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キリストと生きる日常について (散文)

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ただイエス・キリストと生きているわたしの日々を、誠実に、飾ることなく、じぶんの言葉で書くことが出来たなら。
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記事一覧

あなたと共に生きる喜び 

あなたと共に生きる喜び 



 「わたしがまだ罪人だったころ
キリストはわたしの為に
死んでくださいました。
彼はそのようにしてわたしへの愛を
お示しくださったのです」

 

 いま、じぶんでも恥ずかしいような、古い小説を焼き直して投稿しているのだけれど、そんなことをしているのも、その小説の終わりに、聖霊のバプテスマを受けるシーンがあるからなのだ。

 聖霊を受ける、なんて場面を、小説で読んだことはほとんどなかったから、

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金木犀の姉妹たち

金木犀の姉妹たち


 金木犀の季節。ひさしぶりに教会に行ったら、友だちが駅で待っていました。わたしを迎えに来てくれたのだそうです。かのじょを抱きしめて、その背に手をあてがい、まもるように国道沿いを歩きました。

 「まあ、半袖!」
 「寒くなったわねえ」
 「寒いんだから、ほら、ちゃんとそれ着なさいな!」

 わたしなんかは、家を出たときに、マフラーを巻いてくればよかったと後悔したのに。フリースを着ればいいかな、と

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めでたし、めでたしの幻想

めでたし、めでたしの幻想



 めでたし、めでたしは幻想だと、ようやく気づいた。わかってはいた。ジェーン・オースティンの小説みたいに、結婚したら Happily ever after なのでもなければ、良い学校に入って就職することが、人生のゴールでもないことくらいは。

 でも、たとえばキリストに救われたら、人生はめでたし、めでたしになるだろうか。いいえ、そうじゃありませんと、うちの教会の説教師たちは口を酸っぱくして言う。

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わたしのパウロ先輩

わたしのパウロ先輩

 パウロ先輩に、叱咤されながら生きてる。

 たとえば「わたしは裕福に暮らすすべも、貧しく暮らすすべも知っています」という先輩のことばは、物質的な事柄から離れたところに、みずからのアイデンティティを見いだすことを、教えてくれる。

 さいきん、スーパーに行くたびに、なにもかも高くなったなあ、と心がちくちくする。半月ほど、お米が手にはいらなくて、なんとかやりくりしていたばかり。パウロ先輩なら、そんな

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教会通訳の告白

教会通訳の告白



 まだはたちにもならぬころ、必要にかられて、見様見真似ではじめた通訳。さいしょは顔を覆いたくなるような、惨憺たる出来だった。だれかに教えてもらったこともなく、ただ米原万里の本を先生に、手さぐりでやってきた、そろそろ「魔女の1ダース」

 じぶんが信じている聖書の教えを、日本語に訳しだすという、とっても特殊で、ちいさな世界しか知らない、しろうと教会通訳の、とっても狭い経験のはなし。

 

 

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マゼンダのようふく

マゼンダのようふく



 本を入稿した日は、ホームスクーリングを休んで、ふたりともだらだらしていた。だらだらしながらもわたしは、藤本和子の「ペルーからきた私の娘」を読みおえた。でもそれで頭が茫然としてしまい、もっとだらだらになった。

 なにかをするには、ソファでだらだらする時間がたっぷり必要だ、とふたりのひとが同じことを言っていた。ナタリア・ギンズブルグと、たしか藤本和子。かれらの靴紐を結ぶこともできないわたしだけ

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苦しみと祝福の混ぜもの

苦しみと祝福の混ぜもの

 

 あのころアラバマには、たびたび聖霊が降った。濃霧のように、キリストにつつまれた礼拝は、あの教会のひとたちに、フランキンセンスの匂いのような、目にはみえない香りをつけた。地層みたいに、かさなって、かれらに染み込んだ。

 ひとりひとりを見れば、その人生や性格に、いろいろ難はあったけれど、共同体をつつみこむように、ふしぎな祝福が、あの赤土の丘のうえに、垂れこめていた。

『天から畏れがあふれだ

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理不尽なこと

理不尽なこと

 一年まえのこと。

 礼拝のおわりに、義母とわたしをよびとめて、牧師がはずかしそうに、誕生日プレゼント、といって、包みをさしだした。

 夏の終わりにうまれた母娘は、そんなご丁寧に、と手をふった。けれども牧師が、過剰におもえるほどに、いや、ほんとうに、あげるのが恥ずかしいんだけれど、もうしわけないんだけど、と謙遜しつづけるので、こちらが申し訳なくなって、いえいえ、うれしいですよ、と明るい声をだし

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からっぽ

からっぽ



 もはや胃のなかには、なにも残っていない。

(という書き出しを思いついて、なんと無駄に壮大な、と愉しくなる)

 なぜだかわからないけど、二日前から、わたしと息子はとつぜん吐くようになった。伝染るわけでもないらしく、ほかの家族は無事でいる。さいしょはちょっと、つわりか、と疑った。けれどつわりなら、息子まで罹るはずはなく、これは本の悪阻だろう、と思っている。

 胃もおなかも、からっぽです。

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日々、死ぬこと

日々、死ぬこと


 猛暑お見舞もうしあげます。

 太陽は地上を焼くことをゆるされた……という聖書の一節が、あたまに木霊している夏、ふたたび、です。去年も暑かったから、今年は暑いねえ、とも言えない。みなさま、ご無事でいらっしゃいますか。

 なにも書けないなあ、と思って、なにか下書きに眠っていないかしら、と探していたら、下のエッセイが見つかりました。自殺願望と勘違いされたら困るな、と思って、投稿するのをためらって

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ジェーン・オースティンはお好き?

ジェーン・オースティンはお好き?





 ジェーン・オースティンはお好きですか? どのくらいお好きですか? プライドと偏見の映画を見た? あら、そう、本はお読みになった? 

 え、長ったらしすぎるって? たしかにそうね…… あれにはね、コツがあるんです。

 まずは映画かドラマを見るんです。それから原作を読みなおすの。そうすればエンパイアドレスにカントリーハウスに、ブロンドやブルネットの女の子たちが頭に浮かんでくるでしょ。そ

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まなざしを重ねる

まなざしを重ねる



 まなざしを重ねる。そんなことを、考えている。キリストと、まなざしをひとつにすること。

 「イエスさま、ついにあなたと、恋に落ちてしまったかもしれません。でもわたしは、なにをして生きていったらいいんでしょう?」

 そんなふうに問いながら、生活をしていた。この日常のなかで、わたしはどうやったら、あなたに愛を示せるんでしょう。

 「こころを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である、主を愛しな

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はじめての上高地

はじめての上高地



 「聖書を持ってこなかったね」

 上高地の夕ぐれ、梓川のほとりに座って、わずかに雪の残る穂高と、まだらな西の光に照らされた明神の山を眺めていたとき、そう叱られた、きがした。

 八回めの松本にして、はじめての上高地。クマが出るというキャンプ場。熊鈴はキャビンに忘れた。赤いショルダーバッグに入っているのは、サン=テグジュペリの「闘う操縦士」と、アン・モロウ・リンドバーグの「海の贈り物」。どちら

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いびつな真珠

いびつな真珠



 はたちになったとき、母が真珠をくれた。一連のものと、すこし小粒な三連のものと。いつの昔か、祖母が母に買いあたえたネックレス。古いけれども良いもので、二十代のわたしが葬儀に付けていくと、安物の喪服に、首飾りだけ浮いているような気がした。

 祖母は宝石が好きだった。宝石の街、甲府の近くに住んでいたからだろうか。紫水晶も、わたしはダイヤだと思い込んでいた光る石も、サンゴも、象牙も、それから金色に

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