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ハンナ・アーレント 著 大久保和郎 訳 『新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 みすず書房

アイヒマンとは、オットー・アードルフ・アイヒマン(Otto Adolf Eichmann、1906年3月19日 - 1962年6月1日)のことだ。彼は戦時中、ナチス親衛隊員でユダヤ人移送局長官としてユダヤ人問題の「最終的解決」のためユダヤ人を強制収容所に移送する指揮を執ったとされている。戦後は名前を変え、旧ドイツ内で何度か住まいを変えた後、アルゼンチンに移住して暮らしていた。1960年5月11日にブエノスアイレス近郊でイスラエルの諜報特務庁関係者により拘束され、イスラエルへ移送されてエルサレム地方裁判所で裁判を受けた。拘束理由は「ナチス及びナチス協力者処罰法」違反であり、同法に基づき「ユダヤ民族に対する罪」をはじめとする15項目の理由により起訴された。法廷で被告アイヒマンは起訴理由全てに対し「起訴状の述べている意味においては無罪」を主張したが、判決は死刑。控訴審を経て最高裁で死刑が確定し、1962年6月1日に執行された。

私がダッハウを訪れたときはまだ二十代半ばだった。当時はそこで何かを考えることはなかったと思う。たぶん、今再訪しても、特に何も思わないかもしれない。一応、『夜と霧』も読んだのだが、何も記憶に残っていない。そんなわけで、愚鈍な自分の人生の流れのようなものが強制収容所跡を訪れたくらいのことで影響を受けたとは思えない。今、本書を読んでも、アイヒマンが特別な人であるとは思えないのである。

アイヒマンがイスラエルの法廷に立つことになった理由は、彼がナチス親衛隊の幹部隊員としてユダヤ人の強制収容所への移送を担ったことにある。法廷で彼は自分がユダヤ人あるいはシオニズムに対して特別な感情や考えを持っていたわけではなく、法と組織の規則に忠実であっただけだと主張したという。

彼自身警察でも法廷でもくり返し言っているように、彼は自分の義務を行なった。命令に従っただけではなく、法律にも従ったのだ。アイヒマンはこれは重要な相違であるといろいろほのめかしたが、弁護側も判事もそんなことは問題にしなかった。<上からの命令>と<国家行為>という使い古された言葉がしきりに取り交わされた。これらの言葉はニュルンベルク裁判の時にもこうした問題についての議論のあいだじゅうしきりに使われたのだが、その理由はほかでもなく、まったく前例のないことが前例や現行の標準に従って裁かれ得るという錯覚をこれらの言葉が与えてくれるからなのである。

189頁

ナチス親衛隊(Schutzstaffel (SS))はナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)内部の組織であって、本来はアドルフ・ヒトラーの護衛組織であり、国軍や警察とは違う。親衛隊員は同党指導者たるアドルフ・ヒトラーに対して宣誓するのであって、国家に対して宣誓するのではない。アイヒマンはSSという組織の一員としてその指示命令系統に忠実であり、ドイツ帝国国民として法律に対しても忠実であり、故に起訴内容に関しては無罪だと主張したのである。本当にそう考えていたのなら、偽名を使ってアルゼンチンに移住せず、本名のままドイツあるいは終戦時に住所があったオーストリアに留まってもよかったはずだ。そうでなかったのはSS隊員で、しかも比較的高位にあったということで身の危険を感じた所為もあるだろうし、或いは戦時中の己の行いに何か思うところがあったのかもしれない。

ホロコーストが「国家行為」であったことは、ユダヤ人自身がそれに関与していた事実からも明らかだ。「国民」として法に忠実にユダヤ人がユダヤ人を強制収容所に送ることに関与していたというのである。

アムステルダムでもワルシャワでも、ベルリンでもブダペストでも、ユダヤ人役員は名簿と財産目録を作成し、移送と絶滅の費用を移送させる者から徴収し、空屋となった住居を見張り、ユダヤ人を捕えて列車に乗せるのを手伝う警察力を提供するという仕事を任されており、そうして一番最後に、最終的な没収のためにユダヤ人共同体の財産をきちんと引き渡したのだ。

165頁

全般的に過剰気味のこの訴訟の資料に、ある部分だけ不思議な脱落がある理由は、この問題によってのみ解明されるからである。判事たちはその一つの例として、H・G・アードラーの『テレージエンシュタット、一九四一—四五年』(一九五五年)が欠けていることを指摘している。検察側は少々困惑しながら、この本が「信頼し得る、反駁の余地のない資料に基づいた」著作であると認めた。この本を無視した理由ははっきりしている。この本は恐怖の的だった<輸送者名簿>がどのように作られたかを詳細に描いている。すなわちSSがいくつかの一般方針を与え、送られるものの人数、年齢、性別、職業ならびに出身国を定めたうえで、ユダヤ人評議会がリストを作成したのである。

167頁

絶滅収容所で犠牲者の殺害に直接手を下したのは普通ユダヤ人特別班だったという周知の事実は、検察側証人によっていさぎよくはっきりと確認された——彼らのガス室や屍体焼却炉での働きを、屍体から金歯を抜き毛髪を切り取ったことも、墓穴を掘り、また大量殺人の痕跡を消すため後になってふたたびその同じ穴を掘りかえしたことも、死刑執行人すらユダヤ人が務めるほどにユダヤ人の<自治>が実施されていたテレージエンシュタットでは、ユダヤ人の技術者たちがガス室を作ったことも。

172頁

社会というものは、そこで暮らす圧倒的大多数にとっては与件的な枠組みだ。生まれたときに既に存在していた制度の下、それらの多くを遵守すべきものとして己の生活を考える。或る特定の特性を備えた集団が社会の中で排除されるべきものとの合意なり権力側からの指示や命令があれば、その妥当性を議論する余地は実質的に残されていないというのが現実なのではないか。

社会生活の中で、所属組織内部での役回り上、そこでの判断や行為が結果として公序良俗に反することになるというのは、程度の差こそあれ、現実にあることだろう。個別具体的に事例を列挙することはしないが、マスメディアで報じられる「不祥事」の多くはそういうものではないか。そう考えれば、誰もが「アイヒマン」になり得るということになる。

アイヒマンが異常な性格の持ち主であったなら、法や組織の秩序に忠実な一人の人間が大量殺戮の当事者になるということの説明は簡単だ。しかし、アイヒマンは普通の人だった。

アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。われわれの法制度とわれわれの道徳的判断基準から見れば、この正常性はすべての残虐行為を一緒にしたよりもわれわれをはるかに慄然とさせる。なぜならそれは——ニュルンベルク裁判でくり返しくり返し被告やその弁護士が言ったように——、事実上 hostis generis humani (人類の敵)であるこの新しい型の犯罪者は、自分が悪いことをしていると知る、もしくは感じることをほとんど不可能とするような状況のもとで、その罪を犯していることを意味しているからだ。

380-381頁

著者であるハンナ・アーレントもユダヤ人なのだが、彼女は本書の追記の中で以下のように本件を総括している。

私が悪の陳腐さについて語るのはもっぱら厳密な事実の面において、裁判中誰も目をそむけることのできなかったある不思議な事実に触れているときである。アイヒマンはイアーゴでもマクベスでもなかった。しかも<悪人になってみせよう>と言うリチャード三世の決心ほど彼に無縁なものはなかったろう。自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。そうしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。もちろん、彼は自分がその後釜になるために上役を暗殺することなどは決してしなかったろう。俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。まさにこの想像力の欠如のために、彼は数カ月にわたって警察で訊問に当たるドイツ・ユダヤ人と向き合って座り、自分の心の丈を打ち明け、自分がSS中佐の階級までしか昇進しなかった理由や、出世しなかったのは自分のせいではないということを、くり返しくり返し説明することができたのである。大体において彼は何が問題なのかをよく心得ており、法廷での最終弁論において、「(ナチ)政府の命じた価値転換」について語ってる。彼は愚かでなかった。全く思考していないこと——これは愚かさと決して同じではない——、それが彼のあの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。

395頁

何だか少し芝居がかった台詞のように見えてしまう。追記の中の記述であることからも、無理やり結論めいたものを押し込んだかのように見える。人の理性とはどれほどのものなのだろう。思考するとかしないとか、怵惕惻隠の情があるとかないとか、そんな単純なことなのだろうか。人間は自分で思うほど理性的でもなければ特別な生き物でもない、他の多数の生物種と同じ一つの種に過ぎないという当然の現実がここにあるというだけなのではないか。

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