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小説

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自作の小説です。 最近はほぼ毎日、500〜2000字くらいの掌編を書いています。
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2023年5月の記事一覧

死にたい君に僕ができることはない

死にたい君に僕ができることはない

 死にたいという感情は、「恥ずかしい」と「帰りたい」と「会いたい」の混合物だ。

 できなければいけないことができない自分の不甲斐なさ。誰かに取り返しのつかない傷を負わせてしまった後悔。何の役にも立たず迷惑をかけてばかりの申し訳なさ。

 臭くて汚い惨めな裏切り者の自分を見られたくない。穴があったら入りたい。永遠の墓穴に。

 そしてもう戻って来たくないくらい疲れている。

 逃げ道はまだあるかも

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【小説】仮面と食卓(食事と夫婦関係の話)

【小説】仮面と食卓(食事と夫婦関係の話)

 このお皿、ヒラメの形だね、なんて他愛ない気付きを口にして、ほんとだ、って何のひねりもない返事をもらって、あれ、ヒラメとカレイってどっちがどっちだっけ、とかどうでもいい話をして。

 ヒラメの皿の上から焼き魚を口に運ぶために彼の手は塞がる。テーブルの上の品々が彼の視線を外に向けさせる。

 差し出したわたしの言葉が受け取られる。同じものを見ている。彼の意識の窓がわたしのほうを向いて開いている。

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【小説】綿は愛さない(ぬいぐるみのお母さんの話)

【小説】綿は愛さない(ぬいぐるみのお母さんの話)

 うちのお母さんはよそのお母さんと違うらしいとはっきり認識したのは小学校に上がってからのことだった。

 クラスで初めて仲良くなった友達が母親と一緒に遊びに来てくれて僕は浮かれていたのだ。母親の脚に抱きついて甘える友達に対する嫉妬と対抗意識もあったかもしれない。

 僕は奥の寝室からお母さんを連れてきてダイニングテーブルに座らせた。得意になって友達をお母さんに紹介していたら、その友達が泣き出した。

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【小説】宇宙神話(科学的神話の話)

【小説】宇宙神話(科学的神話の話)

 昼休みの社員食堂で、印刷してきた論文を広げる。

「おいおい、勉強熱心だなぁ」

 お盆を持った同僚がやって来て、向かいに座った。

「仕事には関係ないやつだよ。宇宙物理学」

 ははぁと同僚は感心とも呆れともつかない息を漏らす。

「そんな高尚な学問が理解できるとは恐れ入ったわ」

 いや、まぁ、と言葉を濁したのは、ちょっとした見栄だ。本当は論文に書いてあることの半分も理解できない。人間の五感

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いつかの思い出(喪失と幸福について)

いつかの思い出(喪失と幸福について)

 密で柔らかな体毛に覆われた臆病な獣の後頭部を眺めながら、川沿いの道を今日も歩く。夏至に向かう朝の太陽で、被毛の白い部分がハレーションを起こす。

 この子が自分の最後の犬かもしれない。

 そう思った時、わかってしまった。今この瞬間、網膜に映っているこの光景が、いずれ何度となく呼び起こすことになる、幸せな思い出そのものなのだと。あまりの眩さに蒸発してしまいそうなほどの光を放つ、まさにその記憶にな

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【小説】大いなる砂の民(砂でできたヒトの話)

【小説】大いなる砂の民(砂でできたヒトの話)

 雨が流れていく。

 砂の身体を構成する粒子の隙間から染み通り、無数の小さな川となり、大地を覆う大いなる砂へ。

 少しずつ少しずつ、身体が浸食される。水が粒子を揺り動かし、私の外へと運んでいく。質量がわずかに減った私の意識が拡散する。

「あの……」

 顔に降り注いでいた雨が遮られた。大地に寝転がった私の上に一人の同胞がかがみ込んでいる。

「少し、手を貸してもらえませんか?」

 いいです

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【小説】再演、あるいは再解釈(暴力の正当化の話)

【小説】再演、あるいは再解釈(暴力の正当化の話)

※暴力表現が含まれます。

 十代の頃は喧嘩ばかりしていた。

 喧嘩を支えに生きていたと言ってもいい。

 でも別に見境なく喧嘩を吹っかけていたわけじゃない。

 狙うのは不良グループではなく、主に一人で暴れている乱暴者。ターゲットが人気のないところに行くのを見計らい、偶然通りがかった振りをして肩でもぶつけてやるのだ。

 当然、相手は臨戦体制に入る。そこで更に挑発するような言葉をかけて怒りを煽

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【小説】悪女の尋問(信用される人とされない人の話)

【小説】悪女の尋問(信用される人とされない人の話)

 どうしてそのようなことをお尋ねになるのでしょうか?

 ああ、吾作さんが。

 それで合点がいきました。

 おっしゃる通り、わたくしはここ最近の神隠しがあの化け狐の仕業だと存じておりました。

 この目で見たのでございます。ひと月ほど前のことでした。

 わたくしが畑から帰ろうとしていると、格子縞の着物を着た弥兵衛さんが峠からぶらぶら歩いてきたのでございます。

 弥兵衛さんがおっしゃるには、

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【小説】意味(囚われの人魚姫の話)

【小説】意味(囚われの人魚姫の話)

 水の出ない円形の噴水で、螺鈿細工のような鱗が煌めく。

 王子を誘惑したかどで捕らえられ、脚を奪われた人魚姫は、気怠げに淀んだ水の上を巡り続けている。

 噴水の端には白い壺が置かれている。反対側には黒い壺が。

 人魚姫は白い壺から貝殻を取り出し、噴水の中を這って行き、黒い壷に運ぶ。一度にたくさんは運べない。溜まった水は泳ぐには浅過ぎて、移動のために片手が必要だ。欲張って取り過ぎた貝をこぼせば

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【小説】山彦(仲間が見つかるSNSの話)

【小説】山彦(仲間が見つかるSNSの話)

 流れていくタイムラインの中で、「仲間が見つかるSNS」という広告が目に留まった。

 今使っているSNSでは頭の中がお花畑の低脳が大量に生息していて、俺はいい加減飽き飽きしていた。俺と同じような考えを持っている人間とつながれるならと、俺はそのKodamaというアプリを早速ダウンロードしてみた。

 ユーザー登録を済ませると、早速投稿の入力画面に移った。今思っていることを書いてみようと説明書きにあ

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【小説】違和の証明(人間に生まれた宇宙人の話)

【小説】違和の証明(人間に生まれた宇宙人の話)

 ずっと人間になりたかった。

 違う。人間にならなければいけないと思っていたんだ。

 自分の身体がどうしてこんな風なのか不思議だった。

 細長く、凹凸だらけで、常に動いている身体。こんなの変だ。気持ち悪い。五本の指のある手が、本来あるはずのないものと感じられる。鏡に映る姿が不気味で直視できない。まるで人間そのものの顔だから。

 狼に育てられた人間の子供が、ある日、自分の身体が実は狼の身体だ

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【小説】母の日(母への思いを確認する話)

【小説】母の日(母への思いを確認する話)

「いつもありがとう」

 差し出したカーネーションの花束。赤とピンクのフリルをふんだんに使ったドレスを逆さまにしたみたいだ。胴の部分には、母親への愛と感謝の言葉が印刷された包装紙が巻かれている。

「あら、母の日? 立派なお花ね。千鶴が親孝行な良い子に育って嬉しいわ」

 母はいそいそと花瓶を取りに行く。

「嘘吐き。ありがとうなんて思ってないくせに」

 私にだけ聞こえる声で十三歳のわたしが言う

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【小説】可愛い女(可愛がられるために自分をなくす話)

【小説】可愛い女(可愛がられるために自分をなくす話)

 就職するにあたって、本物の陶器肌ファンデというものを買った。

 肌を陶器のように滑らかに見せる化粧品は他にも多くあるが、このファンデーションの特徴は化粧をしていない時にあった。このファンデーションを使い続けると、徐々に肌質が変わっていき、すっぴんでも陶器肌をキープできるというのだ。

 入社式までの二週間、本物の陶器肌ファンデを毎日付け続けた。売り文句に嘘はなく、入社前日の洗顔後は鏡に顔を寄せ

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【小説】反証可能性(科学に裏付けられた驕りの話)

【小説】反証可能性(科学に裏付けられた驕りの話)

 一本の論文が世界を揺るがした。人間と動物の決定的な差異をついに発見したというのだ。

 粒子と波動の二重性のため、あらゆる物体は波動としての性質も持っている。人体をはじめとする生物の体も例外ではない。その波動を継続的に測定し、時間ごとに得られたグラフを重ね合わせると、特定の生物についてだけは美しい蝶のような紋様が得られた――つまり、人類だけに。

 「波動紋」と呼ばれたその理論は瞬く間に知れ渡り

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