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キリストと生きる日常について (散文)

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ただイエス・キリストと生きているわたしの日々を、誠実に、飾ることなく、じぶんの言葉で書くことが出来たなら。
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会津のはなし

会津のはなし



 平凡なわたしには、物語とてないけれど、いつ思い出しても、胸をつまされるような、悲惨で、うつくしいものがたりがひとつある。生きて体験したわけではないのに、わたしの血のなかで生きている、先祖たちの物語。

 八代子というなまえの、わたしの五代前の祖母は、会津藩家老、西郷頼母の妹だった。同藩の井深家に嫁いだかのじょは、一八六八年八月二三日、官軍が会津城下に侵攻してきた日に、実家に残してきた母や義

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よめいり どうぐ

よめいり どうぐ



 『身、ひとつでいらっしゃい』

 あのかたが、そうおっしゃったような気がして、その意味を考えている。いつ、そう感じたんだったか。

 きのう、教会で、牧師の説教を訳していたときだろうか。あのとき語られていたのは、希望について。あのかた、つまりキリストが、わたしたちの希望。キリストがいるかぎり、いつだって希望がある、どんな状況にあろうとも。そんな話し、それがどう繋がっているのかしら。

 ―身

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あかるい歌をうたうこと

あかるい歌をうたうこと



 昨夜はこのうえなく嬉しいきもちで、眠りについた。子どもを寝かしつけてから、白いシーツに腹這いになり、イエスさまに祈ろうとしたら、「わあ、なんてうれしいんだろう! ありがとうございます、神さま、ありがとうございます!」とばかり溢れて、なんだかまともな祈りにならず、そのまま眠った。

 たわいもないけれど、うれしかったのは、その日の正午、ふらりと寄った近所のマーケットで、頑丈なリネンを本藍で染

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わたしの仲間たち

わたしの仲間たち


 上手く書けるだろうか。ずっと書きたいと思っていたこと、わたしの仲間たちについて。書きたいと思いながら、なにか良い構想でも浮かべばいいと思って、ずっと書けなかった。だからまっすぐに書こう。これは、わたしたちの証しです。



 いとおしい、仲間たちがいる。そのひとりひとりを思うだけで、こころに喜びが溢れるような。お互いの背中を預かりあっている、仲間たち。わたしが間違えていれば、彼らはやさしく指

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若い友人への手紙

若い友人への手紙



 生きていたくない、というのね。お気持ち、分かります。分からないでしょ、と思うかもしれないけど。

 あなたとは幾つ年が違うのかな、一回りくらいかな? 初めて会ったときのこと、いまでも覚えてます。あなたは可愛い小学生だった。お母さんに連れられて、集会に来た日のこと。まるでおとなしいふうに見えて、反抗精神にあふれてた。

 ええ、分かっていましたとも。あなたはちょっとずつ、わたしを試した。こんな

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しなやかに、

しなやかに、



 朝から降りだした雨は、もう嵐となり果てていた。しずかな湖とみまごう相模湾は、そんなときでも波は高くない。「割れて砕けて裂けて散るかも」なんてふうになることはほとんどなくって、実朝はどこで詠んだのかしら、とふしぎに思う。

 (太宰治の「右大臣実朝」は、三浦岬に行ったときだと言う。確かにあそこは波が高い)

 助手席で夫が眠っている。ほんとうは出来るだけ、助手席には乗りたくないらしい。だって怖

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はるかに大きな、 大きな

はるかに大きな、 大きな



 「あなたはわたしに 
悪事を企みましたが、 
神はそれを善に 
変えてくださいました。」

 ヨセフはそう言った。じぶんに嫉妬し、憎しんで、挙げ句の果てに奴隷商人に売り飛ばした、みずからの血肉、血の繋がった兄弟たちに。

 -あなたがわたしを憎んで、苦しめてやろうとしたことを、神さまは良い結果のために
用いてくださったのです。わたしが売り飛ばされたおかげで、多くの民の命が救われました。

 

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All is well

All is well

 いつの頃からだろうか。どんな愚痴を牧師に宛てて書いても、「All is well」としか返ってこないようになった。

 牧師に愚痴を言うなんて、ですって?

 そう、わたしも愚痴という形で書いていたわけではない。でも「何々について祈ってくださいますか」と言いながら、クリスチャンは愚痴を語りがちなのだ。

 祈りのリクエストという名の愚痴、またはゴシップ、それから自慢話。

 All is wel

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ちいさな証し

ちいさな証し



 どんなにちいさくとも、神さまのしてくださったことには、感謝して、証しをしなさいと、いつか誰かの言葉を思いだしながら書いてみる。

 じぶんのことばかり語りたくない、と最近思う。語りたいのは、キリストのことだけ。言葉が表面的にならないように、じぶんが生きて、体験したことばを書きたい。けれどすべての行き着く先がキリストでなくては、書くことなど虚しい、とコヘレトの書みたいに思う。

 だからいまか

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メアリが信じていたもの

メアリが信じていたもの



 「神を信じる人と、頭のおかしい人との違いは紙一重だ」

 そうナイジェリア人のKさんの台詞を訳し終えたとたんに、背後からくすくす笑いがした。分かってる、これは中国人のFさんだ。元の英語では誰も笑わなかったのだから、わたしの訳が飛んでいたのだろう。意訳と誤訳の違いだって紙一重だ、とこのハチャメチャな通訳は思う。
 
 でも確かにそうだ、と思う。おかしいかもしれない、と思ったことはある。この前、

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根をたしかに持つこと

根をたしかに持つこと

 新年早々、根こそぎになったビルの映像を見た。あっけなくぺっしゃんと潰れた瓦屋根の家々、何百年も続く家並みや文化財。

 過ぎた年だって、思い返してみれば。六月、ウクライナで反転攻勢がはじまり、朝ごとに進捗を確かめた。戦争の終わりにつながるような戦果は、結局なかった。いまに至るまで、まるで第一次世界大戦のような、泥沼の塹壕戦がつづいている。

 そしてイスラエルの戦争。これはウクライナのように、分

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ウェディングドレスに スニーカーを履いて

ウェディングドレスに スニーカーを履いて



 あるとき夢をみた。夢のなかで、わたしはアンティークの美しいウェディングドレスを着て、とてもハンサムなひとと祭壇の前に立っていた。そのひとの顔はすこし夫に似ていたけれど、それがイエス・キリストであることは、言われずとも分かっていた。

 まっしろなレースが、エドワード朝みたいなハイネックの首を覆っていて、裳裾はうしろに長く広がっている。優雅な、うつくしいドレスだった。わたしが何年もまえに、じ

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ホフクゼンシンで進みながら -ホームスクーリングで幼児を育てながら、本を書いている母の記-

ホフクゼンシンで進みながら -ホームスクーリングで幼児を育てながら、本を書いている母の記-

 十月、クリスチャンのホームスクーリング団体、ちあにっぽんのコンベンションに行ってきた。

 ちあにっぽんは、もう二十年ほどの歴史がある、日本にホームスクーリングを根付かせるために大きな働きをしてこられた団体である。わたしも、幼なじみである夫も、子どもの頃に、ちあにっぽんのキャンプで楽しく遊んでもらった。

 すばらしいコンベンションだった。子どもとしてではなく、親として行った初めての、ちあにっぽ

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月明かりと この世の終わりと

月明かりと この世の終わりと

 夜なかに起きると、窓のそとになにか白いものと木の影とが、ぽわぽわと見えていた。

 なんでこんなに明るいんだろう、とふしぎに思いつも、裸眼だから、すべて世界はぼんやりとしている。

 ベランダに出てみようかなあ、でも眠いしなあ、それにもう寒いからなあ、と思って、その日は寝た。

 次の晩も、満月だった。

 ふたたび目が覚めて、トイレに立つと、窓のふちで、なにかがしろく輝いていた。

 月光を浴

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