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昭和の記者のしごと㉒忘れえぬ昭和の人びと
第3部 忘れえぬ昭和の人々
〇弁護士・坂東克彦さん
「新潟水俣病の30年―ある弁護士の回想」の出版
記者を育てる人として、まず、デスクや先輩記者が思い浮かびます。また新人研修や3年目研修など、折り目節目で行われる研修の講師―ほとんどが記者の先輩―も忘れてはなりません。しかし私は、最も強く記者に影響を与え、結果的に記者を育てるのは、取材先の人々だと思います。私も、仕事のやり方、人としての生き
昭和の記者のしごと㉑記者育成の方法
第2部記者の知恵 第4章記者育成の方法人材育成のシステムがない記者の世界
マスコミ、特に記者の世界では新聞、テレビ共通して人材育成のシステムが整っていないし、手間ひまもかけていないように思います。これは新人記者が最初から警察などの記者クラブに入り、同じテーマ(殺人事件の犯人は誰だ!)で数社、ところにより10数社が取材競争し、しかもその結果が毎日毎日新聞やテレビで明らかにされる、というまことに特
昭和の記者のしごと⑰番外編・4つの取材エピソード
第1部第16章 4つの取材エピソード
(1)王さんと愛子さん
私はプロ野球・ジャイアンツの王貞治選手、すなわち王さんと同じ世代で、しかも高校が王さんの早稲田実業の近所だったので、勝手に近しい気持ちを抱いていました。1957年の春、王さんがエースだった早実が甲子園の選抜高校野球大会で優勝した時、通学路の商店街は「早稲田実業優勝おめでとう」「王選手、万歳」などお祝いの張り紙だらけでした。それか
昭和の記者のしごと⑬左遷
第1部第13章 「左遷」の効用
日本の記者でフリーというのは少なく、大半はサラリーマン記者です。サラリーマン記者はポジション(任地、役職)によって、取材し書く対象の範囲が決まってしまいますから、左遷されるかどうかは、出世するかどうかでなく、仕事上きわめて重大な問題だということは、お分かりいただけると思います。こう書き出したからと言って、今更、左遷をめぐって、会社への恨みつらみを言おうというのではあ
昭和の記者のしごと⑪ニュースを作る
第1部10章“ニュースを作る“ 阪神淡路大震災の場合首都圏にとって大問題を提起、答は阪神大震災の現場に
1995年(平成7年)1月17日、阪神大震災が発生した時、私は首都圏にローカルニュースを放送する部の責任者(首都圏部長)でした。首都圏としてどんな放送を出していこうかと考えました。誰でも思いつくように、首都圏であんな大地震が起きたらどうなるだろうかと、首都高速道路やガス網をチェックする企画の取
昭和の記者のしごと⑩巨額農家負債(2)
第1部第9章 巨額農家負債(2)―取材拒否と抗議、農協との対決負債農家と組合長の対決インタビュー
ローカルのシリーズ放送「どうする農家負債」に対して、角館さんらに金を貸している立場でインタビュー取材に応じている安代農協の組合長からも強い抗議がありました。「報道されたことで組合員農家が動揺しており、迷惑だ」というものです。組合長は「どうする農家負債」4回シリーズの放送の2回目に登場しました。何故巨
昭和の記者のしごと⑨巨額農家負債(1)
第1部第8章、巨額農家負債(1)―「怒り」が取材の原動力「豊作の影で」の企画がきっかけ
農家負債問題の取材は私の記者、デスク生活の中でも忘れられないものの一つです。この企画は1985年秋、東北地方がかってないほどの米の豊作に恵まれたことがきっかけで生まれました。当時遊軍記者(担当がフリー)だった瓜田英光記者から「豊作の影で」という企画の提案がありました。(1)やませ地帯も豊作だったが、これは様々
昭和の記者のしごと⑧鳥屋野潟の田中金脈
第1部第7章 鳥屋野潟の田中金脈問題をどう表現するか特別企画「鳥屋野潟研究」の放送
田中角栄元首相が、ロッキード事件の被告として判決が迫る身でありながら、実質的な日本の最高権力者と思われていた1982年(昭和57年)、新潟市の鳥屋野潟の湖底の土地をめぐる田中金脈問題が再び表面化しました。税金で湖を埋め立てて小さくし、田中角栄元首相、すなわち角さんが買い占めた湖底の土地を浮上させる、角さんにしか