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ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 織田信長篇』 中公文庫 第一巻から第三巻まで

うっかり全巻買ってしまった。さまざまなところで史料として本書に言及されることがあり、以前から気にはなっていた。フロイスは1563年7月、31歳の時に来日、1597年7月に長崎で亡くなった。この長期に亘る日本滞在は宣教師としてというよりは、当初から本書『日本史』執筆を目的としていたようだ。これは日本の歴史という意味ではなく、キリスト教の「日本布教史」であり、イエズス会の布教資料である。来日前はゴアのイエズス会管区長の下で欧州向けにアジア各地から集められた報告書の整理の任にあり、そうした報告書の中には当然に日本発のものもあって、来日時において既に日本の事情に通暁していたらしい。

組織内部の文書ということで、日本での布教活動が上首尾であるとの記述や表現にバイアスがかかるのは仕方がない。そういう書き手の事情というものは何を読む場合でも考慮しないといけない。それにしても、布教に関する部分はやや目障りだ。布教資料に布教に関する記述を避けるわけにはいかない。それでも読み進めるうちに慣れてくる。慣れというのは怖しい。

勝手な想像だが、日本に長く滞在したからといって必ずしも日本に特別な思い入れを抱いていたとは限らないだろう。私も就職して40年近くになるが、気がついたらそうなっていたというだけのことで、志のようなものがあって日々賃労働に励んでいるわけではない。フロイスと小生如きとを比較してよいのか、と思わないわけでもないのだが、人は神の下に平等であるらしいので大丈夫だろう。

一巻毎だと内容が中途半端なので、ある程度まとまって読んだところで、駄文を綴ることにする。まずは一巻から三巻までで構成される織田信長篇。といって、まとめてもみなくても駄文がマシになったりするわけではない。ただ全十二巻読み通すことができるかどうかなんてわからないので適当に区切ってみるだけのことだ。また倒れてしまうかもしれないし。

信長は海外事情に強い好奇心を抱いていたようだが、単なる好奇心というよりも、日本の天下を統一したということがどのように外国に伝わり、認識されるか、という観点からの興味・関心であり、政治的野望の一側面としてのことであったようだ。フロイスの側もそのあたりの事情は察していたようで、信長はキリスト教徒にとって現実的に最強の後ろ盾であったとはいいながら、そこに関する記述には揺れがあるように感じられる。また、足利将軍家もキリスト教に対して好意的であったかのように書かれている。時の権力が自分たちの側にあるということは、やはり、こういう報告書としては盛り込んでおきたい。組織人だもの。

本能寺後、日本の権力は秀吉を中心に再編されるが、それは4巻以降で記述される。はっきりしているのは、本能寺までは多少の揺れがあるとはいえ基本線として信長礼賛一辺倒であった記述が、信長亡き後になると多少批判めいた記述が交じるようになり、その後の体制に応じて如何様にも対応しようとするかのように、見解のバランスが意識された慎重姿勢に転じることである。ここは読んでいて思わず前を読み直すようなことが何度となくあった。

現代のマスメディアが実態として大本営の如くであるのは時代の特徴なのかと思っていたが、本書にもそれっぽい雰囲気があることを知って、「そういうことか」と腑に落ちた気になった。ざっくり言うなら、人間とは社会的動物であり、その社会性とは自己が置かれた世界を構造として認識するということだ。肝心なのはその構造の中で自己の存在が明確でないと人の精神は不安の中で圧壊する。いわゆる自己承認欲求が満足されていないと、人はその満足を求めるべく異常な行動を起こすことすらある。時に方向を見誤り、反社会的行動に出て自己承認を得てはみたものの、その「承認」とは不適格者としての承認であって、社会から排除されてしまう逆説的な結果を招くこともある。社会構造をどのように認識し、その中で自己をどのように位置付けるかということを人はそれぞれに一生をかけて考えている。たぶん、自己認識は少し甘めで他者に対する認識はかなり厳しめだ。その結果が今この眼前に広がる世界だ。珍事珍談のオンパレードで傍目には愉快痛快この上ないのだが、自己承認という個別最適の集合が社会全体の秩序の崩壊という全体最適に至るその真っ只中にあって、地球誕生以来40数億年の間に誕生した生物種の99.99%が絶滅したという本書とは全く関係ない話がふと腑に落ちる。

また、考慮しないといけないのは、フロイスの時代が現代とは比較にならないほど移動が容易ならざるものであったということだ。フロイスはリスボンの生まれで、彼の地でイエズス会に入会、16歳でゴアに赴任し、そこでたまたまフランシスコ・ザビエルと薩摩出身の日本人ヤジロウと出会う。ザビエルとヤジロウはその翌年に日本へ向かう。短期間の出会いではあったが、それがフロイスの日本に対する興味を掻き立てた、と本書の解題には記されている。ザビエルの後を追うようにフロイスも日本を目指すが、機会に恵まれず、冒頭に書いたように31歳で来日を果たすまでゴアでイエズス会の組織人としてキャリアを積むことになる。16歳で故郷を後にして以降、ポルトガルには戻っていない。赴いた先で文字通り「背水の陣」の覚悟で暮らしていたのではないか。今なら東京からリスボンまでは欧州内でワンストップするとして所要時間は約20時間、格安航空券で往復約10〜20万円だ。帰国しようと思えばいつでもできる。しかし16世紀にはそういうわけにはいかなかった。帰りたいと思ったところでどうこうなる話ではなかっただろう。おそらくイエズス会という組織への帰属、キリスト教信仰という精神面での支え、といった限られたことが自己の拠り所であり、そうした心情を抱えた人間が本書を書いたということは、やはり読者として心に留めておかなければならないだろう。

ついでながら、本書が「報告書」としてどのように利用され、その後の組織やその活動に如何なる影響を与えたのか、少なくとも最初の三巻を読んだだけではわからない。本書の底本となっている写本は、リスボンのアジュダ王宮図書館、ポルトガル海外史文書館、トゥルーズの故サルダ氏の文庫、ポルトガル国立図書館などに分散しているものをつなぎ合わせたものとのこと。原本は1835年1月にマカオのイエズス会学院の書庫で火災のために焼失したらしい。フロイスが人生の半分の時間を費やして自己承認を確立すべく執筆に励んだ大著は、彼の存命中に上長であるヴァリニャーノの承認を得ることができずヨーロッパには送達されなかった。長崎からは発送されたもののマカオのイエズス会学院の書庫に埋もれ、18世紀にポルトガル政府が海外にある同国関係文書を整理した際に見出されていくつかの写本が作られたものの再び放置され、火災で永久に失われてしまった。自己承認とやらの儚さを体現したような話だ。人ひとりの人生というのは本来的に哀しいものなのかもしれない。

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