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昭和の記者のしごと⑳記者とデスクの関係

第2部記者の知恵 第3章記者とデスクの関係

記者のあるところ、デスクあり


 ジャーナリズムの世界でよく出てくる「デスク」は一般の人にとっては解りにくい概念です。デスクは記者だけでなく番組を作るディレクター、出版界の編集者の世界にも居ますが、ここでは記者の世界に絞って話を進めます。記者の世界のデスクは99%が記者出身ですので、記者の古手がなるポスト、足腰が弱って取材に不向きになった記者を処遇するポストと思われがちですが、そうではありません。
 そもそもデスクはデスクに「任命」されたり、デスクに「なる」ことが多いので「地位」と誤解されやすいのですが、デスクとは役回りなのです。一言で言うと、記者が記者としての本領を発揮できるように助けるのがデスクの役回りです。逆にデスクの側から見ると、助ける対象の記者がいなければデスクは必要がないし、存在できません。記者あるところデスクあり、であり、記者なくしてデスクなし、とも言えます。では大災害などで記者がたった一人で取材する時はどうするのでしょうか。その時は記者はデスクを兼ねるのです。孤立無援であっても、一人の中に記者的役回りとデスク的役回りがあることを意識することで、仕事は整理され、やりやすくなります。
 デスクの役回りの分りやすい例。記者が現場で長時間取材すると食事や、ケースによっては泊まるところの確保が必要ですが、そうした「兵站(へいたん)」は、かってはデスクの重要な仕事でした。ある事件で、取材拠点として臨時に設けられた前線基地に記者より先に弁当が着いていたことがデスクの有能さを示す話とされました。私も大規模な雪崩事故で取材チームを率いて新潟県の十日町市付近の豪雪地帯に分け入った際、まずやったのは温泉宿を確保し、食事の内容に注文をつける(山菜料理は欠かすな!)ことでした。
 新潟県小千谷市(雪崩の取材)では名物のそば、岩手県釜石市(津波)では秋刀魚の刺身を取材団で食べたことを現在でも覚えているのは、デスクの私がそれだけ食事の確保に気を使っていた証拠です。しかしその後放送局では大きな事件の際には「編成」など報道以外の部署の人間が現場に出て兵站を専門に扱うようになり、デスクの
負担がずいぶん軽減されました。兵站は多岐にわたるデスクの仕事の中でも一番外部化しやすい業務ということでしょうか。

デスクの最も大事な役回りは?


さらに大事なデスクの役回りは記者の仕事を支える取材・編集体制作りと放送枠の確保で、そのための組織内での折衝です。取材の仕事(報道)は基本的にチーム取材であり、放送局の場合、特ダネ情報とよい原稿があっただけではニュースは完結しません。映像取材(カメラマン)が必要ですし、取材結果をまとめ上げる編集マンの確保、さらに大災害などでは技術部門と協力しての中継体制の手配などが求められます。
そして放送枠の確保が決定的に重要であることは言を待たないとおもいます。この点は新聞でも同じで、元毎日新聞の大森実氏の「エンピツ一本」(講談社)を読むと、外信部長になった国際事件記者・大森氏が、政治、経済、社会の各部とくらべ後発の外信部に紙面を確保するため、四苦八苦して社内で折衝する様が詳しく書かれていて、いずこも同じと思いました。
しかし、私はデスクの最も大事な仕事は記者に取材の方向を示すことだ、と考えています。これはこの本の中で私がデスクとして関わった様々な取材経験を紹介したのでわかっていただけると思います。「減反10年」29回シリーズの取材・放送はデスクと記者の役回りを知る上でも、私と当時の記者にとって大きな経験でした。一本一本、取材するネタを決める際デスク(私)と記者が議論し、デスクが取材の仕方に注文をつけ、取材してきたものを編集し、コメントをまとめる時、また記者とデスクで議論する。
 また、一本一本の取材の方向だけでなく、減反10年という大きなテーマ設定自体、記者と議論をしながらデスクのリーダーシップで決めたものです。よくニュースの乏しさを嘆いて、「ここの記者は何も提案してこない」と記者のせいにするデスクが居ますが、デスクのあり方として間違っています。デスクの方からどんどん記者に取材の提案をしなければなりません。記者の方もデスクの言うとおりの取材がいやなら、自分で提案するしかないのです。
 デスクはシリーズのテーマ設定など取材の大きな方向を決める時、記者が上げてくる情
報を基にするのはもちろんですが、それだけでなく、ローカルのデスクであっても地域全体、いや日本全体、世界の状況も踏まえて考えるのでなければなりません。デスクになって、特ダネ競争から免れた、とほっとするのではなく、社会の動きについて不断の勉強をし、自分のセンスを磨くことが求められます。

「川上」から「川下」まで―仕事の流れの中でのデスクの役割


デスクの仕事で最もポピュラーなのは記者の原稿を直すことでしょう。しかしデスクの仕事全体を考えた時、原稿を直すことは大事な作業ではありますが、ごく一部の仕事です。
 ここでニュースの仕事の流れの中でデスクの役割をもう一度整理しておきましょう。ニュースの取材から放送までの仕事を分ければ、企画・取材・編集となりますが、このうち取材は現場に行ってしまえば、記者、カメラマンにがんばってもらうしかありません。しかし、企画ニュースはもちろん、いわゆるストレートニュースであっても、その出来具合はデスクが、取材に行く記者、カメラマンとどこまできっちり打ち合わせをして取材のねらいをはっきりさせることが出来るか、というスタートのところと、取材してきた素材をどう活かすかという、最後の仕上げの編集作業によって決まります。
 「編集」とは、撮影してきた映像と音などの素材にコメントを組みあわせてニュースや番組に仕立て上げていくことであります。ニュースの編集は専門の編集マンが担当します。その専門の編集マンを「編集」と呼びます。
 私は新潟、盛岡、前橋と3ヶ所のローカルデスクをしましたが、最初の新潟のデスク時代から、編集作業に徹底して付き合うことにしていました。特に重視したのは取材してきたインタビューの編集、いわゆる音切りです。当時のNHKの全国のローカルニュースのデスクの中で、私ほど取材してきた音を聴き、切った者はないと思います。
この編集作業で私のやり方は、まず音を切り、これを生かしつつ映像を構成していきます(映像の構成は編集と議論しますが、専門家の編集が主導権を握っています)。もちろんコメント(文章)も重要です。 コメントは、映像・音と重複せず、お互いに生かしあうようでないといけません。コメントを書くのに映像、音から大変な制約を受けるわけですが、これが大切です。長さと内容と両面から制約を受けながらコメント作りに悪戦苦闘することで、良いコメントが出来ますし、それに取り組む記者ないしデスクのコメント作成力(文章力)が磨かれるのです。放送局ではラジオの「原稿」、テレビの「コメント(説明)」という言い方が有って、ラジオ原稿で文章力が鍛えられ、いくらテレビコメントを書いても文章はうまくならぬ、という考え方があります。それはまったく逆だ、というのが私の体験的文章修行法です。
 話は文章修行法にまで飛んでしまいましたが、要は、デスクは川上(企画)から川下(編集)まで、仕事の流れ全体を把握しないと責任の持てるニュースは作れない、ということです。これぞデスクの仕事、と考えていましたところ、盛岡に転勤して横山宜義君というとんでもない編集に出会いました。
 ローカルの編集マンは普通午前11時が勤務開始時刻になっています。そうしないと取材を終えた映像素材が集まってこないからです。ところが横山君は午前10時前には必ず出て来て、取材に出る記者、カメラマンに映像やインタビューの勘所を具体的に指示しているのです。「この取材相手から、こういう狙いのインタビューを取ってこい」とか。本来デスクのやることで、越権行為だと腹が立ちましたが、よく聞いてみると、実に理にかなった指示をしています。そこで、文句は言わず、私も一緒に彼の話を聞くことにしました。
横山君は、川上から川下に出て行った私とは逆に、不十分な素材を持ってこられたのでは川下でどんなに細工してもいいニュースは作れないと、早起きして川上に進出してきていたわけです。盛岡で一緒に仕事をしたのは1年だけでしたが、私は映像面での師匠は横山君だと思っています。
 

“記者とデスクは、間に原稿を置いて付き合う”


記者とデスクの関係は黒澤明(ディレクター)と永田雅一(プロデューサー)の関係、と言おうかと思いましたが、むしろ三船敏郎(俳優)と黒澤明(監督)の関係に近いと思います。名監督抜きの名優は出来上がった映画のレベルを保証しませんが、名優抜きでも名監督はそんなにひどい映画は作りません。ニュースのレベルを決定するのは記者ではなく、デスクです。
 デスクは記者を生かすか殺すか、決定的な力を持ちます。そのためデスクと記者の人間関係は、単なる組織の上司と部下というより濃密になり、これはこれで難しい問題を生じさせたりします(マスコミの世界は結構、派閥の横行する世界です)。私がNHKに記者として採用され、報道局社会部に研修で泊り勤務に行った時のこと。名も知らぬ先輩記者が私に言いました。
「記者だから、これからデスクとの付き合いが欠かせない。だけど、デスクとは間に原稿を置いて付き合うんだよ」。
 この場合の原稿は原稿至上主義の原稿ではありません。むしろ、仕事、といった風な意味だと思います。それから定年に至るまで33年、そのとおり守ってきたとは言えませんが、そうありたい、と思い続けて仕事をしてきました。

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