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【小説】違和の証明(人間に生まれた宇宙人の話)

 ずっと人間になりたかった。

 違う。人間にならなければいけないと思っていたんだ。

 自分の身体がどうしてこんな風なのか不思議だった。

 細長く、凹凸だらけで、常に動いている身体。こんなの変だ。気持ち悪い。五本の指のある手が、本来あるはずのないものと感じられる。鏡に映る姿が不気味で直視できない。まるで人間そのものの顔だから。

 狼に育てられた人間の子供が、ある日、自分の身体が実は狼の身体だったと気付いたら、僕と同じような気持ちかもしれない。狼の言葉しかわからず、狼の身体に合った行動しか取れない。狼の社会で狼として教育されてきたのだから当然だ。でも自分は狼ではないと知っている。人間という存在を知らなくても。生まれ故郷を知らなくても。

 周りのみんなも同じだと思っていた。みんなが人間らしく振る舞えるのは、そう努力しているからだと。僕は努力が足りないのだと。

 どうやら普通の人は自分が人間であることに疑問なんて一瞬たりとも持ったことがないらしいと気付き始めてからは、頑張れなくなった。みんなにとって当たり前のスタートラインに立つための頑張りなんて他の誰もしていなくて、しかも頑張ったところでたどり着けすらしないとわかってしまったから。

 それでも誰も彼も僕を人間と信じて疑わなかった。みんなと同じことができない、協調性のない困った子供だと。



 仮想空間を作れるソーシャルアプリにのめり込んだ。

 そのアプリはアバターの自由度が高く、地球上の生物にはないような形も作ることができた。雲状や液状のテンプレートすら用意されていた。

 僕は固体の球を作った。つるりとした卵のような球体が、僕に一番ふさわしいと感じた。僕は本当はこういう形に生まれるはずだったのだ。ユーザーが一人一つずつ持てる「星」は、赤い岩だらけの砂漠に設定して、二つの太陽を輝かせた。

 仮想現実空間の中で、僕は初めて、生きていると感じた。丸い身体でじっと光を浴び、高周波の歌で仲間と交信し、ごく稀に天辺を開いて外界の物質を取り込み、自分の一部を飛ばす。そんな生き方を夢想しながら、布団を頭からかぶって身体の凹凸を埋め、ベッドの上にじっと座っていた。



 僕の星に訪れた他のユーザーが、宇宙人のコミュニティのことを教えてくれた。彼らは自らの魂はどこか遠い星から来たのだと考えていた。たまたま地球に流れ着き、たまたま人間の身体を得た、宇宙を漂流する魂。そのイメージは僕の感覚を驚くほど的確に表していた。

 僕はようやく同類を見つけ、自分を表す言葉を知った。茫漠とした違和感の海を流されていた僕が、小さな港にたどり着いたのだった。

 その喜びを僕は真っ先に弟に伝えた。2段ベッドの下の段でごろごろしていた弟は「ふうん、良かったじゃん」と言って寝返りを打った。

 子供の頃はずっと一緒だった弟。僕が部屋に閉じこもるようになってからは距離を感じていたけれど、彼なら僕のこの感覚を否定しないでいてくれるかもしれないと思った。



 宇宙人のコミュニティは、無人島を買い取り、そこで共同生活をしているらしかった。どうしても行きたかった。僕に似た誰かに直接会ってみたかった。

 でも両親になんと説明すればいいかわからなかった。僕が「ちゃんとした」人間になることを何より望んでいるのは痛いほどわかっていたから。

 弟なら味方になってくれるかもしれないと思った。故郷の星を知ることは叶わなくても、人間の身体の限界からは逃れられなくても、魂を殺さずに生きたい。あの島でなら、魂が息をできるかもしれない。両親が期待をかけている弟が、あの島へ行くための説得の後押しをしてくれたら。

「甘えるのもいい加減にしろよ」

 それが弟の答えだった。

「あんたは社会に出るのが怖くて逃げてるだけだ。宇宙人だとか馬鹿みたいな妄想してないで、現実に適応する努力くらいしろよ」

 たどたどしい言葉で伝えた僕の想いの全ては、弟には伝わっていなかった。ひとかけらも。「良かったじゃん」というあの言葉も、僕が言おうとしていたことの核心を理解していなかったからこそ出たものだったのだ。何か知らないけど話が合う人がいて良かったじゃん、と。

 僕にはもう言うべき言葉が何もなかった。僕の身体は紛れもなく人間で、僕の魂が宇宙から来た根拠は僕の感覚だけだった。感覚を証明するものは存在しない。信じてほしいと懇願することしかできない。

 弟が人間の魂を持っていることだって、本当は証明できないはずなのに。人間の身体を持ち、人間のように暮らしているところを見せれば、彼が人間であると誰もが納得する。そんなの人間の魂の証拠にはならないのに、彼が別の魂を持ちながら人間の振りをしているとは誰も疑わない。

 それは身体と魂は一致しているのが普通だから。一致しない感覚は、大多数の人間には想像もつかないものだから。わからないものは、わかる形に押し込められる。なかったことにされる。

 押し込められたままでは僕は窒息してしまう。何とか証明しなければ。信じてもらうために。生き延びるために。

 身体を丸めたまま真夜中の台所に這って行き、手探りで包丁を握った。

 痛いのは嫌いだ。でも他に方法なんて思いつかない。

 僕は人間のこの身体とどうしても折り合いをつけられないということを、耐えがたい違和を、目に見える形に。


※本作品は「望郷の形」の外伝です。

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