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白鳥の歌 65;ルイス・フロイスとマルクス

【白鳥の歌 65】

 毎年年末か年始には新しい年の自分の年齢で死んだ先人のことを考える。ネタ本は山田風太郎の「人間臨終図鑑」なのだが、もちろんそこに描かれた人物の最期で、自分がなんらかの感慨を擁している死の姿を選ぶ。

 前年は、檀一雄について書いた。https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/2121529507980733

 65歳になる今年は、ながめて見る中で少しは馴染みのある人物に、ルイス・フロイスとカール・マルクスがいた。信仰に捧げ尽くして地の果てであった日本で他界した宗教者と、宗教はアヘンであると言い放った稀代の無神論者である。

 フロイスは以前、天正遣欧使節の一人、後に棄教してカトリック教会から背徳者の烙印を押される千々石ミゲルについて書いた時に触れた。

https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/1766903993443288

この信仰心に溢れた宣教師は、布教対象としての日本を研究するための「日本史」を書き上げたが、その真意は教化という名の武力制圧も辞さぬ日本征服であり、日本人奴隷の売買にもかかわっていた。そのような一神教的な苛烈な支配欲が、千々石ミゲルに棄教という道を選ばせたと私は思っている。

 時の権力者秀吉も日本の仏教を排撃するバテレンの行状に不信を抱き、やがてキリスト教を追放するにいたる。日本での宣教が行き詰まった時に、この遠い異国で、こころざしを果たせることなく彼は死んだ。彼が排撃しようとし、焼き討ちをくらわせ罵ってきたこの国の神々は、彼をかの国の人たちの天国に引き渡しただろうか。

 マルクスについては、あまりに多面的で毀誉褒貶の激しい巨人で、どこからその死を眺めていいのか途方に暮れる。マルクスのイメージは、その死後から現在までマルクス主義国家がなしてきた多くの横暴残虐野蛮によって、これ以上にないほどに貶められている。だが、その当の本人のマルクスは死の3年前、「マルクス主義的」なフランス議会選挙綱領に対する意見を求められて、「確かなことは、僕はマルクス主義者ではない」とそれを批判している。確かに「資本論」は革命のための指針でもなければ、反資本主義のイデオロギーの書でもない。それは純粋に学問的に、資本主義というシステムの全体を明晰に分析しきろうとした、科学的認識の書である。

(僕自身は、50歳を過ぎてから見田宗介の「現代社会の存立構造」とD.ハーヴェイの「資本論入門」を脇に読み進めながら、ようやくおぼろげながらに輪郭をつかめた本だ。)

 「資本論」第一巻を書き上げたマルクスは、仲間の革命家たちからは神格化されながらも、すべての知力体力を著作に注ぎ尽くした後のように次第に健康を害し、結核を病む。ドイツの貴族の娘でマルクスが「トリアで一番美しい娘」を手に入れたと生涯喜んでいた妻イェニーが、自らの死の1年あまり前に亡くなる。それによってマルクスの健康も一気に悪化した。保養に渡ったアルジェリアでは、そこに渦巻いていた半植民地闘争にはまったく興味を示さず、亡き妻と三人の娘との「家庭的な生活」をひたすら恋い慕う手紙を書いた。だが、家に帰ると妻の死の翌日に倒れた長女のイェニー(母と同じ名)を、彼が看取ることになる。母と共に献身的に秘書として父に仕えた短い生涯であった。

 能力があり権力のある男性の元で才能ある女性たちがいかに不遇な人生を送ったかということをフェミニズムの立場から告発的に描いたインゲ・シュテファンは、マルクスの妻イェニーが家政婦との不倫と隠し子関係を含む、マルクスの負の側面をすべて引き受け、自分の才能を殺して有能な秘書として夫に仕えてきたと言う(「才女の運命 有名な男たちの陰で」)。そしてマルクスの自慢でもあった三人の美しい娘たちは「その後、ひじょうに問題の多い「遺児」となってしまった。娘たちの歩んだ道は、母親が抱えていた問題をもう一度、陰鬱に反映してみせ」たのだ、と。

 末娘のエレアノールは、姉妹のなかでもっとも社会運動に打ち込み、第二インターナショナル設立にも重要な役割を果たしたが、夫に裏切られて自殺する。彼女の活動を描いた映画「ミス・マルクス」が昨年公開されたが、「前に進め」というキャッチコピーにもかかわらず、その映画は「毒親マルクス」に育てられてダメ男の夫から離れられなかった女性の悲劇としても観ることができる。また、自殺の遠因に、エンゲルスがマルクスの家政婦に生ませて引き取ったとされていた同士フレッディー・デムートが実は父マルクスの子どもであったことを知ったことがあるという。

 真ん中の娘、ラウラも父親に献身的な仕事をし、父親の遺志を継ぐ男性と結婚し、活動をともにした。三人の中でもっとも長く生きたが、70歳になったら自殺すると決めていた無神論者の夫とともに、夫が70歳になった日に青酸カリによって夫婦心中した。自分はまだ66歳だった。

 マルクスとその娘たちのすべてが鬼籍に入ってから10年後、ソ連邦が独裁的全体主義国家となりドイツと結ぶのを見みたプラグマティズム哲学のアメリカ人ジョン・デューイは、マルクスの思想の根底にはドイツ観念論であるヘーゲル主義が、唯物論的に逆立ちさせられただけで、その絶対主義的性格と直線的で不可逆的な歴史進化主義として保ち続けられていると言う。そして、それがナチズムとマルクス主義を同じ方向に向かわせたと批判した。その見方は、今に至るまでマルクス批判の祖型になっている。

 同時にしかし、その基本的思想は、終末に向かう時間の不可逆性という一神教的文化に共通するものであり、ダーウィンの進化論にも、熱力学にも共有されて、現代の自然科学全体の基礎をなしている。そのような一神教の文化・思想がルイス・フロイスの日本に対する態度に強く影響していたし、今回のコロナ禍でも、自然科学を標榜する者たちによる社会全般への不当な支配を正当化していると思う。

 科学であることを自ら頑迷に主張しながら、それから逸脱して、社会・人文学のレベルとして最高峰となったマルクスの思想は、マルクスと生をともにして影響をうけた人々の苦難ばかりとなった人生と、その思想の影響を受けて権威と独裁の世界を実現してしまった者らが死に絶えてから一世紀近くたった今、ようやくその真価を再び見いだされる時がくるのかもしれない。

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