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蛇足 『ナショナル・ストーリー・プロジェクト 全2巻』
本書は五人の翻訳者が分担し、全体のある程度の統一を柴田元幸が担当しているのだそうだ。その五人の中に岸本佐知子がいる。10年前に岸本を含む座談を聴いた。2014年2月9日に世田谷文学館で行われた「おかしなトークショー」と題されたもので、登壇者はクラフト・エヴィング商會の二人、岸本佐知子、古屋美登里の四人だった。
かつてテレビのある生活をしていた頃(つまり2007年9月22日以前)、よく観ていた番組
ポール・オースター編 柴田元幸 他訳 『ナショナル・ストーリー・プロジェクト 全2巻』 新潮文庫
5月に一週間ほど入院した。入院中に退院予定日の夕方に予約を入れておいたマッサージ店にその後も通うようになった。その店は普段利用している駅の隣の駅の駅ビルにある。ビルと言っても二階建てで、一階がスーパーで二階はマッサージ店のほかに書店や床屋などが入っている。その書店の品揃えが気に入っていて、マッサージに出かける度に何かしか買って帰る。先日ここに上げた『古本屋 タンポポのあけくれ』もそこでたまたま目に
もっとみる「私」と「あなた」の幻想 『新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』
ホモ・サピエンスが誕生して30万年だか20万年が経過したらしい。6万年前まではアフリカ大陸で暮らしており、日照への対応を考えれば皮膚の色は褐色系であっただろう。6万年前あたりに何があったか知らないが、アフリカを出て世界中に拡散を開始した。緯度が変われば、日照時間と日照強度が変化し、日照が変化すれば植生が変化する。植生が変われば、そこで暮らす動物の種類も変わり、移動した先でホモ・サピエンスが手にする
もっとみる信条について 『新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』
もうすぐ都知事選挙だ。よく、初対面の相手と政治や宗教を語るべきではない、などという。これは欧米の精神科医が患者のカウンセリングに際して注意すべきことのひとつとして言われていたものが世間に拡散したものらしい。
欧州の長い歴史の中で、様々な民族の移動があり、ローマ帝国のような大国家が成立したり消滅したり、キリスト教が成立したり分裂したり、時に大規模で長期にわたる武力紛争があり、ペストの大流行のような
国境について 『新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』
初めて日本の外に出たのは1984年3月だった。大学3年と4年の間の春休みにオーストラリアに出かけた。なぜオーストラリアだったのか、今となっては記憶に無いのだが、「外国」といえばアメリカという世間一般に抵抗してみたかったが、かといって前人未踏の土地に出かけるほどの根性がなかったというだけのことだろう。しかし、初めての外国はオーストラリアではなかった。格安航空券で往復したので、往路は成田を発って、福岡
もっとみるハンナ・アーレント 著 大久保和郎 訳 『新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 みすず書房
アイヒマンとは、オットー・アードルフ・アイヒマン(Otto Adolf Eichmann、1906年3月19日 - 1962年6月1日)のことだ。彼は戦時中、ナチス親衛隊員でユダヤ人移送局長官としてユダヤ人問題の「最終的解決」のためユダヤ人を強制収容所に移送する指揮を執ったとされている。戦後は名前を変え、旧ドイツ内で何度か住まいを変えた後、アルゼンチンに移住して暮らしていた。1960年5月11日に
もっとみる菅野康晴 『生活工芸と古道具坂田』 新潮社
『ひとりよがりのものさし』の編集後記のような本。2022年11月に坂田和實が亡くなった後、新潮社の「青花の会」とその周辺では坂田関連企画が続いた。不定期に年3回ほど発刊される『工芸青花』という会員制の機関誌が坂田趣味風の内容であり、その編集長である菅野はかつて月刊誌『芸術新潮』で編集者として坂田関連企画を主導したという経緯がある。
その『工芸青花』も「青花の会」も、過剰に理屈ぽい気はするが、メデ
ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 豊臣秀吉篇』 中公文庫 第四巻から第五巻まで
プーチンがドイツにいた頃
俺はプー太郎で
兄貴はプーさんだった
近所にプーシキンがいて
朝昼晩シーチキンを食っていたっけ
飼っていたプードルは
毎日カップヌードルの蓋を集めていた
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ
2015年12月に佐賀にある名護屋城跡を訪れた。そこを目指して行ったのではなく、別件で佐賀を訪れた際についでに立ち寄ったのである。博物館があるものの、それがなければ日本最大級の城郭が
ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 織田信長篇』 中公文庫 第一巻から第三巻まで
うっかり全巻買ってしまった。さまざまなところで史料として本書に言及されることがあり、以前から気にはなっていた。フロイスは1563年7月、31歳の時に来日、1597年7月に長崎で亡くなった。この長期に亘る日本滞在は宣教師としてというよりは、当初から本書『日本史』執筆を目的としていたようだ。これは日本の歴史という意味ではなく、キリスト教の「日本布教史」であり、イエズス会の布教資料である。来日前はゴアの
もっとみる退院後一週間 備忘録
5月12日 日曜日
午前 退院する。今の妻と前妻との間の娘が出迎えに来る。娘とは病院前で別れ、妻とタクシーで帰宅する。
帰宅後、妻と近所のクリーニング店に行き、頼んでおいたコート類を受け取る。その衣類を持って妻は帰宅。私の方は普段の理容店に出向き、頭を刈ってもらい、顔を剃ってもらう。
帰宅して昼食をいただく。入院中は運動量が極端に少ないので空腹になろうはずもなく、形式的なものだ。
一服後、