藤本 柊

本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、絵を描いたりします。文章も書いてみたいと常々思っていたので、この場をおかりして綴っていきたいと思います。

藤本 柊

本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、絵を描いたりします。文章も書いてみたいと常々思っていたので、この場をおかりして綴っていきたいと思います。

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    綴りはじめ

    私が「文章」に触れた1番はじめの記憶は、幼稚園のころだったとおもう。園には「絵本のへや」という、図書室があり先生たちが読み聞かせをしてくれたり、紙芝居をしてくれたり、白い画用紙で作った冊子に自分で絵を描いたりおはなしを作ったりすることもしていた。本の貸出もしてくれていた。 私はそのへやで、「ピーターラビットのおはなし」を借りていた。ビアトリクス・ポター作、いしいももこ 訳 の小さな絵本。 はじめはその、小ささが気に入って手に取ったのだったが、ゆっくり読んでいくとうさぎが可愛ら

      • 本たらし。

        読書が好きです。 本屋さんと、図書館と、常に読みたい本が手元にあることに幸せを感じています。 図書館の本があるのに、本屋さんで本を購入してしまう浮気者みたいな気持ちについて。 私の利用している図書館は、市民図書館で返却期限は2週間。1人10冊まで借りられます。 この前読んだ本の作家さんの、別の作品を読んでみよう、とか、そのときの気分や興味に素直に、気軽に手にとっています。 ついつい、3冊4冊と借りてしまい、2週間で読みきれずに、延長したり、返却したりすることになるのですが

        • チャイ。

          コーヒーでも紅茶でもなく、 「チャイ」で。 とある商店街にあった、異国情緒ただようお店。インドの布や、象や、キリンみたいな木彫りが並ぶお店。店主は、白髪まじりでお髭で温厚で、エスニックなベストを着て、吃音で聞き取りにくいけれど、それすら差し支えなく穏やかなお店。店主の奥さんが、優しいツッコミをいれながら、朗らかなやりとりで成り立つお店。 母に連れられて、その「木利夢」というお店へに行ったのは、私が15歳ころだったか。 落ち着いた照明で、晴れた日には外の通りが明るく、インド

          • 笑ってはいけない。

            恵方を向いて 願い事を心におきながら 途切れないように 長い恵方巻きを皆で食す 途中で話したり 笑ったりしてはいけない 皆が一方向を見て ただ静かに 目を瞑ったりしながら 一心に 恵方巻きを食す 猫が ナァー とないても きゅうりのパリポリが響いても 一心に食す 笑ってはいけない 願い事を願いながら 途切れないように 恵方を見つめて たまたま恵方は南南東で たまたま我が家の玄関は南南東で たまたま 夫が何にも知らず 「ただいまー」 と帰ってきたとしても 「。。。

            ロマンチスト。

            貴方を食べてしまいたい。  離れていても、同じ時を刻んでいたい。 今すぐに会いにいくよ。 貴方は魔法使いだ。 貴方はもっと愛されるべきだ。 このまま時間が止まればいいのに。 おそらく、私はロマンチストである。 隠してはいるけれど。 冒頭の台詞は、真顔で言ったことがある。 ある女性アーティストが、 「ロマンチストな人が好きかも知れません。私、リアリストなので、ロマンティックな詩が書けないんです。コンプレックスなんですけど。ロマンティックな言葉に惹かれます。男性アーティストに

            「ふたりぼっち」だった。

            ラジオを聴いていました。 「ワンオペ育児で、子育てがつらい」という投稿について、リスナーさんやパーソナリティーさんが話すのを聴いていました。 「お母さんが笑顔でいることが一番だから」 「完璧じゃなくていいんだよ」 「保育園や頼れるところを頼って」 私は、お母さんになって19年くらいになります。3人の女の子のお母さんです。 私が初めてお母さんになったころ、を思い出していました。 夫は会社員で、そのころは朝 出勤したら夜の9時くらいまで、赤ちゃんと二人の生活でした。 私は

            「詩」 小さな傷。

            いつの間にか 小指から赤い血がでていた 痛みもないうちに 赤い血が滲んで 何か付いたのか?と それは血で   薄く浅く けれどもサックリと切れて 夕方 小指から血がでたけれど 同じ指のまたちがうところ 絆創膏をはるほどでも とはいえ しくしくといたむ 知らぬ間に血もとまり 治ってしまうのだけれど 小さな傷は しくしくといたむのです 絆創膏をはるほどでも そういうものです でもいたいのです

            「詩」 シャンプー

            後ろから抱きしめて 少し小さな貴方の髪に埋もれた 「いい匂い」 何度も 何度も 太くてくせっ毛な自分の髪を 嫌だと言う貴方の 髪の匂いが好きだった 「柊はいいね、サラサラで」 やさしく撫でる貴方を 一番近くで感じていたかった 「柊ならいいよ」 貴方もまた 私を受け入れてくれた 「友達」をこえて 新しいシャンプーが 貴方の匂いがする 貴方のことを思い出すことも ほとんどなくなっていたけれど 寝返りをうつたびに 貴方の匂いがする   「いい匂い」 またそう思える

            雑談のスキル。

            雑談が好きだ。 家族との、友人との、美容室での、取引先との、なんでもない会話。 はずむと嬉しい。 とても楽しい。 かつて学生だったころ、雑談が溢れていた。 朝から晩まで、友だちとくだらない話を延々としていた。会話は尽きることなく、下校中、日が暮れるまで話していた。 「何をそんなしゃべることあるの!?」 と母に呆れられていた。 けれども、大人になった今、雑談はかなり減ったように思う。あれほどまで、雑談が溢れていた日常は、どこへ行ってしまったのだろう。 雑談というのには、ス

            っぽい。

            人からの勝手なイメージで、 「○○っぽいですね」と言われること。 昼のテレビの情報番組で、ゲストに対して「○○っぽい」と、勝手な印象や憶測で本人にぶつけてみて、実際はどうなのか、というのを観ていた。 「紅茶、よりは チャイ っぽい」 「おでんで1番好きなの ハンペン っぽい」 みたいな、勝手なイメージである。 それが「それっぽい」と共感できたりして楽しく観ていた。 こういう勝手なイメージは、生きてきた経験上、なんとなく培われていくものだ。 クラスにいた子とか、会社にいるあの

            「読書感想文」運動脳

            スウェーデン ストックホルム出身、精神科医、アンデシュ・ハンセン著。 新聞の広告欄に何度も載っていて、本屋でも見かけて、ずっと気になっていた本。でも、手に取るのを躊躇っていた本。 なぜなら、「読んだら運動せざるを得なくなる私」が想像できるもの。運動が嫌いなわけではないけれど、運動不足なのは自覚している上に、素直な読者なのだ。読む本を引きづりながら生活をしている。新年の目標は、「肉」とたて、筋肉もつける気だ。とうとう読むタイミングなのかもしれないと、手に取ったのだ。 健康

            ラーメンが食べたい。

            「ラーメンが食べたい」 と、本当に、思うときが月に一二度ある。 カップラーメンでもインスタント袋麺でも代用が利く場合もあるけれど、ラーメン屋さんのそれを無性に、本当に、食べたくなるとき。キッカケがあるときもあれば、ふいに、なときもある。 そうなると、もう私の形が、ちょうどラーメン一杯分減っているのだ。そこは、蕎麦でもうどんでも補えない。カレーでもパスタでも。だってちょうど、ラーメン一杯分だから。麺もスープもチャーシューもメンマも。 きっかりラーメン分、足りないのだ。 長女

            「読書感想文」物語のなかとそと

            江國香織さんの散文集です。 物語を読んでいる間、私の身体はそこにあるのに、私は物語の中にいる。この散文集を読んでいる間、私の身体はこたつに入ったり、お湯を沸かしたり、ストーブの前でくるんとしていたりするのだが、私は江國香織さんと話しているのだ。美味しいものについて、パンに、お風呂に、旅について。江國さんは、嘘のように本当を話し、本当のように心地いい嘘をつく。あたたかいスープをすするように、ゆっくりと味わいながら、彼女の話を聞いているのだ。 お正月がおわり、時計がいつもの冷

            整う。

            サウナが好きです。 岩盤浴も好きです。 汗をかくことが好きです。 仕事初めの帰り、娘たちとお風呂屋さんへ。 そのお風呂屋さんの岩盤浴には、「笑」「健」「潤」「静」「爽」の部屋がある。各部屋の温度は、その順。「静」はホットヨガなどのアクティビティスタジオも兼ね、「爽」は火照った身体をクールダウンする部屋となっている。 一番高温で多湿な「笑」。時間によって、ロウリュウも行われる、熱さを求める強者たちの部屋。がっつり汗かきます、常連です、なんならこの席らへんが一番熱い場所や、と

            漢字一文字を。

            新しい年があけました。 本年も、読んでくださる方に愉しんでいただける物を書いてゆけたら、と思います。 先日、ある方の記事を読んでいると、一年の「目標 漢字一文字」というのを考えていらっしゃいました。一年間のテーマとなるような、軸となるような一文字を、というわけですね。面白い。私も考えてみました。 昨年を漢字一文字で表すと「応」と、大晦日に書き記しておきました。が、「応」じていくにあたり、たびたび感じていたことがありました。   「スタミナがない」 学生の頃、バスケ部や陸

            漢字一文字で。

            大晦日です。 今年一年を振り返ってみて、あっという間だったけれど、細かく遡ってみると、やっぱりいろいろな事がありました。 長女が大学へ進学し、県外で一人暮らしをはじめました。馴染みのない土地で生活していくのに、一緒にもろもろの支度を整えました。夏を過ぎる頃まで、何度かの涙声の電話。ゆっくり耳を傾けていると、急に本人が開き直って、なんとなく元気になる。 母としての「応答」「応急」。 次女の中学最後の試合が、夏の中体連。キャプテンとして悩み、心折れそうな彼女を、心から「応援」