永禄12年(1569)4月8日は信長がイエズス会宣教師ルイス・フロイスに京都居住と布教を許可した日。理解者の足利義輝が討たれた後に京都を追われ4年ぶりの布教再開。キリシタン大名の高山友照(右近の父)らの尽力があったとか。権力者都合で保護されたり迫害されたり状況は変わるものですね。
慶長2年(1597)5月24日はポルトガルのカトリック宣教師ルイス・フロイスが65歳で長崎で亡くなった日。イエズス会士として日本を訪れ信長や秀吉と会見しキリスト教の布教の許可を得た。彼が記した「日本史」はヨーロッパから見た当時の日本や日本人について記した貴重な資料として残る。
永禄5年(1562)6月15日、初のキリシタン大名になる大村純忠が横瀬浦(長崎県西海市)をポルトガル船との貿易港とした日。宣教師ルイス・フロイスもここから上陸。大河「信長」はフロイスが語る信長像。記憶にあるのは毎回ドラマ最後の彼の言葉「アテブレーベ・オブリガード」くらいかも…。