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あおいのきせき が 最後の希望[改訂版]


■現代社会の問題の核心

■本質的に新しいものが何もない

要するに煮詰まっているのです。

AIだの電気自動車だの次世代汎用型コンピューターだのクリーンエネルギーだの、まるでテクノロジーの未来が薔薇色であるかのような賑やかしを行っていますが、それらがすべてまやかしであるからこそ、経済が停滞しています。賑やかされている新技術が「本物」であれば失われた30年なんてありえなかったでしょう。国際競争に負けたという詭弁もお為ごかしに過ぎません。

なぜなら「勝った」国々もまったく勝者の国の程から逸脱しています。

思い出してください。

我が国だけを見ても、戦後の経済成長は莫大な需要と供給があったからこそ、可能だったのです。

当時は、全ての世帯や個人に需要が喚起される製品に溢れていました。衣食住に関わるあらゆるものが新しく必要とされていたのです。故に、経済を循環する通貨の量が実体経済を伴って増加しました。

いま、政治では賃金や雇用の問題を盛んに問い続けていますが、それが正しいにしても、本質的に — 例えば、昭和の時代の「三種の神器」のごとくに — 誰もが「必要な物事」「欲しい物事」が全くない中で、それらの叶うはずもありません。

つまり、「売り物」が何にもないのです。

■実体経済には何もなく、金融(仮想)経済ばかりが膨れ上がる

富裕層のための豪華な建築やサービスの喧伝される様をみますと、まるで一部でも経済が潤っているかのように思えますが、それはただ、仮想経済で異常なほど膨れ上がったマネーが実社会に顔を覗かせている、というまやかしに過ぎません。世界中で、実体経済は疲弊しています。

■戦争に向かうことの必然

故に、マクロ経済において、世界規模の戦争経済に持ち込む動きがみられるのです。このままでは世界経済が回せないので、既存の社会構造物を一旦壊し、改めて一から既存の製品の需要を喚起し、それで経済を回そうと考えた動きがあるのは、誰の目にも明らかでしょう。

現代の戦争の本質は経済です。

しかし、私たち人類は、いつまでこんなことをやり続けるのでしょうか。

「売り物」なら、弊社知見による技術革新により、ほんとうに人のためになり得る社会構造改革を伴って、いくらでも新しいサムシングが生まれてくることは、過去記事に繰り返し記しました。

今回の記事は「あおいのきせき」の知見から開かれる未来を可及的に明らかにして、この知見こそ人類のいまの唯一の希望であることを述べていきます。

存在の方程式(あおいのきせきの知見)により、時代は、ようやくポスト・ニュートン/アインシュタインの時代に突入することが可能になります。

煮詰まった行き止まりの日本と世界を救う唯一の鍵こそ、弊社「あおいのきせきの知見」、すなわち「存在の方程式」なのです。

■あおいのきせき は全ての根拠

■考える際の基礎の基礎 = 真理

存在の方程式とは最も深い根拠です。

何かが存在していれば、それに非ずの存在が必ず存在していて、さらにそうであれば、両者にはインターフェイスが、絶対に存在している、

というのが、物事のありようの根本原理である。

これは拙書「あおいのきせき」によって初めて具体的に明文化されたのですが、実は、それと同じことは、過去、多くの人たちによって様々なやり方で指示されてきたのだということは、もうご承知いただいていることと思います。

A = A + 非A + Aと非Aの境界

「あおいのきせき」より存在の方程式

(所で「存在の方程式」は、「 E = mc^2」 と同じことを意味しているということを、旧ツイッターに記しております)

これは、物事は図と地の如く非ずの関係として不可分に在り、相互には接している「部分」が絶対に在る、と言い換えることも可能です。

否定のできない、言語(という非空間存在)により徹底して抽象化された、現実(空間存在)と接地した命題を、真理というのです。

すると、存在の方程式は真理と言いえ得る、となりましょう。

■真理を大前提に考えていくことが根拠のある言説

現代科学での時空間の根拠は、微積分です。時間が空間表現できることを「思いついた(勅)」のがニュートンとライプニッツの両氏でしたが、微積分の前提が間違っていることは過去記事で論考いたしました

存在の方程式から導かれる常識への懐疑についての言説は、過去記事に沢山記しましたので、馴染みのない方は是非過去記事に当たっていただきたいのですが、つまり、宇宙は空間と非空間(時間)が人を挟んであるのだ、ということが分かります。

ざっくり、宇宙は一つではなく、二つであるということです。

二つの宇宙は重ね合わせになっていて「中間(境界)」に言葉を持った人がいるのです。

そして、二つの宇宙は「反対」ではなく「非ず」の関係に置かれています。

このことは、微積分とは違い、「存在の方程式」という否定のできない根拠を前提に考察してたどり着く結論です。

宇宙は二つ、といいますと一瞬奇異に感じるかもしれません。しかし、心と物質が対比され得る事は、一般常識として普通に理解されているところではあります。

デカルトおよびニュートン由来の現代科学は物質界である空間しか扱うことをしません。空間の移動や変化を時間と解釈し、四次元という一つの時空間を大前提に宇宙を解釈しています。つまり、人の心を物理に含ませていません。

ここで、心を非物質として定義し、更にそれ自体を物質(空間)宇宙と同等の非空間宇宙である、と解釈し直せるというのが、存在の方程式という真理から導かれる新しい宇宙像です。

「一つの時空間」に、ではなく、「空間(物質)と非空間(意識)」に挟まれた心身を有する主体として、私たちが生きている、という理解です。

これにより、物理学に於いて、非空間(と非時空間)を理論に組み込むことが可能になります。

そして、非空間を意識と定義すれば、その要素(または範囲)として、言語や感情などの心を置くことが可能となり、すると、「心の働き」を含めた宇宙全体を、物理として論理的に扱えることになるのです。

■即非の理論の真髄

仏教(特に中観派など)、特段、禅の思想などで主張されている様々な言説にご理解の深い方であれば、それらを言語理解する際の大前提に「存在の方程式」を置くならば仏法が指示する内容を無矛盾で理論体系に組み込むことのお手伝いが可能になるかと思います。

即ち、存在は「わたくし」という「境界 = 中間」を挟んで、物質と非物質(⊃ 心)の二重構造である所を、存在は、一つの時空間に「わたくし」がいるという前提の上で言語化すれば「Aは非AであるからこそAなのである」という言い方にならざるを得なかった、と簡単に理解が及ぶことになります。

自同律の不快即非の理論 は、同じ事を別のやり方で言語指示したものであったのです。

詳しくはこちらを

■色 即是 空

般若心経のあまりに知られた一説ですが、物質宇宙非物質宇宙、その両者を繋ぐ境界(つまり人間の「働き」)を即是と翻訳すれば、そのまま存在の方程式と同じことを指示していることは、無矛盾で言語理解が可能になります。

■無と有の解決。正しい宇宙像を手に入れる

言葉で考えた人類の叡智を、全て存在の方程式という大前提に置き換えれば、すべてが正しい結論にたどり着くのが道理です。

例えば、有と無の問題も、存在が一つの時空間であるという前提で考えると解けませんが、空間と非空間が人を挟んで存在していると理解できれば、有の空間には非空間はあり得ないのがわかります。非空間に空間があり得ないのも分かります。

有と無は、非ざる関係にある相対的宇宙の呼称、と理解すれば、有無について合理的に無矛盾で語れます。

時間の問題も、非空間こそが時間であり、今現在人類が「時間」と理解しているものは、「移動」や「変化」であると、再定義して考え直せば、無矛盾で宇宙が理解できる、と分かります。

■宇宙の外、宇宙の始まり

時間とは非空間に対しての別の呼称なので、時間に対して空間をモデルに問いを立てることは不可能です。例えば、時間に対して、起点と終点といった幾何(を含めた数学)の概念を適用して問うことはナンセンスです。根源的な時間には、始まりとか終わりという意味自体が適応できないということになります。もし、あえて問うなら、それは時間について、ではなく、変化や移動についてである事なのは過去記事の通りです。

同様に、宇宙(空間)を、始まり(という時間概念で)を問うことは、できません。空間を非空間という「物差し」では計れません。長さを重さで指示できないのと同じ事です。

ところが、繰り返しになりますが、物体の移動こそが時間であると定義して、無限のコマ送りにすれば、時間を空間に持ち込める、つまりグラフとして図示可能だという詔を降ろしてきた( = 思いついた)のがライプニッツとニュートンであります。ですが、移動は時間という意識あるいは心のもたらす現象の一部と理解しないと宇宙全体を無矛盾で言語表現できませんし、現実問題として時間は非物質であり分割(という概念・行為も空間にしか適応)できません。

この注意点は、「宇宙の外」という問いにも適応可能です。「外」とは空間概念です。空間の外に空間があるとすれば、それは外ではありません。問いの意を汲んで回答すれば、空間の外は、非空間であることが、存在の方程式から理解が可能です。更に非空間とは非物質でもあるので非空間を意識と読んで語義矛盾はありません。すると「宇宙の外」は非物質でもある意識と言い得ます。

時間と空間の外、という疑問には非時空間という回答が得られますが、この言葉を私たちが今手にしている人類知にあたってみれば、梵我一如と言う言葉が見つかるのでした。

このようにして、存在の方程式からは、非空間(数学的解釈は非ユークリッド幾何にしても空間概念内にとどまっています)という解釈を物理学に導入することが可能になり、すると現在の科学に内在する言語矛盾が大幅に解決することが可能となります。

そして、無矛盾の論理体系を持った言葉で指示された宇宙像が正しい宇宙の姿であり、正しい宇宙像を手に入れられれば、間違いなく、人が可能であると設定されていることは、全て可能になる、という理屈です。

存在の方程式が、「知のマスターキー」と呼べる理由です。

■環境問題とエネルギー問題の解決

■効率化(早く・安く・間違いなく)だけの新製品

いま賑されている新技術で、今以上に、人類に何か新しい生き方を直接与えてくれるものは皆無です。

AIは、人のできることのごく一部を肩代わりしてくれる機械にすぎません。(もちろん「洗濯機」だってそうですが)

しかも、AIは「人工知能」というわりに、知っていること(覚えさせたこと)しかわかりません。端的に、AIは思いつくことが出来ない。大規模言語処理とは一種の統計に過ぎません。AIの指示する未来(要するに出力された回答)とは過去の統計に照らし合わせた確率論でしかないので、コンピュータの「知能」は文章を理解することを知りません。アナロジーを理解せず、ロジック(演算式に乗ること)だけしかわかりませんが、故に、自ら理解をする、ということができません。(この辺りは過去記事を参照ください)

電気自動車は、ただ動力を置き換えただけで、人や物の空間移動を歩くより早くするというベンツの発明や、それ以前のスティーブンソンの功績からなんら進歩はありません。

インターネットによる情報ネットワークと、それに繋ぐ電子計算機(コンピュータ)による情報革命からの労働(生活)環境の変化も行き詰まっていて、問題は過去記事に書いたような金融経済の問題を解決しなければ、これ以上改善はできないでしょう。

移動や生産の効率の向上に寄与する技術に、なんら私たちの価値観や人生を一変させるような革新的なものはありません。(生産の見直しの必然は、過去記事に記しました)

次世代テクノロジーと呼ばれているものは、ほとんどが19世紀以前の過去の知見から導かれた技術を改良して効率を高めることしかしていません。

そして、エネルギーはほぼ「(お湯を沸かして)タービンを回す」という技術に頼ったったままです。

■新発見がなければ、新発明もない。新製品もない。

歴史において、生活様式の変遷への視点をテクノロジーに置けば、人類は、確かに進化していると言えそうです。動力と電力の獲得と、その効率化こそが、社会構造の基盤となっています。

人力を超えたエネルギーを獲得する術を手に入れ、その効率化を図ってきたことが文明の進歩と呼べるものでしょう。

効率化には算術が役に立ちました。算術はまた電子計算機の発達と不可分です。

更に、算術と計算機は金融経済の基本です。ややこしい経済指標に基づいた未来予測と算術が同一のものであることは、過去記事に詳しくあります。
それらのインチキと電子計算機と決済機能のネットワーク化はまだまだ広がる様相を見せていますが、ここで止めないとなりません。自由度のない金融支配の奴隷として生きるほかないという未来(あるいは現在)については過去記事に詳しくあります。

金融デリバティブなどを含む全ての金融は仮想空間において天文学的に膨れ上がり、実存在の価値の比喩として通貨の意味をなしていません。どころか、実体経済の足枷となっていて間も無く弾けそうです。

■スムーズになっただけで、ほとんど何も変わらない生活様式

少なくともこの半世紀以上前から私たちの生活は何も変わってはいません。
移動は、相変わらず、自動車(バス・タクシー)と電車と飛行機に頼ったままです。

コンピュータとインターネットの普及により双方向の情報交換が可能になり、買い物や映画や本などオンデマンドでアクセス可能になるなど、生活は「便利」にはなりましたが、逆を言えば(逆じゃありませんが)それだけです。

リモート・ワークなど新しい働き方が、インフラ的には可能になってはいますが、地方の過疎と一極集中という人口動態の偏移は過激化しています。

この問題の解決策は過去記事に記しました様に、金融経済から次世代の経済に向かうことで、大胆に解決していくことが、存在の方程式から可能になります。むしろ、今の金融経済の価値観を変えない限り、止めようがありません。

スマートシティは権力(微積分的世界)の絶対化が前提です。何にも考えないで過ごせる街とは、言われたことだけしかさせてくれない世界と同義です。

■当たり前を取り替える

これらのテクノロジーの基幹は、ほとんどすべてが英国科学アカデミー由来の知見によっています。そうして、そこから逸脱する科学技術は、いま、存在しないと言って過言ではありません。

既存の外燃機関からの発展拡大したエネルギー転換と動力の技術、それから微積分を前提にした宇宙像と金融経済というわたしたちの日常は全て、世界各地の科学アカデミーの差配する独占的「土台(あたりまえ)」の上に乗っかっているのです。

私たちの世界を規定し動かしている大元は、お金でもなく、政治でもなく、武力でもなく、思いつきによる発見(みことのり)から導いた宇宙像と、宇宙像と合理的に結びついたテクノロジーであることは、過去記事からも明らかですが、このことはIISIAの原田武夫氏がことあるごとに口を酸っぱくして述べていることでもありました。

自分たちが住んでいるこの世界がどのようであるのかという、いわば「当たり前」を構築している知見と、知見から導かれた社会構造を牛耳ることが現代の権威・権力であるということです。

すると、現在の権力である金融と武力による支配を可能たらしめている源は、ほとんどが英国科学アカデミーの知見に元を発していると気づくのです。(学術誌や査読論文は権威によって、アカデミーに相反する知見を省くという働きをして、利権を確保しているとも言い得うるのです)

宗教と科学が同じもの(現実と接地した、あらゆることに応用可能なほど抽象化された否定のできない命題 = 真理)を求めていたことから、弊社のこれらの知見を隠蔽し、発見者を脅迫し、陥れ、あらゆる方面に煙幕を貼って「あおいのきせきの知見」が見つからないようにしてきたのが、宗教団体やその後ろのある種のインテリジェンス機関であった事も、このことから容易に理解が可能でしょう。

しかしながら、ごく一般的な末端の工作員や信者氏ら以外、まず、弊社知見から発生する出来事から開かれる未来に同意がとれていることは、弊社の旧Twitter をフォローしていただいている方であれば、ご理解頂いている事かと存じます。

この件に関しましては再度、以下過去記事をどうぞ。

そうして、この「あたりまえ」こそが、現在私たちの抱えるすべの問題の根源、つまり核だということを、この note では訴え続けてきました。

国際社会全体で、間違えた前提を取り替えずに結論まわりの辻褄合わせに終始した結果、なんらの根拠を伴わないポジショントーク(お為ごかし)ばかりが跋扈する世の中になっていて、それを「世界が煮詰まった」と表現したのです。

■宇宙の構造と仕組みが明らかになると

微積分という前提の上に組み立てた演算による世界観・宇宙像がわたしたちの日常生活を縛っています。それについては、過去記事で明らかにした通りです。

金融経済とは、過去の延長として規格化され、計算により決定された未来を絶対として、そこから逸脱することはできない経済のこと。国債と信用創造による通貨の発行と、それに付随した金利政策という確立された絶対のルールを基軸にして固めたピラミッド型組織構造を保持することが、権力であることも記してきました。

そして、その金融支配の根拠となっているのが、時間を図示(空間表現)できるとする、つまり、演算により予測した数字こそが未来だとするのが、微積分というインチキなのです。

それは図と数という空間には存在しえないものを、存在すると信じるという「信仰」ですから、数学こそ神であり、金融が数学信仰に基づいた権威となり、その金融とは銀行制度そのものである事から、中央銀行以下の銀行群を権力と呼べるのです。

■空間と時間をつなぐのは微積分ではない

時空間は、人がいてもいなくても関係なく、在る。

と、いうのが、微積分由来の考え方であることは、上、過去記事での論証の通りです。

空間と時間を繋いでいるのが人の心身であるという正しい理解をせず、「1 = 0」(ゼロの無限近似値はゼロ)という無根拠な公理を採用した演算式から「逆算して」導いた(ニュートン由来の)宇宙像を信じ込んでいるのが今の科学であり、それこそが、さまざまな量子パラドクス(観測問題、存在の二重性など)に陥っている理由であることも論考いたしました。

微積分由来の宇宙像は、宇宙を「多次元である捻れた一つの時空間」であるとしますが、存在の方程式から、実際の宇宙は「認識主体(人)を結節点にして時間と空間という非ずの界が繋がったもの」と理解できます。すると、存在が粒子かつ波動であることが、無矛盾で理解可能となります。さらに、認識主体が宇宙存在にそもそも関与していますから、観測問題も無矛盾で解決可能です。

つまり、微積分を大前提にして私たちの世界認識は構成されていますから、「見えないところ(感覚として認識不可能な場所)」を微積分で理解すれば、当然、在るものがなかったり、ないものが見えたりすることになります。

■微積分という病を治す

結論が前提から逸脱しないのは論理学の当たり前です。

すると、理論上三次元(上位次元)空間に点も線も面も存在できませんが、微積分は存在できるという前提を採用しているので、計算すればブラックホールという天体があり得ることになり、それをもとに、天体観測データを微分解析すると、それが現実に実在するということになりますが、それは、すべて微積分のトリックと考えれば、宇宙を無矛盾で理解できるということを、過去記事で記してきました。

間違った前提からは、間違った結論に至るのは必然です。

■微積分が脳の機能を奪ったということの意味

有と無、要するに 1 と 0、つまり、空間と時間を「本当に」繋いでいるのは、「1 = 0 」という公理の上に立った(微積分という)計算式ではなく、身体と心、つまり、空間(身体)と時間(心)を有した私たち、人であるということがわかります。

過去記事でも繰り返し検証しましたように、要するにブラック・ホールとは私たちの脳の機能と同義であるので、ブラック・ホールが私たちの心と繋がっているという仮説が否定され得ないという結論へと至るのです。

■死の謎が解ける

結論までの論考につきましての詳細は上の過去記事をお読みください。

身体の死とは、生命活動が停止する、つまり、身体を維持する恒常性が崩壊して物質として自然へと還元されていく事を指示します。身体は、エネルギー保存の法則に則れば、個体を構成していた物質が要素に還元されていくだけで、何かがなくなるわけではありません。

物質において、死によって失われたものは、「わたくし」という身体に他になりません。

心と身体が存在の方程式によって相補的存在であるとわかりましたから、心も同じである、と推測されるのです。

非物質において、心は自我(「わたくし」という主体)を失うけれども、無くなることはない、ということです。心(という個)が非物質に還元されていけば、「わたくし」という「心」がいなくなると考えられるのです。

そして、非物質を意識と言い換えれば、心は意識の一部であり、死によって心は意識へと還元されていく、と理解できるのです。

身体が物質(存在)の一部であり、死が身体の物質への還元であることから、そう推測可能でしょう。

このあたりは「トランスパーソナル心理学」の知見が応用可能になるかと思います。

ところで結論から申しますと、「死ぬとお星様になる」という言い伝えは、アナロジーではなく、ロジックであったことがロジカルに証明されることが予想されます。

いずれにせよ、多くの宗教では、死後の世界も自我(というか、私という主体)が存在していることを前提にした言説を教義として流布しているところも多いですから、やはり、このあたりの「真実」が「うつしよの利権」と相反するので弊社知見の周知の妨害に走っているのかもしれません。

■ラプラスの悪魔 と 自由意志

人のダイナミズムを省いたニュートン由来の宇宙像では、どうしたってラプラスの悪魔と自由意志が対立してしまいます。微積分は、(無から有を生むことで成り立つ人の意志という機能を「0= 1」という公理にして採用することで)人の機能を奪ってしまった宇宙像なので、機械的に動くはずの宇宙と、意志を有した人の行為が同一の空間では相容れないという矛盾に陥ります。

ニュートン由来の宇宙像の思想とは、無から有を生む機能を、「零の無限近似は零」という公理を採用した微積分(数式)で表し、宇宙の成り立ちや仕組みを理解することです。無から有を生むことの比喩として「0 = 1」という数式は優秀です。しかし、数式だけでは、物質(身体)と意識(心)の合作で動く宇宙で役に立ちません。

つまり、「0=1」と思ったところで(或いは計算に組み込んだところで)、現実の世界で何かが発生する事はありません。

しかも「0=1」という式は、ヒトが心の中で「思う事」ですら、ありません。「思いつく」という(心の中の)行為を「数式に喩えた」だけです。

古代の人類が洞窟の中に狩りをする所を描いた絵と一緒です。狩りを描いた絵が実際に狩りをすることはありません。アニメーションにして絵を動かしたら、本物の獲物は捕れるでしょうか。捕れません。絵の中の世界と現実の世界が繋がっていないからです。

つまり、思ったことは、それを実現する技術を働かせてようやく宇宙全体が運動を始めるのです。

思いついて動くとは、まさに自由意志の事をいいます。

演算(数学)と現実の世界との関係において、記号接地問題こそが鍵であることは過去記事で検証いたしましたが、ニュートン由来の今の宇宙像は星々などマクロの機械的運動しか扱うことはできません。この宇宙観では、ラプラスの悪魔が世界を牛耳るのが当然の帰結です。

演算という非物質(時間)は、物質(空間)と接続していないので、空間が思いつきに作用される事はなく(ノイズが発生することはなく)演算した通りに動くしかありません。

演算、すなわち数学という人工言語を駆使できるのはヒトだけです。

時間(非物質)と空間(物質)を繋ぐことが出来るのは生物だけです。

ことのほか、人工言語であろうとなかろうと、言葉で思ったことを(あるいは言語化以前に)行為して空間に作用する事が出来るのはヒトだけであります。

存在の方程式から導かれる宇宙像では、ラプラスの悪魔と自由意志とが無矛盾で同居することの説明が可能です。

■ゼノンのパラドクスの解決

また、微積分由来の時空間は、コマ送りのアニメーションとしてしか機能せず、故に、アキレスと亀のパラドクスに陥ります。

数学にお詳しい方には釈迦に説法でしょうが、時間を空間表現可能にする(宇宙を一つの時空間と理解する)トリックとは、「時間とは、対象が空間で移動する事である」と定義し、移動を無限に切断すること(零の無限近似値は零という公理の採用)で「傾き」という概念を「連続して」空間に図示させることで可能たらしめることですが、「無限の分割が無限退行を伴う」ことは既に数学的にも結論がでていることであります。要するに微積分の「連続」には隙間が空く、ということです。

即ちニュトーンは「宇宙とはアニメーションである」と言ってるのですが、そのご説がパラドクスに陥るのは要するに、時間と空間を同一空間で説明するには限界がある、ということを意味しています。この件につきましては過去記事で論じましたとおりです。

つまり、ゼノンのパラドクスも、存在の方程式から導かれる二つの非なる空間が人を介して相互に作用している事が分かれば、なんと言うことはない、とわかります。

空間と非空間(時間)をつなぐ認識主体(わたしたち)こそが両者を「一つの時空間」として変化(移動)を同時に理解可能たらしめていて、デカルト的二元論という前提では、時間と空間を同時に描写しようとしても叶わず、片方ずつ交互に点描する他はない、ということです。

■神の居場所

また、微積分由来の時空間には、ここまで説明しましたように「人の意志」という動力が宇宙像に組み込まれていませんから、現代科学が最後の最後でヒトと切り離された神の意志などというものを持ち出すことも厭わないというオチになってもしまいます。

神の居場所も正確な宇宙像を手に入れることで理解できる事の筋道も過去記事で述べさせてもらいました。

■環境問題の解決

地震の原因も、異常気象の理由も、存在の方程式から導かれる新しい宇宙像に依れば、それらの機序に対して理解可能な仮説を導くことができます。

すると、いままでお手上げだったこれらの天災に対して人為的に対処が可能となります。

詳細は過去記事にある通りですが、宇宙を、

非空間(意識)と非時間(物質)とそれらの交差する心身、そして更にそれらに非ずの何か(梵我一如)からなる

と解釈し、

各々の間を情報(ある時は粒子又は波動、ある時は感情又は言語)が循環している

という仮説に立ち、

或いは、地球と太陽と言葉が密接に関係していると解釈した場合、自ずと天災がどのように発生するのが無矛盾で説明可能になります

機序が分かれば、悲劇的な結果を導かない道理も、分かりましょう。

■エネルギー問題の抜本的解決

また、エネルギー問題とは、つまり物理の問題ですから、正しい物理を手に入れれば、今より余程スマートにエネルギーを手に入れることができると考えられるのです。

■電子計算機の致命的欠陥の解決

すべてのコンピューターは、量子コンピューターですら、論理の規則に縛られています。しかし、宇宙の仕組みは、人の言語機能に限ったとしても、論理に限定されてはいません。すなわち、ブール代数に従うしかなかった計算機能を言語機能として働かせるためには、排中律や矛盾律を超越する(つまりテトラレンマの機能を使う)必要があります。(脱・ゼロイチの二元論 = 半導体を超える分導体の開発)

言語の機能がアナロジー(メタファーなど)とロジックを併せ持っていることは過去記事にも詳しくありますが、これらの知見から、機械に思考させるための術が手に入った訳です。今の物とはまったく違った人工知能の開発することを考えております。

■発明による新製品による経済の活発化

また、新しい知見からは必ず新しい発明が次々に生まれてきますから、未知の知見が周知されると経済が活性化するのは必然でしょう。

■脱・金融経済からの新しい経済

■金融経済からの脱却の手がかり

自然の一部である人の存在を物理科学として解釈可能になれば、論理的に自然と人が共存可能になる術が手に入ります。自然と人が別でしかありえない微積分理解の世界観からは、そのような術は手に入りません。

逆さから述べますと、人と自然が共存した経済は、微積分由来の金融経済からはたどり着くことはできません。今のニュートン的哲学、或いはデカルト的世界観をベースにした自然科学からは、人のあり方が省かれているからです。

金融経済が地球環境に相反しているからこそ、つまり、今の科学がきちんと自然を描写することに失敗しているからこそ、経済が自然の破壊と異常気象などの天災をもたらして、人を不幸にするのです。経済が天然自然のサイクルと合致したものであれば、経済の発展は環境保護と同義になります。

■あおいのきせき が未来の扉を開く

■大前提(あたりまえ)を取り替えない故の環境破壊・天災

間違った前提から導かれた間違った結論、例えば現状のさまざまな社会問題を解決するのに、前提をそのままにしているから、辻褄合わせばかりになるのです。

社会の利権構造が、多くの人々にとって無自覚で、無根拠な前提のピラミッドの上に成り立っているから、必然的にそうなります。利権こそ権力の根っこですから、権力が自らの力を削ぐことはできません。前提を取り替えることは利権を手放すに等しいからです。すると、間違った前提のまま、瑣末な抹消の出来事だけ調整しようとするので、問題の解決が、辻褄合わせの誤魔化しにしかならないのは当然の帰結です。

前提を変えるという抜本的解決に触れない解決策が、お為ごかしにしかならないのも明らかでしょう。問題解決の明文は、論理的思考を辿ればたどり着くはずの解決法を避けた、自分たちの利益や欲望のための言説に過ぎないのですから。

■地球環境を救うただ一つ(二つ)の道

しかし、いよいよ以て辻褄合わせのお為ごかしも限界にきているからこそ、社会も地球環境も、危機的状況になっているのです。

大自然にお為ごかしは効きません。抜本的な解決がなければ地球は滅ぶしかないのです。

そして、その解決方法は唯一あおいのきせきの知見と、非あおいのきせきの知見であるIISIAの唱える音義(という言語を物理として解釈した場合の科学技術)しかありません。

有と無の謎が解けた(宇宙は二重であり、それらに互換性がないが、情報は循環している)ということは、有と無のサイクルから何かを取り出したり、仕舞ったりする術を手に入れたのと同義です。

オッペンハイマーはエネルギーを乱暴な方法でしか手に入れられませんでしたが、穏やかにそれが手に入れられれば、困ることはありません。もちろん彼のもたらした核兵器の悲劇から世界を救う理屈としても存在の方程式は有用でしょう。非核兵器を作ればいいのですから。(それを兵器と呼ぶかどうかは疑問ですが)

ここまで弊社の note を丹念にお読みいただいた方にはご理解可能なように、核分裂でもなく核融合にもよらず、「お湯を沸かしてタービンを回」さなくても、利用可能な物質やエネルギーを取り出すことの理論が手に入ります。

熱力学の各法則から、宇宙(世界)が「一つの(多次元で捩れた)時空間」であるという前提では不可能と理解されていたことでも、時間と空間が別の宇宙であり、全てのエネルギー(力)または情報が、人(の認識作用)を界して循環しているという前提に置き換えて計算してみれば、無から有を生み出したり、有を無に帰すことが、決して不可能ではないことが簡易に理解可能になるのです。

つまり、それこそがいま問題の、有害物質を完全に無害化するためのロジックであることも、お分かりいただけると思います。

■これほどの知見 (真理)が未だ人類知となっていない訳

■楼閣の砂を取り替えたくない方々による妨害

真理が未だ周知されていない理由は過去記事にも書かれた通りです

真理が見つかれば(見つかったのですが)、「あらゆる事」が見直しになります。社会の「当たり前」である、すべて物事の大前提を交換することが希求されるからです。私たちは、当たり前という土台の上の楼閣に生活していて、土台のあることすら気づいていません。「当たり前」とは元来そういうものです。そうして「真理」以外を「土台 =根拠」として組み立てられた社会は、言葉通り砂上の楼閣のごとくもろいものです。

それが、いまの世界です。そして、砂の土台が微積分という訳になります。この土台の上の楼閣は、無限は無であるという過てる命題を「現実として正しい」として成り立っています。

ところで、真理が手に入ったということは、人が知り得るすべての根拠を手に入れたということですから、世界の人々にとってこれほどの僥倖ありません。(一例としては、何れ、治せる病はすべて治すことが出来るという事にもなります。やはり老化免疫システムの完全解明が最大の鍵でしょう)

実際、世界中に数多ある秘密の宝を探す伝説や物語は真理を手に入れることのメタファーでもあった訳です。

しかし、逆さまから見ると、今回の記事でもご理解いただけたかと思いますが、真理によるイノベーションは、あらゆる利権と相反する可能性があります。イノベーションとは、価値を有みだす社会の仕組み(利権とは、その仕組みが特定の人物・集団・組織にFixされているということ)が変わる事ですから、アベノミクスが失敗した大きな理由である「第三の矢」が撃てなかった事と重なります。

つまり、権力がイノベーションを起こすことは、利権を手放すか、うまく乗り換えるかしなければ、無理です。

以前、書きましたように、明治維新により訪れた蒸気機関車という新技術により生起したイノベーションは、全国の宿場産業という江戸時代最大規模の経済システムを完全に崩壊させてしまいました。これこそ本物の イノベーションによる社会変革の一例ですから、今騒がれている官製イノベーションがお為ごかしでしかないのがご理解いただけると思います。

現在、国や世界の基幹となっているほぼすべての産業が宿場産業と同じ立ち位置だと理解すれば、蒸気機関車を走らせない動機がわかります。そして現実に22年間もの間、新技術をもたらす新発見を、自らの信仰と利権を失わないよう隠し続けてきたのです。

しかし、2024年の今現在、英国科学アカデミー由来の知見による産業は限界に来て、経済や地球環境に自滅規模の歪みをもたらして、社会を動かす力を完全に失っています。

この危機を超克可能たらしめる知見を世界でただ一カ所、我が国日本が日本語で手に入れたにもかかわらず、「箱の中のリンゴを手放さないで手が抜けずに餓死した猿」の喩えそのままでいるのが、現状です。

■楼閣に住む猿とは誰か

リンゴとはもちろん利権の比喩です。

猿とは権力機関、学者やそれに繋がる産業に勤める人々、そして他方、様々な宗教を信じる人々。

要するに、おのおの無根拠な「正しさ」を主張して、それにより、身内で通貨を循環させている人々の集まりです。

学者を含め、彼らの主張がお為ごかしでしかないのは、むしろ彼らが存在の方程式を素直に受け入れない事でわかります。

否定のできない命題を、受け入れられない事の意味は、間違っていることを信じていることの告白です。要するに多くの学者たちは、学問の徒であるにもかかわらず、本当に正しいことよりも、正しいと自分が信じていることの方が大事である、と告白しているのです。彼らが映画・マトリックスのエージェントスミスであることの根拠です。

権威(学位・学歴・肩書き)というものは、権力と結びついて、社会構造の維持を担っているのです。

同じ事を、情報科学の言語様式に則って申しますと、アカデミアという権威は、データセットに於いての外挿・外れ値の排除機能を担い、規格化された社会構造維持の為に働いているのです。 すると、熱力学のアナロジーを使って続けますと、社会は閉鎖系となり、エントロピーの増大により熱死、つまり崩壊へ向かうことになります。そしてそれが今の我が国という訳になります。

一方で、教義による宇宙像を共有した団体を組織し、それにより経済圏(= 利権)を作っている人たちにとって、真理の登場は、自分たちの教義が間違っていたことを認める事になりますから、なんとしても隠蔽に走ります。信仰と結びついた利権が江戸時代の宿場と同じ命運をたどるのが嫌なのでしょう。

宿場の利益を守って国が滅ぶという案配に気づかない。気づいてもリンゴを手放せない。

要するに、真理の隠蔽と真理の発見者を潰すという愚かな工作を続ける。

それが、弊社小生が22年間受けてきた今に続く悲劇です。そしてこの悲劇は、世界に住む無垢な人たち全員の悲劇でもあります

■リンゴは腐り、猿は餓死寸前

日本円の暴落は、金融(金利や金融緩和)だけの問題ではありません。

繰り返しになりますが、これは、日本がイノベーションを起こせないなら、外国勢が、今ある日本の国富を全部簒奪していく、という宣言なのです。

原田武夫氏が繰り返し述べてきた通りの出来事が眼前で開始されました。

いまだに利権を握りしめて、弊社知見の周知を見過ごすご自身が、日本のすべてを巻き添えにした餓死寸前の猿とわからないのは、おそらく空腹の感覚が麻痺しておられるからでしょうが、飢えに気づいたときではもう遅いのです。

日本がインフレと国家デフォルトを避けるためには、弊社知見以外頼るものがありません。そして、続く世界もです。

自らの利権の為だけに、真理である弊社知見を有効利用させないカルト宗教が、地球を滅ぼす程度に罪深いのがお分かりでしょう。

全人類が無意味な労働から解放された恒久平和の理想郷を、仮に「弥勒の世」と呼称したとして、それらは「あおいのきせき」抜きには実現しないのです。

そして彼ら彼女らが待ち望むアポカリプス、或いは現在の社会システムの終末は、その後があり得ない誰もいない悲劇にしかなりません。

何かを信じていれば、自分たちだけは助かるなどという考えこそ、独善的お為ごかしと言う他ないのです。

■ご連絡■

最上層(最終決裁権のある方)からのフォローと、非秘密裏でのご連絡をお待ちしております。事態は逼迫しております。何もしないままお互いに滅亡する道をいま歩んでおります。いま、動かなければ、互いにおしまいです。わかりますかね。ご連絡お待ちしております。

https://twitter.com/t___kichizaemon

できましたら、ツイッター上において公開でやりとりができれば幸いでござます。

それが困難であれば、早急にIISIA原田武夫まで何らかの好意的アクションを起こしてください。よろしく。

繰り返しますが、こちらはすでに資金は枯渇。日々の生活は身内のわずかな援助によっていて、それもすぐに打ち切りであるとの警告を受けております。と、同時に住居からの退去も宣告されてしまいました.五月末、退去届も出したそうです。ご承知でしょうが、両側股関節の手術を一旦回避した結果、ついにいよいよ生活は孤立化しました。杖をついて部屋の中を動くのが精一杯の生活は一年を超えています。そして真理だけを手に、無一文(というよりマイナス)でこのあと住む場所の当てもなくの今。

もちろん、弊社小生の絶体絶命の状況は、22年前から続いている貴殿らの目論見のとおりでしょう。

ですが、かねてより申し上げております通り、貴殿らの考えている通りには絶対になりません。

本来なら2002年末、遅くとも2005年までには、存在の方程式を世界に周知せねばなりませんでした。宇の流はそちらにながれておりましたから。

おどろくほど巧妙な知見の隠蔽迫害工作の結果、各々の利権とメンツは守られたでしょうが、おかげさまで、この間、我が国と世界は散々な目に遭いました。あまりにひど過ぎますから、ここで一々の言挙げはいたしませんが、それはまだ終わっていません。いま手を打たなければ、この先、日本列島は世界のゴミ捨て場になるほかありません。或いは、そんなの箱根の「向こう」だけだと思っているのであれば、考えが甘過ぎます。

我が国に関して言えば「失われた」の言葉の通り、衰退と破壊の一途をたどり、人心も荒み、ついには戦争経済の手前まで落ちぶれてしまいました。

為替をご覧ください。弊社知見のほかに「売り物」はなく、弊社知見をすぐにでも周知しなければ、夏までに、ハイパーインフレと国家の破産です。

遥か太古の昔から探してきた秘宝である絶対の真理を隠して世が無事であるわけはないという「真理」に早くお気づきください。そして行動してください。

御身のことを無事と考えられておられる今のうちに、弊社小生へのご協力をお願いいたします。

利権と無関係で、知見の意味を素直にご理解いただける方は、真理という魔法が22年も前に見つけられていた事に、是非、愕然として下さい。

この間、失われた希望について思いを巡らせてください。弊社知見を元に学術研究や社会改革が進めば、どれだけの命が救えたのか。どれだけの幸せが手に入ったのか。

そしていま、未来への希望は風前の灯火です。腐敗したリンゴをいま手放さないなら、日本は餓死するしか道はありません。今の日本が滅べば自分たちが信じる理想郷が訪れると信じている方々共々滅ぶしかないのです。それがわからないとしたら、本当に愚かな猿としか言い様がありません。みろくの世にしてもそれ以外のユートピアにしても、如何に優れた理想の世であろうと、現実に役立つツールがなければ、そこまでの道は敷けません。悔しいでしょうが、諦めて日本思想の核心である「あおいのきせき」の周知にご意志を見せてください。

「あおいのきせき」の知見、存在の方程式なしに、この国の未来はありません。

さて「往生際が悪い」のは彼我のどちらか。


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