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【歴史21】スイス史備忘録28(ジュネーヴ市民階層・ヘルヴェティア協会・フランス革命余波・スイス人傭兵部隊壊滅)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①18世紀の段階では市民総会はほぼ開催されなくなった。政治参加の権利を持つ人はほぼいなかった。 ②商工業が発達したジュネーヴには近隣から多くの労働者が集まっていた。市民は4つの階層があった。有力な商工業者や上流市民のシトワイヤン、新商工業者はブルジョワ、市外移住労働者層のアビタン、その子孫のナティーフである。 ③統治中枢の小参事会(二十五人会)に入る資格があるのはシトワイヤンのみであった。ブルジョワは拡大市参事会(二百人会)に入れた
【歴史21】スイス史備忘録23(フランス語圏改革・ギョームファレル・ジャンカルヴァン・予定説・ハインリヒブリンガー・ユグノー戦争・トリエント公会議・対抗宗教改革・カルロボロメオ・イエズス会)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①1532年にベルンからジュネーヴにフランス出身の改革派指導者のギョーム・ファレルが派遣された。 ジュネーヴはベルンのサポートを受けて1536年にサヴォワ公に忠実な司教による支配から抜け出した。 ②ベルンはサヴォワ家領ヴォー地方を占領した。ヴォー地方の中心都市ローザンヌではベルン市当局の指導で1536年10月に公開討論会が開かれて宗教改革が進んだ。 ③1536年にフランス人ジャン・カルヴァンが改革派の教えを記した『キリスト教綱要』
【歴史21】スイス史備忘録39(近代スイス文化人・第1次世界大戦・中立国スイス・三国協商・中央同盟・ヴィレ将軍・ロシア革命)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①19世紀のスイスでは文化が大きく成長した。 チューリヒの作家ゴットフリートケラーはスイスのドイツ語圏を代表する文学者である。長編小説『緑のハインリヒ』により「スイスのゲーテ」と呼ばれた。 ②チューリヒのヨハンナ・シュプリは『ハイジ』の原作者である。アルプスの自然に囲まれた山村に暮らす人々を舞台とした文学作品である。③ベルンのアルベルト・アンカーは「干し草のなかで眠る少年」などスイスの国民画家と呼ばれた。 ジョヴァンニ・セガンティ
【歴史21】スイス史備忘録24(黄金同盟・梯子作戦・三十年戦争・グラウビュンデン改革派・ヴァルテリーナ・イェルクイェナチュ)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①スイス改革派のなかでチューリヒとベルンがジュネーヴと 1584年に保護同盟を成立させて連携を強化した。 ②スイスのカトリック邦は1586年に黄金同盟を結んだ。翌年に黄金同盟はカトリックのサポートに力をいれていたスペインハプスブルク家のフェリペ2世と同盟関係を築いた。 ③1602年にジュネーヴの領有を目指すサヴォワ公はエスカレード(梯子作戦)と呼ばれる奇襲を仕掛けた。ジュネーヴの市民の抵抗により失敗したのでサヴォワ公はジュネーヴ支配
【歴史21】スイス史備忘録25(防衛軍事協定・三十年戦争終結・農民同盟・第1次フィルメルゲン戦争・ルイ14世体制・傭兵契約同盟更新・武装中立宣言)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①三十年戦争ではグラウビュンデン以外のスイス諸邦は中立政策をとっていた。中立であったがスイス領土には度々外国の軍隊が侵入してきた。1646年と1647年にはスウェーデン軍がボーデン湖岬に侵入してスイスの境界地帯を脅かした。 ②盟約者団はスイス東部の町であるヴィールで会議を開いた。十三邦の同意を得た防衛軍事協定を締結した。十三邦、従属邦、共同支配地による共通の軍事組織の編成が可能になった。 ③三十年戦争は1648年に終結した。講和条約
【歴史21】スイス史備忘録35(自由主義急進派・文化闘争・チューリヒ工科校・ヌーシャテル放棄・修好通商条約・イタリア王国・ドイツ帝国)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①1848年11月に小選挙区制での連邦議会選挙が行われた。この選挙でリベラル派と急進派が圧勝して7人の閣僚は全員自由主義急進派となった。②7人のうちにカトリックと非ドイツ語圏出身者から2名ずつ選ばれた。自由主義急進派以外(保守派)は完全に下野した。 ③新政権は地域・宗教間の対立に直面した。ルツェルンといったカトリック州は与党による中央集権化や工業化、教育の近代化に反対した。④教皇ピウス9世は1869年に開始された第1ヴァチカン公会議で
【歴史21】スイス史備忘録30(小復古体制・調停法・ナポレオン戦争・神聖ローマ帝国滅亡・ロシア遠征・ナポレオン下野)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①フランスではナポレオンが1799年11月に実権を握って各国の軍隊を撃破した。1801年2月にオーストリア、1802年3月にイギリスと和平を結んだ。フランス軍はスイスから撤退した。 ②ナポレオンはヘルヴェティア共和国を解体し始めた。ヴァレーを独立邦としてアルプス交通を確保した。 ③スイスの代表者をパリに招いて1803年2月に各邦の体制を定めた調停法を作成した。これが小復古である。スイス革命以前の分権の旧体制と革命後の新体制が共存した
【歴史21】スイス史備忘録32(産業革命・自由制限・自由主義再生・七邦協約・ザルネン同盟・半邦・近代学校教育制度)
スイス史の学習内容を深めていきます。 ①イギリスでは18世紀末から19世紀の初めに蒸気機関や水力紡績機が実用化されて産業革命が起きていた。 ②ナポレオン戦争の終結後にスイスでは近代的な工場が建設された。繊維製品や時計製造のみならず1819年にフランソワ・ルイ・カイエを始めとするチョコレート工場がつくられて板チョコがスイスの名物となった。 ③1820年代には蒸気船がつくられてスイスの主要な湖や河川で 運航するようになって観光客を運んだ。 ④当時のスイスは営業の自由は制限