮でした。
…………………………………………………………………………………………

 2003年にNHKスペシャルで平和裏に行ったフリードリッヒ2世の十字軍を放送したことがありました。

文明の道

第1集 アレクサンドロス大王 ペルシャ帝国への挑戦
第2集 アレクサンドロスの遺産 最果てのギリシャ都市
第3集 ガンダーラ・仏教飛翔の地
第4集 地中海帝国ローマ・東方への夢
第5集 シルクロードの謎 隊商の民ソグド
第6集 バグダッド 大いなる知恵の都
第7集 エルサレム 和平・若き皇帝の決断
第8集 クビライの夢 ユーラシア帝国の完成

 その “第7集 エルサレム 和平・若き皇帝の決断” という番組です。

  今回はそれに比べると更に具体的な内容でした。(再掲しますね…)

 私たち日本人には、エルサレムの統治を平和裏に解決したことは、理想的な解決と思われます。
 しかし、ヨーロッパでは教皇庁と決定的に対立したフリードリッヒ2世に対して決して良い印象を持っていないように思います。それも国によっても評価が違うように思います。人間感情に及ぼす宗教の影響は計り知れないものがあります。

 そういう文脈で彼の人生を俯瞰すると彼が十字軍から帰った後に行なったアヴェロエスの注釈によるアリストテレスの諸著の翻訳とその後世に及ぼした影響の方が、エルサレムの統治に比べるとはるかに大きな歴史的業績だと思います。
 それまではアウグスティヌスの宗教哲学しかない時代でした。そこに異教の思想が入ってきた訳です。それはキリスト教の教義とアリストテレスの思想の対立で1260~72年にわたって大論争になりました。それが教皇庁を窮地に追い込みます。
 結局は、トマス・アクィナスが折り合いをつけて一段落します。因みにトマス・アクィナスは、フリードリッヒ2世の重臣の息子でした。宮廷で翻訳したアリストテレスを皇帝が設立したナポリ大学で学んでいます。

 この大論争がなければ14,5世紀のルネサンスは起こり得なかったでしょう。

 ヨーロッパのキリスト教徒にとって異教のイスラムの文化や学問を重んじたフリードリッヒを評価したくない感情が根強くあるようです。

…………………………………………………………………………………………

 この内容、そこだけでも理解するに勉強不足の私としては数日を要しました。”ルネサンスを先駆けた皇帝“のp171からの部分を精読したり、

ルネサンスを先駆けた皇帝

その前後の世界史の教科書、資料集レベルでの復習から初め、世界史の一般的な扱いを調べてみました。その丁寧な作業自体を楽しんでいる感じです。

 イスラーム科学の再評価は、最近の資料では取り上げられだした感じです。アラビア語からラテン語への翻訳は、イベリア半島、トレドでのイブン・シーナーやイブン・ルシュドの話まで。アリストテレスの扱いも翻訳活動によってヨーロッパに紹介されたという扱いは無く、結果としてのスコラ学に影響を与えたというところまででした。

 因みに十字軍も2回と5回は記述が有りません。5回はフリードリッヒ(フェデリコ)2世がエルサレムを平和裏に統治した回です。こんな感じで上述の背景を今更ながら理解した次第です。
 
 日本もヨーロッパの歴史観に沿った扱いなのだということなのですね。

 今のところここまでなのですが、フリードリッヒ2世の理解という切り口を通じて、世界史や科学史に対しての知的欲求が覚醒した思いがしています。

 イスラエル、テルアビブに駐在して、飽きるほどエルサレム等にも行った私としては、

ヨーロッパに拡散していったキリスト教の変容には違和感を禁じ得ません。

 因みにこんな資料も今回の事前調査で気になりました。ご参考まで。


…………………………………………………………………………………………[経緯]
 その1では、神聖ローマ皇帝のフリードリッヒ2世がその理性的な能力を発揮し十字軍として交戦すること無く、交渉でエルサレムの統治権を得たという史実の話でした。

 その2.1。その偉業を成し遂げたフリードリッヒ2世が3歳で父を亡くし、4歳の時に母方の持つシチリアの王となりました。そしてその理性的な能力の根源を、同年母が他界する4歳までに得たという話でした。そして… (格別の知識·能力を持って)4歳で孤児になったのでした。

 その2.2。その後の児童期の話。
 
 母からの幼児期のエリート教育、教皇からの児童期前半のエリート教育、そして多民族の思惑の中で揉まれた経験がファンダメンタルズ形成の礎となったようです。

 その2.3。少年期父親の元部下のドイツ人による教育と地中海交易盛んな市中を徘徊し得た経験、そして歴代王の残した蔵書の乱読という話でした。

 その2.4はフリードリッヒ(フェデリコ)2世が平和裏にエルサレムを統治できた背景、特に教育という切り口での詳細な考察のまとめでした。

…………………………………………………………………………………………


 




この記事が参加している募集

最近の学び

世界史がすき

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?