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昭和の記者のしごと⑲勉強会の効用


第2部記者の知恵 第2章勉強会の効用


 

大裁判の取材対応で始まった勉強会


勉強会というのは裁判取材の中で身についた取材手法です。司法記者クラブは東京地裁、東京高裁、最高裁を取材対象としてかかえていますので、沢山の裁判を取材します。しかし記者としては一つ一つの裁判の法律上の争点や社会的な位置付けなど分らないことだらけで、そのままで判決を迎えても到底原稿が書けません。このため専門家に事前のレクチュアーをしてもらう必要がありますが、そうしたレクチュアーが出来るのは裁判を訴えた側の弁護団だけです。そこで弁護団に勉強会の講師をお願いするわけですが、弁護団は一つ、取材する各社は多数、ということで、この場合は各社大同団結して合同の勉強会をするわけです。さらに、四大公害裁判のように極めて重要で、中継の特別番組を構えて報道するような裁判の場合、それぞれの放送局で個別にお願いして弁護団から講師を派遣してもらい、記者の他にディレクター、技術等関係者を集めて勉強会をすることもあります。

減反10年の勉強会


裁判の取材は専門性が高いので勉強会が発達したわけですが、私は他の分野の取材でもどんどん勉強会を取り入れたら良いと思いました。減反10年シリーズの取材を始めるとき、5人の講師に順次放送局に来てもらって勉強会を開き、記者、カメラマン、編集マンの新潟県の農業に対する知識を広げました。5人の講師は新潟県農産普及課長(県内転作の実態)、元県農林部長(転作を見る視角)、県経済連稲作指導室長(県内の稲作と麦作)、新潟大学経済学部教授(県農業の現況)、農学部助教授(過疎と出稼ぎの実態調査)です。
このうち、元県農林部長の鶴巻達雄氏は減反政策が始まってまもなくの時期に農林部長として国から割り当てられた減反目標をクリアーするために悪戦苦闘した人で、その話はきわめて参考になりました。減反政策では米作りをやめて他の作物を作る「転作」が奨励金つきで大々的に進められましたが、鶴巻さんは転作がうまくいくかどうかは、
(1)  新潟はほとんどが畑作に不向きな湿地帯。畑作の出来る土地条件があるかどうか
(2)  栽培の技術があるか
(3)  販売先を持つなど経営のノウハウがあるかどうか
などによるものであって、減反政策に反対している日農(全日本農民組合)の勢力が強いところかどうかなどの政治的な問題はほとんど関係がない、と指摘しています。
そして鶴巻さんはもともと畑作の出来る土地条件のところでは栽培の技術があり、したがって経営のノウハウもあるので(1)(2)(3)は密接な関連があると言います。言われてみれば当たり前のことのように思えますが、これらの指摘は新潟県内の転作の実態を分析する道具として、きわめて役に立ちました。

見学会も面白い


新潟デスク時代、講師を迎えての勉強会のほか、工場などを集団で訪ねて見学する現地勉強会も積極的に行いました。大きな米菓の工場を訪ね、米菓の生産ラインを見せてもらったり、新潟鉄工という、新潟県では最大級の工作機メーカーで、コンピューターの導入で製造工程がまったく様変わりし、自動化している実態を見せてもらったりしました。この時に、生産現場で技術革新が凄い勢いで進みつつあると感じ、次に転勤した盛岡で、「先端技術と岩手」というシリーズの取材・放送に取り組むきっかけになりました。
勉強会は取材を進めていく上で必要な基礎的な知識、考え方を集団で学び、その上でそれぞれの記者、カメラマンなどが個々の取材を発展させていく、という効率的なシステムです。そしてその前提として、専門家に学ぶ、という姿勢があります。この専門家に学ぶという姿勢は勉強会という形を取らずとも取材者が忘れてはならないことであります。

知恵者を何人見つけられるか


第2章で紹介した、米どころでない岩手からコメ情報を発信したニュースの取材で、岩手大学農学部の岡本雅美教授に葉書の設問作りから調査結果の分析まで大きく負っていた、と書きました。岡本教授は本来は農業水利の専門家。一橋大学の都留重人教授の「公害研究会」のメンバーで、水俣病問題の研究家・運動家の宇井純氏の親友でした(都留教授も宇井氏も亡くなってしまいましたが)。公害環境問題を中心に百科全書的知識人です。
盛岡で知り合ったのですが、私が前橋に転勤したのと相前後して東京の日大農獣医学部に移って来ました。そしてまもなく、首都圏は何度目かの水不足に襲われ、私は早速岡本教授を取材し、岡本教授の持論の、利根川の水の流れを合理的にコントロールして水不足に対応する、というリポートを作りました。巨大な水がめのダムがある群馬県から、利根川の河口堰まで同行してもらっての取材でした。
岡本教授で驚かされるのは専門の農業水利以外の問題で鋭い意見、見方を示されることです。そもそも最初に本格的に付き合ったのは岩手のコメ問題ですが、岡本教授はコメ問題の専門家ではありません。前橋デスクをしている時、一極集中を解消するため首都機能を地方に分散させることが大きな問題となり、東京から、それに対する反応を取材してリポートせよ、と言ってきました。
群馬県も「地方」ですから、理屈で考えると首都機能分散は歓迎、ということになるのですが、どうもピンと来ません。思いついて岡本教授に電話し意見を聞きました。岡本教授の見方は、「同じ地方でも現在の東京への経済の一極集中で得をしているところと損をしているところがある。群馬は東京への一極集中のおこぼれに預かり、明らかに得をしているところだ」と言うのです。確かに当時の群馬県の工業出荷額は全国10数番目で大県のイメージがある福岡県と争っています。東京に近いおかげでしょう。
社会の問題には常に、こうあるべきだ、という面と、実態はこうだ、という二つの面があります。ドイツ語で言うゾルレンとザインです。岡本教授は群馬県のザインをずばり指摘したわけで、おかげで要求されたリポートは短いものでしたが、より深い内容を持ったものを出すことが出来、好評でした。この時以来、どう捉えてよいか分らない、困ったことがあると岡本教授に電話することになりました。
岡本教授だけでなく、学生時代から知り合いの宇井純氏(公害問題)や群馬の山村の取材で知り合った放送大学の松村祥子教授(当時、福祉問題)も困ると電話する相手でした。マスコミの仕事は、こうした自分とはちがう知恵者を何人見つけられるか、というのが勝負だ、とも言えるでしょう。

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