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パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜 その2.4 平和裏にエルサレムを統治できた背景のまとめ(教育) 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 NHKさんの作品を取り上げ、平和への1つの切り口、史実を元にした深堀りをするという話です。

(特に駐在したイスラエル、飽きるほどデレゲーションのアテンドで行ったエルサレムと私の人生に大きく影響を与えた稀有な経験に直結しています。ですから食い散らかした現役時代を卒業したこともあり、コンテンツとして残す事に意義ありという認識です。立ち止まって丁寧に考察して行きます。)

経緯
 その1では、神聖ローマ皇帝のフリードリッヒ2世がその理性的な能力を発揮し十字軍として交戦すること無く、交渉でエルサレムの統治権を得たという史実の話でした。

 その2.1。その偉業を成し遂げたフリードリッヒ2世が3歳で父を亡くし、4歳の時に母方の持つシチリアの王となりました。そしてその理性的な能力の根源を、同年母が他界する4歳までに得たという話でした。そして… (格別の知識·能力を持って)4歳で孤児になったのでした。

 その2.2。その後の児童期の話。
 
 母からの幼児期のエリート教育、教皇からの児童期前半のエリート教育、そして多民族の思惑の中で揉まれた経験がファンダメンタルズ形成の礎となったようです。

 その2.3。少年期父親の元部下のドイツ人による教育と地中海交易盛んな市中を徘徊し得た経験、そして歴代王の残した蔵書の乱読という話でした。

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 ここまで丁寧に辿ると、天賦の才と稀有な経験。そりゃ無敵の国際人にもなれるなぁと思えて来るから不思議です。

 彼のシチリアという多様な文化の交わる地域での幼少期での経験が、ネイティブの部分での各民族への深い理解とそれぞれの民族へのフラットな思いに繋がっています。最近の日本ならさしづめ池袋、新宿、渋谷辺りでも良いかも(笑)。しかも同時に比べれば遥かに安全。あっ安全じゃ意味ないか(笑)
 そしてそれらを学問というツールを活用したり、敢えて庶民の中に身を置き昇華させて、知的に振る舞うことでの平和の醸成という1つのソリューションという思いに至って居ると理解しました。

 13歳時点での仕上がり状況が詳細に残っています。

 その2.2で後見となった教皇から派遣された教育係としての宰相たる大司教が、シチリアで復職した時の王子の状況報告という形での史料です。

 まず初めに12歳の時。大司教から見ると一見して王子とは思えない程荒削りな態度と風体というところから。私からすれば頼もしく育った感じが良く伝わります。大司教というセンサーから見ればそりゃ驚きの間違った方向への成長と見えたでしょう。
 それから1年後、粗野な面が見事に解消されてからの報告の事実だけを拾ってみると…

 先ずは身体は鍛え抜かれていました。剣術、弓、馬術にも長じていて、瞬発力、持久力が人並外れて居るレベルまでに達している事は、大司教にも解るほどの仕上がり。 
 
 時間の使い方も大司教から見れば驚き。1日中身体を鍛え、深夜まで勉強。さしずめ高校野球で優勝した慶應高校の学生さんという感じでしょうか…

祈りの時間にも兵学書を読んでいたようです。

 私も世阿彌の風姿花伝を読経の時には読んでしまいます。レベルが違うか(笑)

それ以外は…

·所謂イケメンで王としての威厳、風格もあり、聡明で輝く目をしている。(とべた褒め。)

·陽気、利発、鋭い判断力を、持っていて、他人の忠告は鵜呑みねせず自分で判断する。

·王ではなく少年と見下されることを酷く嫌う。

·全ての監視人を嫌い限度を超えた振る舞いもあり、大司教としては粗野と見える交友(例えばキリスト教信者としては禁止されている異邦人との交友、特にアラブかなぁ)も平気でする。

·知識としては既に大人である。

·君主としての威厳もある。

といった感じだった様です。

 今の日本なら小学校6年生か中学1年生ということで、その時点で既に容姿端麗、運動神経抜群、頭も良く、性格も明るいと言う基本ができていて、しかも日々努力してそれが維持、拡大されていたのですから素敵ですよね~。

 フリードリッヒ(フェデリコ)2世が平和裏にエルサレムを統治できた背景、特に教育という切り口での詳細な考察としては、本編に掲げた13歳時点での仕上が1つのリファレンスとなるということで、一旦のまとめとさせて頂きます。

蛇足 
 結構私に似ているかも、…なんちゃって(笑)





 


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