高木 俊介

高木 俊介

    最近の記事

    書評:「ドキュメント 戦争広告代理店  情報操作とボスニア紛争」高木徹著

    2022年3月26日 記 ゼレンスキーの国会議員会議室でのリモート講演が話題になっているが、僕があれを「スタンディング・マスターベーション」などと茶化すものだから、良い気持ちのしなかった人も多いだろう。 https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/pfbid02k2TrEJrbDCGZpbfhQnGmEUha7mxLGN1nndXTo5wW1dnd21QDScLC1cHRdwSemY5Yl (僕のあの記事に絡んでくる

      • 『医者が飲まない薬 誰も言えなかった「真実」』(宝島社)、発売になりました。

        先日発売になった、僕も「薬では「心の病気」そのものは治せない」というタイトルの第5章に載っけてもらっているインタビュー集。 タイトルが『医者が飲まない薬 ~誰も言えなかった「真実」』という怪しいジャンク本の雰囲気満載である。宝島社だもの。タイトルだけで引いてしまう人もいそうなんで、中味の紹介をしておこうと思う。一言で言えば、タイトルに似合わぬ、まじめに「臨床現場」から語られた本である。 僕をのぞく4人のうち、森田洋之、児玉慎一郎、長尾和宏の三氏は直接の知り合いである。

        • 【『精神科の薬について知っておいてほしいこと』 あとがき抄】

           今、この本の著者である J モンクリフさんの最新論文はうつ病のセロトニン仮説に根拠がないことをメタアナリシスしたもので、海外でも大きくとりあげられてるが、業界内ではやはりほとんどお約束の薄っぺらい批判や、そんなことは前からわかっていたという語るに落ちた捨て台詞の嵐に迎えられている。  以前、メディカル・トリビューンという業界誌にこの本の著者 J モンクリフさんの論文を僕が紹介した時には、この国の業界人からも同じ批判と無視をくらった。  今回もそうなると思うので、先手を打

          • 書籍紹介:ウルトラ・ハイパー・メリトクラシー社会をつきぬける

            【書籍紹介:ウルトラ・ハイパー・メリトクラシー社会をつきぬける】 インディーズ系人類学者の磯野真穂さんから献本いただいた。といっても磯野さんは著者ではなく、著作の「伴走者」であったらしい。著者は勅使川原真衣さん。『「能力」の生きづらさをほぐす』。著者の名も当然知らなかったし、出版社は「どく社」というこれまた聞いたことがない出版社。なので、送ってもらわなければ一生出会わなかった本かもしれない。だがこれがめっぽうオモシロかったので、出版後も本と人の出会いに奔走する磯野さん、これ

            【生命科学クライシス:リチャード・ハリス著、白揚社 2019】

            先日偶然同じカウンターで飲んでいた女性が、アメリカの大学研究室に日本の製薬会社から派遣された学者で、彼女から医薬研究の95%は再現できないということを聞いた。 それで調べてみたら、どうやらこの本で話題になっていることらしい。帯に「効果を再現できない医薬研究、約90%」とあるから、酒の席だけあってちょっと盛っていたわけだ。 僕が紹介すると批判的でちょっぴり反科学的な本だと思われるかもしれないが、中身はいたってまじめ、真剣な科学ジャーナリストの著作で、効果再現が90%しかない

            【pハッキングとしてのパンデミック・エビデンス】

            なんかコロナ禍の世界、「データサイエンティスト」を名乗る人たちがひたすらあれは有意差がないからありえない、これは有意差があるから真実だみたいなことを言い散らかしている。 だけど、最新の統計学では有意差を区切るP値に対する批判、疑義が議論されはじめている。 このシェアしたブログ記事は、アメリカ統計学会の声明として出た、「p値や有意性に拘り過ぎるな、p < 0.05かどうかが全てを決める時代はもう終わらせよう」という主張。最終的に、「p値そのものだけではモデルや仮説に関するエ

            『危機の時代の精神医療  変革の思想と実践』

            『危機の時代の精神医療』(日本評論社 2022/9/26刊行)の「あとがき」です。このコロナ・パニックの中で思った、現代社会と科学の関係の歪みについてかきました。 ========== あとがき   おお、やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも気づかずにゐた。                    金子光晴 「おつとせい」より    すこしも気づかずにいる。時

            この時代に(この時代だから)久野収を読み直す

            (久野収「歴史的理性批判序説」岩波モダンクラシックス. 岩波書店. 1977/2001) 久野収が70年代に残した言葉が、今のコロナ禍の時代、特に感染症対策という統計的人間観が支配するこの時代の空気をみごとに予言し分析していると思う。 「専門的相対主義がファシズムの絶対主義と戦いうるためには〝寛容〟原理をこえなければならない。〝寛容〟原理の中にとどまるかぎり、ファシズムと反ファシズムの両方に〝寛容〟原理が適用され、各々の文化形態の専門的相対主義がそのまま絶対化され、自分の

            白鳥の歌 65;ルイス・フロイスとマルクス

            【白鳥の歌 65】  毎年年末か年始には新しい年の自分の年齢で死んだ先人のことを考える。ネタ本は山田風太郎の「人間臨終図鑑」なのだが、もちろんそこに描かれた人物の最期で、自分がなんらかの感慨を擁している死の姿を選ぶ。  前年は、檀一雄について書いた。https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/2121529507980733  65歳になる今年は、ながめて見る中で少しは馴染みのある人物に、ルイス・フロイスとカール・

            酒と本の日々:濱野ちひろ「聖なるズー」 集英社,2019

            夢中になって読み切った。 ドイツにある動物性愛者の団体ゼータを中心に、著者が接した動物性愛者ひとりひとりへの丁寧なインタビューの書で、著者がDVのサバイバーであり、その傷の癒えないまま性を考える手がかりとして研究テーマに選んだのが動物性愛。 動物性愛については、僕は「獣姦」という用語で変態視されていた時代に知った知識のままだったので、はじめて知る動物性愛者たちの繊細なセクシュアリティに心身が揺さぶられる経験をした。現代に生きる彼らの動物との全人間‐動物的コミュニケーション

            書評:ショシャナ・ズボフ「監視資本主義」(2021/2019)と、堤未果「デジタル・ファシズム」(2021)

            【ショシャナ・ズボフ「監視資本主義」(2021/2019)、堤未果「デジタル・ファシズム」(2021)】 久々に大著を読み上げる。「監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い」。抜群に面白く、多くの実例とそこから抽出された理論、そして時に扇情的で時に詩的な語り口は、確かにマルクスの資本論を彷彿とさせる。  書名の邦訳が、Surveillance Capitalism をこれまででの慣例で直訳すれば「監視資本主義」なのだが、これまでの「監視」について書かれた書籍が、バウマンのものにし

            グローバリゼーションvsインターナショナル

            (ずいぶん以前に書いた文章がでてきたので再掲。「コロナ後の時代」の「新しい生活様式」なるものに対抗するためにもこの方向で考えていくことが必要になるかも知れない) TPPに反対したりWHOの偏った健康政策や欧米の一方的な人権外交に疑問を呈すると、かならずといっていいほどグローバル化の時代に何を寝ぼけたことを言っているのかというイチャモンや軽い侮蔑、からかいに出会う。確かにグローバル化は人類の進歩にともなって自然に起こる善悪を超えたことのようにみえるので、なかなかこれを言い負か

            書評・紹介:ジグムント・バウマン著(澤田眞治他訳)「グローバリゼーション ‐人間への影響」法政大学出版局、2010

             原著は1998年、現代グローバリゼーションが本格化したのは、国際間の資本移動が完全に自由になった時(水野和夫による)とすれば1995年であるから、その直後の包括的な論評であり、その慧眼に驚かされる。著者は現代社会の流動性と新たな貧困に対する研究で有名な社会学者。本書はグローバリゼーションが現代社会を生きる人間にどのような影響を与えるのかを政治・社会・文化の面から考察した報告書の体裁をとっており、あくまで分析であり、対処や提言はいっさいない。それだけに乾いた文体で淡々とグロー

            【たくさんの木々の立つ中に】

            <追悼:樹木希林>                        2018/10/21 時間がないのと興味の優先順位とで演劇の舞台を見ることは、まずない。それなのに、演劇関係の本には好きなのがあって、宇野重吉の「桜の園」演出ノートなどは愛読書のひとつである。 樹木希林が亡くなって、いろいろ話題を読むうちに、どっかで彼女の面白い対談があったなと、もどかしく沈んでいる記憶があり、ようやく探し当てた。 草野大悟「俳優論」(晶文社:1992)。 52歳の若さで才能を惜しまれながら

            【KYOTOGRAPHIE2021へ寄す】

             一晩の間に急に冷え込んだ京都、戸惑った木々が急いで老いた葉を風に散らせはじめた街では、半袖Tシャツ一枚の若者と早くも革ジャンを着込んだ背を丸めた僕が行き違う。Tシャツ一枚の若者と早くも革ジャンを着込んで背を丸めた老いた僕が行き違う。  今年もKYOTOGRAPHIEを最後の週に行き当たりばったりに巡る。昨日はコロナ禍の世界の様相を三条京都博物館に、今日は朝から二条城で東北からの谺を。  Erwin Olf という僕らの同世代の、すでに巨匠と言ってよい写真家が、おそらく僕ら

            7月の幽霊たち ~「ブラザー軒」によせて

            文月は7月になると無性に聴きたくなる唄がある。 高田渡の「ブラザー軒」。 詩は菅原克己(宮城県生まれ、1911-1988)。 仙台青葉区の一番町「ブラザー軒」は実在の店で、太宰治の「惜別」に出てくる。行ってみたいと思いながらも機会のないまま、2015年に閉店してしまった。 七夕の夜に「僕」が店でかき氷を食べていると、死んだ父親と妹が入ってきて二人で氷を食べる。二人には声がなく、二人には僕が見えないまま、二人はキラキラと氷の粒が七夕の星のように輝き、サクサクと氷が静かに囓られ