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非意識(物質世界)は、ブラックホールで、意識と繋がる。

意識といわゆる「物質(客観)世界」との関係。

A 境界  非A 【原初存在式(「あおいのきせき」の知見による)】

【二つの絶対的命題】
 ①いわゆる「客観(物質存在)」は(わたくしの)「意識(主観)」の中にある。
 ②わたくしの「身体(物質存在)」は、いわゆる「客観」に属する。
 この二つの命題を矛盾なく統一させたものが、世界のありよう(を言い表  したもの)である。

 【物質・意識・波動】
 存在に於いて、粒子(物質)とは、非波動である。
 存在に於いて、波動とは、非物質である。
 意識とは、非粒子(非物質)かつ非波動の「なにか」である。
 最前から記しているように、要するに、意識とは、粒子(物質)と波(動)の「境界」である。

「物質」と「波」の「境界」点(点とは=0である)の意味する所は、物質が物質でなくなる「点」であり、かつ、波が波でなくなる「点」である。

 それは。。。
 ブラックホールの持つ特性と同一である。
 では、ブラックホールの「むこう」は「意識」です。
 理論的には、そうなる。

 そんな単純な話でよいのであろうか、と不安になる。がしかし仮説としては、十分なりたつ。

 いま、ふと、「2001年宇宙の旅」の終わりの方を連想したのだけれども、「まんま」じゃん。この理論を比喩的に映像化したら「ああ」描けますよね。

“あおいのきせき”より

{(A)物質} {(境界)ブラックホール・意識} {(非A)波動}


詳細は是非、本編をお買い求め頂き、お読みくださるとよろしいのですが、

上の「脳内ブラックホール」仮説も
上の理論が採用している

「意識=波動であり、脳=粒子」

リンク先より

という前提部分を

「脳=粒子」は、そのままで

「意識=非波動であり、かつ、非粒子」である

「あおいのきせき」の知見による

と、「あおいのきせき」の知見により導かれた前提に変えることで、補完され得ます。

つまり、「あおいのきせき」の知見は、現在の「最新物理学」の具体的な仮説とまったく齟齬がない、どころか、その理論を補完することが可能です。

要するに「あおいのきせき」の知見で、 "説明がつきます"
くわしくは、是非「あおいのきせき」の本編をお読み下さい。

その際、
「あおいのきせき」は是非、カク先生の「神の方程式」と併せてお読み下さい。

「あおいのきせき」の知見を「現代物理学」の知見と重ね合わせれば、確実に「その先」にいけることが、判ります。

しかも、本編に於いて意識と物質に関しての考察は更に進みます。

これをお読みになられた方。
おめでとうございます。
「歴史の目撃者」になりました。
(この発見自体は、2002年10月18日なんですけれどもね)

無論、ご存知でしたでしょうね。

しかし、ロジックがなかった。

ようやく「あおいのきせき」の登場でロジックが明らかになりました。

が、それを知ったのは、何時でしたでしょう?

全世界よ、注目!!

戦争なんかしている場合ではありません。

心身二元論問題も
解決を見ました。

養老先生。

「こころ」はいわゆる「対義宇宙」なので「物質」の定義が反転(対偶化)する、ということでいかがでしょうか。

つまり、「物質」ではない「存在」として、「存在」している。ということです。(心は脳の機能、としてではなく>広い意味での因果というか、相互因果関係にありますが)

「こころ」は非粒子かつ非波動として「存在」していますから、「この宇宙」にいては、まるで「つかみどころがない」

そうして、「脳」が「脳」を(考え)れば確かに「自己言及のパラドクス」に陥ります。

ですが、「脳」ではなく「言葉」という「外宇宙」から「脳」に「言及」するのですから、「自己言及」にはあたりません。(「言葉」が「意識」に言い及びましても)

「言葉」で「言葉」に言い及べば「自己言及のパラドクス」となりますが。。。

是非、以下ご参考いただけますと、誠に幸いでございます。

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