熊本熊

1962年 埼玉県蕨市生まれ 今思うことのあれこれの備忘録 忘れちゃってもいいんだけど…

熊本熊

1962年 埼玉県蕨市生まれ 今思うことのあれこれの備忘録 忘れちゃってもいいんだけど なんとなく、ね。

マガジン

  • 読んだ・観た・聴いた

    本や雑誌などを読んで思いついたこと。書評とか感想は上手にまとめる人がたくさんいるので、そういうものはそういう人たちにお任せする。本の内容とは全く関係なく見えることも少なくないが、自分の中でつながっていることに間違いはない。たまに観る映画のことも同様に。

  • 2024年4-6月

    2024年4月から6月に投稿した記事

  • 2024年1-3月

    2024年1月から3月に投稿した記事。

  • 帯に短し襷に短歌

    素朴に歌を詠むということへの憧れがある。素朴に詠めるようになりたいと思うのである。とにかく詠んでみないことにははじまらない。「こんなものは短歌とはいいません」なんて言われたっていいじゃないか。

  • 2023年10-12月

    2023年10-12月に投稿した記事

最近の記事

大野晋 『日本語の起源 新版』 岩波新書

言葉のそもそもに興味がある。人類は20万年ほど前にアフリカ大陸で生まれ、6万年ほど前にアフリカ大陸から世界中に拡散を始めた、というのが今のところのざっくりとした見立てらしい。10万年以前の人骨とされるものが中国大陸や欧州で発見されているものの、発見の状況や発見されたものの状態から、それらがアフリカ起源説を覆すほどの物証にはなっていない。いずれにせよ、現在世界中に暮らす80億の人々の元を辿れば一所に行き着く。その80億の人々が話す言語は6,000から8,000ほどあり、その数は

    • 勝俣鎮夫 『一揆』 岩波新書

      4月、新学期、新年度。「イッキ、イッキ、イッキ、、、」というのは今はやらないらしい。強要するとハラスメントとかナントカで、マズイことになるというのだ。私は下戸だが、若い時分には決死の思いでやった。あれをやらずに済むというのはいい時代だと思う。「イッキ」というのは私にとっては物騒なものだった。ところで、一揆も物騒だ。 先日読了した笠松宏至の『徳政令』の関連で本書を手にした。「一揆」というのは反乱行為のことを指すのだと思っていたのだが、それ以前の結社を指すらしい。たしかに、自然

      • 池谷和信 『人間にとってスイカとは何か カラハリ狩猟民と考える』 臨川書店

        初めて野生のスイカというものを目にしたのは1984年3月、オーストラリアを旅行したときのことだ。アリススプリングスだったか、エアーズロックだったか、内陸の砂漠の道を歩いていて、道端にソフトボール大の縞柄スイカがなっているのを見つけた。けっこうたくさんゴロゴロしていて、ひとつ割ってみたら中は白かった。特に誰かが採取したりするようなものではなく、ただ雑草のように自生しているとどこかで聞いた。 本書で取り上げられているカラハリ狩猟民はスイカを水源として生きてきた。人間の身体の約7

        • 笠松宏至 『徳政令 中世の法と慣習』 講談社学術文庫

          落語に『雁風呂』というのがある。米朝と圓生の動画でしか聴いたことがないのだが、この噺は大いに繁盛した上方の商人である淀屋辰五郎がお上から御取り潰しになったことをネタにしている。その御取り潰しは俗に「淀屋辰五郎の闕所」と呼ばれるが、闕所になったのは淀屋五代目の淀屋廣當である。 大阪に淀屋橋という橋がある。淀屋橋のそもそもは、淀屋が米市の人々の往来を便利にしようと私財を投じて建設したものとされている。元禄10年(1697年)に米市が堂島に移されるまでは、橋の南詰、中之島で米市が

        大野晋 『日本語の起源 新版』 岩波新書

        マガジン

        • 2024年4-6月
          4本
        • 読んだ・観た・聴いた
          221本
        • 2024年1-3月
          15本
        • 帯に短し襷に短歌
          115本
        • 2023年10-12月
          16本
        • 2023年7−9月
          17本

        記事

          古今亭志ん朝 『世の中ついでに生きてたい』 河出文庫

          先日、noteでシズさんがビックリハウスのことを書いていたので、懐かしさを覚えてコメントを付けた。 シズさんの返しにある「お母さんに聞いてください」は「ボクのあの本、どうしたでしょうね?」に対応している。これは『人間の証明』という1977年に公開された映画のトレイラーに使われていて、テレビでのCMなどで盛んに流されていた劇中のセリフに由来している。 示し合わせたわけでもないのに「ボクのあの本、どうしたでしょうね?」で「あ、あれね」と思いつくのは同じ時代を生きた間柄ならでは

          古今亭志ん朝 『世の中ついでに生きてたい』 河出文庫

          蛇足 『職人歌合』

          「職人」というのとは違うのだが、「職人」で思いついたことがある。道楽で陶芸をやっている。2006年10月に陶芸教室に通い始めた。今となっては何故始めたのか記憶が無い。作業はごく個人的なものなので、他の生徒と特に親しくなるわけでもなく、ただ毎週出かけて何事か作業をして、先生と話をして帰ってくる。始めた頃は上手く作ろうとか、こういうものああいうものを作ろうとか、当然のように欲があった。ある程度技量が上がると、ひょっとしたら作家として生きていけるかも、などと妄想を抱いたこともあった

          蛇足 『職人歌合』

          網野善彦 『職人歌合』 平凡社ライブラリー

          「職人」という言葉に何を想うだろう。私は堕落した賃労働者なので、自分の腕で暮らしを立てる気概を持つ「職人」には憧憬の念を抱いてしまう。今の時代は「職人」で食っていくなど至難のことだろう。 食っていくには世間の経済原理や市場原理に付き合わないといけない。自分が拵えるものや提供する用役の「品質」は何がしかの尺度とデータでデジタル表示が可能なものでなければならず、それに対して別の尺度による「価格」というこれまたデジタル表示のものによって「市場」から評価されて、売れたり売れなかった

          網野善彦 『職人歌合』 平凡社ライブラリー

          網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』岩波現代文庫

          本書では「東日本と西日本」という章を設けている。宮本の方でも明確に東西を分ける境界のようなものは語っていないが、山とか河川のようなはっきりしたものではなく、集落の分布の濃淡のような連続的段階的変化を俯瞰しての分類だろう。日本というクニの成り立ちとしては、九州から近畿にかけての地域を中心に展開し、そこから東へと拡大した。西日本においても「神武東征」といった神話が示すように権力の広がりとして西から東へという流れがある。また、鎌倉幕府を開いた源頼朝から大政奉還の徳川慶喜まで実体とし

          網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』岩波現代文庫

          宮本常一 『忘れられた日本人』 岩波文庫

          本書はずいぶん前に読んだのだが、最近になって網野善彦の『『忘れられた日本人』を読む』を読んで、本書を再読する必要を感じて手に取った。また、先日手元に届いた興福寺の寺誌『興福』203号で佐田尾信作氏が「民俗学者宮本常一と大和路」という連載を開始されていたのも本書を読み返す縁になった。私は素朴に自分というものに興味があり、それに関連して民俗とか民族とか言語とか、さらには人類史とかいうものに漠然と関心を払っているので、この手の本には自然に手が伸びる。 今の職場で毎週木曜日の昼休み

          宮本常一 『忘れられた日本人』 岩波文庫

          たまに短歌 カラスが鳴いたA地点

          ほうほけきょ白梅香る白日夢 カラスが一羽ニヤリと笑う そのときは梅に夢中でほうほけきょ A地点からカラス飛び立つ 真似ているつもりがあるか太カラス 姿を見せろここで一節 ひと月ほど前のことである。銚子に出かける前にカメラにあるフィルムを使い切ってしまおうと、陶芸の後に六義園を訪れた。駒込駅からすぐという好立地ということもあり、陽気が良いとかなりの人が集まるのだが、さすがにこの時期は好天でものんびりできる。その六義園でのことである。 園内を時計回りに歩いて、池の向こう側

          たまに短歌 カラスが鳴いたA地点

          たまに短歌 思い出したこと

          とっくりを さんざんならべ ふとおもう ちょうしにのるな でんしゃのじかん 徳利をさんざん並べふと思う 調子に乗るな電車の時間 酒はそれほど飲まないので、この歌のような経験は無い。「とっくり」と「ちょうし」を掛けることで頭がいっぱいになっていて、何か言ってみたいのである。それに、無理に短歌にしなくてもよさそうなものだが、自分でこのnoteの題材を歌、俳句と読書ネタと決めているので、ここに書くからには何か詠まないと、という思いもある。 昨年2月にフィルムカメラを購入し、そ

          たまに短歌 思い出したこと

          たまに短歌 一年経過

          ひととせを むいにすごして はるがくる ふりむくさきを わらいたおして 一年を無為に過ごして春が来る 振り向く先を笑い倒して 雨の降る寒い日だった。昨年の今時分、フィルムカメラを買った。電源の必要のない、それでいてしっかりと動く機械を触ってみたかった。今時そんなカメラを新品で手に入れようとするとライカくらいしか思いつかない。仕事帰りに銀座のライカ直営店に立ち寄ろうと思った。かなりの出費になるが、それ相応に覚悟はした。つもりだった。 大手町にある職場を出て、地下道で地下鉄

          たまに短歌 一年経過

          松岡宏大 『ひとりみんぱく』 国書刊行会

          広告に弱い。築60年近い公団住宅に暮らし、テレビを持たず新聞を読まず、自家用車や自転車を持たず、というような無い無い尽くしの生活だ。昨年まではエアコンも無かった。物を持たない主義、ということでは全くなく、たまたまそうなっているだけで、実は広告やセールスに弱い。広告や売り手の弁舌に感心するといらないものでも買ってしまう。にもかかわらず無いもの尽くしの暮らしであるのは、世間の広告が自分に響かないものばかりだからなのだと思う。 先日、郵便で国書刊行会のチラシの束が送られてきた。パ

          松岡宏大 『ひとりみんぱく』 国書刊行会

          たまに短歌 徳利持参

          ひとつだけ思い立っての旅の空 天気も呆れ照らすしかなし 撮り鉄の熱き心に呆れつつ 己が心の熱さ知らずに 春の陽が照らす徳利の肩越しに ぬれ煎餅や醤油のアイス 長いこと道楽で陶芸をやっている。昨年は徳利ばかり拵えた。年末になって漸く徳利っぽいものができるようになった。それで、銚子に出かけようと思った。銚子に自作の銚子を持参したら面白かろうと考えたのである。銚子に自作の銚子を持参する、ただそれだけのために出かけた。 休日の銚子は思いのほか人が多かった。但し、銚子電鉄周辺だ

          たまに短歌 徳利持参

          田中克彦 『差別語からはいる言語学入門』 ちくま学芸文庫

          やっぱり田中克彦はおもしろい。差別ということについては近頃妙に喧しい所為もあって、関心が無いわけではなかったのだが、本書を読むと己の関心が薄弱であることがよくわかった。自他の別の延長として差別もあるのだろうが、それは言葉によって如何様にもコントロールできる、その原理的なところについて考えさせられた。 本書の記述はかなが多い。意図的に漢字をあてることを避けているかのようだ。おそらく、漢字による表記が読み手に与える印象や先入観といったものをできるだけ排除したいのだろう。それがど

          田中克彦 『差別語からはいる言語学入門』 ちくま学芸文庫

          宮本常一 『女の民俗誌』 岩波現代文庫

          やっぱり宮本常一はおもしろい。丹念に人に会い、信頼関係を築いて相手の経験とその先にあるものを聞き出して記録してゆく。字面としては個人のなんでもない経験なのだが、そこにその人の生きた社会や時代の習俗が反映されており、それらを集めて俯瞰することで人というものの何事かが見え隠れするようになる。なかなか容易なことではない。そもそもそんなことで暮らしが立つとは思えないし、それで生きていこうとは誰も思わないのではないか。しかし宮本は久しく在野の民俗研究者として暮らし、57歳で大学に職を得

          宮本常一 『女の民俗誌』 岩波現代文庫