中庸時評

中尾庸藏。ロッキード事件を取材した世代の元NHK社会部記者。定年退職後は出版社に約10…

中庸時評

中尾庸藏。ロッキード事件を取材した世代の元NHK社会部記者。定年退職後は出版社に約10年勤め、報道関連の仕事を続けたが、現在は現役を引退。著書に「角さん、ほめられ過ぎですよ!~異常人気の『角栄本』の正しい読み方~」(2016年/扶桑社)。

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  • 昭和の記者のしごと

    世の中で起こっていること、さらにかって起こったこと―歴史と言いましょうかーそうしたことを理解するには伝える側がどのような方法で取材し、叙述しているのか理解するのが有力な方法だ、というのが私の意見です。 つまり、このシリーズは記者になるためのものではなく、記者を理解するためのものであり、それは世の中で起こっていることを理解することにつながる、そう考えて気楽に読んださい。

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中庸時評 ~ご挨拶、執筆意図など~

〇私はロッキード事件を取材した世代の元NHK社会部記者。定年退職後は出版社に10年近く勤め、報道関連の仕事を続けましたが、現在は全く現役を引いています。しかし、今回の新型コロナウイルス汚染による問題の広がりを見て、いつも以上に多様な言論が必要な時だと思い、一念発起してnoteに登録、私の意見を発信することにしました。 〇私は原則、週1回以上発信し、テーマはマスコミ報道の紹介と批評を中心とします。原稿のアップ等の管理は家族が行いますが、執筆はすべて私自身です。ご興味を持ってい

    • 昭和の記者のしごと㉒忘れえぬ昭和の人びと

      第3部 忘れえぬ昭和の人々 〇弁護士・坂東克彦さん 「新潟水俣病の30年―ある弁護士の回想」の出版  記者を育てる人として、まず、デスクや先輩記者が思い浮かびます。また新人研修や3年目研修など、折り目節目で行われる研修の講師―ほとんどが記者の先輩―も忘れてはなりません。しかし私は、最も強く記者に影響を与え、結果的に記者を育てるのは、取材先の人々だと思います。私も、仕事のやり方、人としての生きる道などについて、様々な取材先の人々に教えられましたが、ここでは、特に忘れられな

      • 昭和の記者のしごと㉑記者育成の方法

        第2部記者の知恵 第4章記者育成の方法人材育成のシステムがない記者の世界  マスコミ、特に記者の世界では新聞、テレビ共通して人材育成のシステムが整っていないし、手間ひまもかけていないように思います。これは新人記者が最初から警察などの記者クラブに入り、同じテーマ(殺人事件の犯人は誰だ!)で数社、ところにより10数社が取材競争し、しかもその結果が毎日毎日新聞やテレビで明らかにされる、というまことに特殊な仕事のあり方に起因しています。つまり、会社としては何のシステムも作らず、特に

        • 昭和の記者のしごと⑳記者とデスクの関係

          第2部記者の知恵 第3章記者とデスクの関係記者のあるところ、デスクあり  ジャーナリズムの世界でよく出てくる「デスク」は一般の人にとっては解りにくい概念です。デスクは記者だけでなく番組を作るディレクター、出版界の編集者の世界にも居ますが、ここでは記者の世界に絞って話を進めます。記者の世界のデスクは99%が記者出身ですので、記者の古手がなるポスト、足腰が弱って取材に不向きになった記者を処遇するポストと思われがちですが、そうではありません。  そもそもデスクはデスクに「任命」さ

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        • 昭和の記者のしごと
          22本

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          昭和の記者のしごと⑲勉強会の効用

          第2部記者の知恵 第2章勉強会の効用   大裁判の取材対応で始まった勉強会 勉強会というのは裁判取材の中で身についた取材手法です。司法記者クラブは東京地裁、東京高裁、最高裁を取材対象としてかかえていますので、沢山の裁判を取材します。しかし記者としては一つ一つの裁判の法律上の争点や社会的な位置付けなど分らないことだらけで、そのままで判決を迎えても到底原稿が書けません。このため専門家に事前のレクチュアーをしてもらう必要がありますが、そうしたレクチュアーが出来るのは裁判を訴えた

          昭和の記者のしごと⑲勉強会の効用

          昭和の記者のしごと⑰番外編・4つの取材エピソード

          第1部第16章 4つの取材エピソード  (1)王さんと愛子さん  私はプロ野球・ジャイアンツの王貞治選手、すなわち王さんと同じ世代で、しかも高校が王さんの早稲田実業の近所だったので、勝手に近しい気持ちを抱いていました。1957年の春、王さんがエースだった早実が甲子園の選抜高校野球大会で優勝した時、通学路の商店街は「早稲田実業優勝おめでとう」「王選手、万歳」などお祝いの張り紙だらけでした。それから23年たった1980年、王さんは数々の記録を樹立して、世界の王となり、現役引退

          昭和の記者のしごと⑰番外編・4つの取材エピソード

          昭和の記者のしごと⑯長期拘留と国策捜査

          第15章 長期拘留と国策捜査検察の捜査を評論する  この本は1部~3部を通じてすべて私が記者として体験、取材したことばかりを叙述しています。ところがこの第1部15章の内容だけは性格が違い、自分で取材したのではない、いくつかの事件についての検察の捜査に対する批判、いわば私の評論です。  この中に出てくる事件は、発覚から事件処理までが、昭和から平成にまたがることになったリクルート事件を除き、いずれも平成になってから問題になった事件ばかり。と言って、昭和と関係のない事件ではありま

          昭和の記者のしごと⑯長期拘留と国策捜査

          昭和の記者のしごと⑱取材メモの研究

           記者が取材し、それをもとに原稿を書く、という本来の業務を進めるために苦心して編み出した数々の“記者の知恵”というべきものがあります。そのいくつかをここで紹介してみましょう。これを紹介するのは、シリーズの第1部の冒頭部分の「初めに」で触れましたようにたように、皆さんを記者にするためではなく、皆さんに記者を知ってもらうためです。それがニュースを理解していただくことにもつながると思うのです。 司法記者クラブで学んだこと  東京のNHKの社会部に10年間勤務しましたが、そのうち

          昭和の記者のしごと⑱取材メモの研究

          昭和の記者のしごと⑮記者に求められるもの

          第1部第14章 記者に求められるもの   放送記者と新聞記者はどう違うか よく質問される、放送記者と新聞記者がどう違うか、という問題を考えて見ましょう。私の考えでは、放送記者と新聞記者は、「何を」「いかにして」取材するかという面から見ると、業態はほぼ同じ、と言えます。つまり、いずれも特ダネを取ることを本旨として(実際に特ダネが取れるかどうかは別にして)、取材体制が組み立てられています。NHKの放送記者について言いますと、もともとNHKが戦前、自主取材をしないまま通信社等か

          昭和の記者のしごと⑮記者に求められるもの

          昭和の記者のしごと⑭外国人労働者

          第1部第13章 日本経済を左右する外国人労働者問題  外国人労働者を包括的に取材した先駆的な取り組み  1991年(平成3年)夏、私が1都6県の首都圏を取材・放送エリアとする首都圏部のデスクとして取り組んだ外国人労働者問題の5週間にわたる放送は、新聞、TVを通じてマスコミではじめてこの問題を包括的に取材した、先駆的なものだったと思います。「多民族共住時代」というタイトルで、夕方のニュース番組で連続5週間、計25回放送しました。      放送は平成になってからです。しかし

          昭和の記者のしごと⑭外国人労働者

          昭和の記者のしごと⑬左遷

          第1部第13章 「左遷」の効用 日本の記者でフリーというのは少なく、大半はサラリーマン記者です。サラリーマン記者はポジション(任地、役職)によって、取材し書く対象の範囲が決まってしまいますから、左遷されるかどうかは、出世するかどうかでなく、仕事上きわめて重大な問題だということは、お分かりいただけると思います。こう書き出したからと言って、今更、左遷をめぐって、会社への恨みつらみを言おうというのではありません。むしろ逆で、左遷は仕事人生にとって、悪い事ばかりないというのが、私の経

          昭和の記者のしごと⑬左遷

          昭和の記者のしごと⑫匿名報道 

          第1部11章 匿名報道の条件考査室からのきびしい批判  新聞社や放送局には、組織の名称は様々ですが、記事や放送を審査して意見を言う考査室があって眼を光らせています。1987年(昭和62年)1月、盛岡の放送局が出稿し、朝のニュース番組で全国に放送された「厳冬の山中に7日間、身体障害者奇跡的に救助」のニュースについて、救助された障害者を匿名で報道したのは疑問がある、と考査室がきびしく批判してきました。   ―「本人がそっとしておいてほしい、と言ったので」ということだが、これを認

          昭和の記者のしごと⑫匿名報道 

          昭和の記者のしごと⑪ニュースを作る

          第1部10章“ニュースを作る“ 阪神淡路大震災の場合首都圏にとって大問題を提起、答は阪神大震災の現場に 1995年(平成7年)1月17日、阪神大震災が発生した時、私は首都圏にローカルニュースを放送する部の責任者(首都圏部長)でした。首都圏としてどんな放送を出していこうかと考えました。誰でも思いつくように、首都圏であんな大地震が起きたらどうなるだろうかと、首都高速道路やガス網をチェックする企画の取材を指示しました。首都圏は安全か、というテーマで首都圏を取材するのです。しかし、

          昭和の記者のしごと⑪ニュースを作る

          昭和の記者のしごと⑩巨額農家負債(2)

          第1部第9章 巨額農家負債(2)―取材拒否と抗議、農協との対決負債農家と組合長の対決インタビュー ローカルのシリーズ放送「どうする農家負債」に対して、角館さんらに金を貸している立場でインタビュー取材に応じている安代農協の組合長からも強い抗議がありました。「報道されたことで組合員農家が動揺しており、迷惑だ」というものです。組合長は「どうする農家負債」4回シリーズの放送の2回目に登場しました。何故巨額な農家負債が生じたか、解明しようとしたもので、別々に取材した組合長と負債農家二

          昭和の記者のしごと⑩巨額農家負債(2)

          昭和の記者のしごと⑨巨額農家負債(1)

          第1部第8章、巨額農家負債(1)―「怒り」が取材の原動力「豊作の影で」の企画がきっかけ 農家負債問題の取材は私の記者、デスク生活の中でも忘れられないものの一つです。この企画は1985年秋、東北地方がかってないほどの米の豊作に恵まれたことがきっかけで生まれました。当時遊軍記者(担当がフリー)だった瓜田英光記者から「豊作の影で」という企画の提案がありました。(1)やませ地帯も豊作だったが、これは様々な技術対策が実を結んだのか、それとも単に天候が良かったためなのか(2)豊作の蔭で

          昭和の記者のしごと⑨巨額農家負債(1)

          昭和の記者のしごと⑧鳥屋野潟の田中金脈

          第1部第7章 鳥屋野潟の田中金脈問題をどう表現するか特別企画「鳥屋野潟研究」の放送  田中角栄元首相が、ロッキード事件の被告として判決が迫る身でありながら、実質的な日本の最高権力者と思われていた1982年(昭和57年)、新潟市の鳥屋野潟の湖底の土地をめぐる田中金脈問題が再び表面化しました。税金で湖を埋め立てて小さくし、田中角栄元首相、すなわち角さんが買い占めた湖底の土地を浮上させる、角さんにしかできない錬金術です。 この時は、前の年に新潟県の鳥屋野潟整備促進協議会がいわゆる

          昭和の記者のしごと⑧鳥屋野潟の田中金脈