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死の謎を解く

今回記事の前提となるいくつかの考察は、時系列にマガジンにまとめられております。是非、お読みくださいませ。

■意識(((((精神・心・魂)))))のありか

■【物質】と【心】そして【科学】と【宗教】

存在の方程式」から【物質】は【非物質】と【物質と非物質の境界】と共に存在すると、分かります。

【物質】とは何かを問う必要すら無く、知覚としてなじみの深い「対象」である【物質】に囲まれて私たちは生きています。私たちの「身体」ももちろん【物質】です。いわゆる「科学」はこの「実体」を伴う【物質】を対象にしています。確かな「実在」として五感に感じる対象こそ「客観」であるのが【物質】と言われています。

一方、わたしたちは「心」のあることも知っています。けれど「実体」として「科学」の対象とはなっていません。人文科学として「心理学」、医学として「精神医学」という「学問」があり、それらは「科学」の一部門ではありますが、「心」が「物理科学」の扱う対象になることは、今のところありません。不用意に心を扱うのは「非科学的」とされていて、心は主に「宗教」の領域とされています。

結果、宗教は拝聴するに値する系統だった世界(宇宙)觀から、完全な出鱈目に至るまで幅の広い「未開の荒野」の様相を呈しているといった有様です。

もちろん歴史の実像は逆であって、つまり、特定の宗教、特に一神教(を社会の前提にした人たち)の一派が選び取った「心身二元論」が「再現性」と「普遍性」を次々に手にした結果が、今の「科学」という訳であり、「(現象の)再現性」と「(認識の)普遍性」を持たない現象について言及する事は「非科学」的とされています。

結果、一回に限られた現象(奇跡など)や「独特な認識を持つ人物(預言者・予言者)」の言説、それから「心」など「実体」を伴わない「モノ」について語ることは、程度の差こそあれ、「洗脳・マインドコントロール = 閉じた人間関係間でしか通用しない言語体系」に縛られた集団・組織のまるで「専売特許」のようになっているのが現状です。

一般に、「心」は「身体」と対に考えられていて、「身体」が無くなると、つまり「死」が訪れた後に「心」がどうなるかは、「人類最大の謎」といっても過言ではないでしょう。

死んでも、つまり「身体」がなくなっても「心」は残るとして、残った「心」がどうなるか、こそ「宗教」が語る得意分野です。

「客観」として「死」が生物としての機能の消失であり「死後」の「身体」の物質的な変化について「科学」は答えを持っていますが、「心」については、そうでありません。

ありませんでした。

■【心】は【非物質】

【物質】の「実在」であることの確かである事と同程度に「実在」の確かである【非物質】という「概念」の導入により【心】は【非物質】であると「定義」することが可能になります。

【非物質】という【物質】にあらざる「存在」はつまり【波動】のことであると言って不都合はありません。言葉の定義として無矛盾です。そうして私たちは【波動】が【物質】の「対(正確には対ではない)」としてあることを知っています。

(これらについての考察は【微積分】の欠点、つまり本来は全く別の「界」である【時間】と【空間】を【時空間】という「同一の場」として扱った結果が「特異点(事象の地平線)」という「不都合」に行き着く根本原因である事につきましては、最近の過去記事に詳しくありますので是非ご参照ください。これこそ、人類の革命的な一歩になるものです。)

■【非物質】とは【非空間】

非【物質】とは、数学言語では虚数(i)という「数」により【(三次元)空間】として表記可能になります。所謂【虚数空間】とはその意味を【非空間】と完全に互換され得ます。

【空間】とは【物質】そのものを指示していると理解しなければ【物質】の存在しない【空間】とは?という「問題」が発生してしまいます。

言い換えますと「無」は存在するのか?

という問題です。

この問いは大事な前提に気づいておりません。【空間】に【無】は存在するのか?    
と問う事でしか問いは有用になりません。
(【空間】とは即ち【物質】であると定義しなければならない理由に直結します。)

【存在】(図)には、【非存在】という(地)の【存在】が隠れてあります。【存在】が【時空間】なら【非存在】とは【非時空間】を指示する事になります。

さて。

【空間】に「無」い【存在】は、【非空間】に【有】るかもしれませんが、それを【無】と呼ぶのは語義矛盾になりそうです。なら【空間】にも【非空間】にも「無」いならば、【無】と呼べるかと申せば、【非存在】に「有」るやもしれず此れも語義矛盾を引き起こします。種を明かせば【無】は言葉自体語義矛盾です。

【有】である「言語体系」内に【非有】は持ち込めません。これは【微積分】を使って【時間】を【空間】に持ち込む事で作り上げた【時空間】の極限状態では【古典力学】が通用しないのと同じ事です。

ただし【無】とは【非存在】と同義であるという定義があれば、語義矛盾は回避され得ます。

これに関する論考も過去記事に記しましたが、つまり、

【有】と【無】は正確には対義関係ではない、正確には

【有】と【非有】
【無】と【非無】

こそが対立する概念(言葉)である、ということも「存在の方程式」による再発見でありました。(言葉の定義上「有⊂非無」「無⊂非有」となるからです)

そして【物質】すなわち【空間】こそ【有】であり、すると【非有】とは【非物質】すなわち【非空間】である、と分かります。

(所で【無】と【非有】そして【空】という言葉の指示する対象を明示して、用語を混乱から救い出すことが求められています。次回以降の記事で論考を深めて参りたいと思っております)

【非物質】である【非空間】は【物質】に「あらざる性質」を有している筈です。【波動】も【非物質】という言葉に含まれると言って間違いではありません。

■【非空間】とは【空間】には見つからない「モノ」

ここで【心】【意識】【精神】【魂】【霊】という言葉の登場になります。これらを【非物質】と定義して不都合はあるでしょうか?

むしろこう定義することにより【空間】と【意識】が無矛盾で共に「存在」していることの「説明」がつきます。或いは【モノ】と【こころ】がどのようにして両方ともありうるのかと「科学(論理)」的に説明がつくのです。

【非物質】が【物質】である【空間】に存在するわけはありません。【空間】つまり【物質】存在しか知覚できず【波動】の存在を理屈としてでしか「感知」しない「科学」は【非物質】という概念を手に入れることで、その言及範囲を【心】【意識】【精神】【魂】【霊】まで広げることが可能になるのです。

■ことばの「定義」【心】【意識】【精神】【魂】【霊】

【心】【意識】【精神】【魂】【霊】という言葉の指示する対象を明示して、用語を混乱から救い出すことが、やはり求められています。
今のところ、未整理ですが概略として

【心】とは「意識の入れ物」
【意識】とは「物質の対義的存在としての非物質」という「物理存在(実在)」つまり「時間」
【精神】とは「言葉のある状態の意識」
【魂】とは「範囲の未定義な心」
【霊】とは「物理存在」

として使用するようにしています。
未定義の言語につきましては、学問の対象たる「科学」として意味(指示する対象)を的確にして普遍化を求めなければなりませんので、今後「担当学会」の研究・会議などを通して活発な議論が必要になるかと思います。一方、無批判の定義こそ「カルト組織」の陥っている間違いの元に相成ります。(彼らのロジックは検証不可能性に立脚した集団主義にあります)

基本的には宇宙が三態の非ず(「非物質」「非意識(非時間)」「非非時空間」)で構成され、その重なるところを「自己」と定義するところから導き出された言葉の使い方をするようにしております。用語の定義の問題は、すなわち、所謂「物質」「意識」としての「自己」の範疇・範囲は明確ではない、というところとリンクしてきます。

IISIA2023年頭講演の内容で使われた用語にできるだけ寄せるようにしております。併せてお聞き頂きますと、ご理解が深まりますので是非お買い求めください。この記事と「同じ事」を別の角度からお話し頂いておりますゆえ。

■【非空間】としての【意識】のある場所

■【物質】 + 【非物質】 + 【物質と非物質の境界】(【ブラックホールは脳?】)

【意識】が【脳】の機能であるという主張が養老孟司先生の「唯脳論」です。言説として「意識が脳に宿る」という物言いも私たちの認識に反するものではないでしょう。

存在のありようは必ず「存在の方程式」の形を採らざるをえません。地のない図はあり得ませんし、地と図を別であると境界を与えているのは「わたし」という認識主体であることをは否定できません。

このことを【脳】と【意識】に照らし併せて考えてみます。

【物質】と【非物質】である【意識】は、【物質】である【脳】を「結節点」にして「繋がって」いると、いうことが分かります。これは言い換えますと【空間】と【非空間】(である【意識】)は【脳】において「リンク」しているということです。

すると【虚数空間】(である【非空間】)と【空間】は【ブラックホール】(という事象の地平面)を「結節点」にして「つながっている」ということと、意味が重なることになります。

この二つの命題を等式で重ねますと、

【脳】と【ブラックホール】は同じ機能を有している、となります。

■「量子脳理論」と「【ブラックホール】は【脳】仮説」

【ブラックホール】の「先」が【脳】であるとすると、【空間】から「消えた重力」(或いは情報)は、(虚数へ)逆(反)転して【非物質】化する。
すなわち【意識】の「誕生(ただし一方向の単一時間の存在を前提にして言えるとしたのなら)」になります。

【意識】として【非物質】が「物理現象」として【脳】内でどのように働いているか、上の「事象(仮説)」とリンクする形での検証がこの先待たれます。

一見、【脳】と【ブラックホール】は、前提知識として「かなり距離が在る空間存在」とされておりますから、反射的な拒否感に襲われるかもしれません。

が、

【ブラックホール】という「場所」は「【時空間】的物差し」がいわば「無効」化されるということ、加えてこちらで提示させて頂いております【意識】という【非物質】は【時間】と【光】そのものであるという「仮説」と相併せまして考察いたしますと、「理論上ありえなくはない」ということに、は、なります。

そこへロジャー・ペンローズ博士の有名な「量子脳理論」を加味いたしますと、いろいろと考察が進むかと予想いたしますが、今回の記事からは、論旨がずれていきますのでこの件に関しましてはこのあたりに致します。

■死。【空間】と【非空間(意識)】で起きること

■【物質】として、【個体(わたくし)】の「生命活動」の停止と組織の分解。

簡単に指示いたしますと、死によって個体の消失が起きる、と言い得ます。

個体を形成していた物質は変性しますが、「エネルギー保存の法則」によれば、なくなることはないはずです。

【物質】という【空間】存在としては形を変えるのですが、なくなりません。なくなるのは「生命として活動していた身体(という個体)」という単位です。これを言い換えれば「(わたしという)自己の消失」です。

逆さまから申しますと、これも過去記事に記しましたように、【わたし】(=自己)とは、【物質】という世界において【わたし】(=認識主体)である「身体」のことを言います。

このことは「常識」に照らしても無矛盾であります。

◎【物質】としての死によって、【自己】という「身体」は消失するが、【物質】としてはなくならない。

■死によって【非物質】として【個体(わたくし)】に起きることとは?

【空間】つまり【物質】存在である「ヒトの死」については「他者の死」が「再現性」「普遍性」を以て「認識」出来るため、将来自己においても訪れるであろう死について類推することは比較的容易です。

対して【わたくし】(=自己)の【意識】(つまり【心】)は【非物質】つまり【非空間】存在ゆえそうはいきません。五感は直接【非空間】を知覚、認識できるようにはできていません。

しかし、【物質】として死によって訪れる【自己】への変容をそのまま【非物質】へスライドして類推することは可能です。

【非物質】という【非空間】存在としては形を変えるのですが、なくなりません。なくなるのは「生命として活動していた「心」(という自己)」という単位です。これを言い換えれば「(わたしという)自己の消失」です。

つまり「心」という「わたくしの【意識】」から「わたくしの」がなくなり、変容した【意識】が残る。

誤解を恐れずにざっくりと申せば、

自己の死後の世界は(物質世界がそうであるように)ありますが、「わたくし(自己・認識主体)」という「存在」はない

ということに相違ありません。

このことは【物質】で構成された【身体】と【意識】と【心】との関係が正確に対比されうるということから、分かります。

ただし【心】は【空間】ではなく【時間】ですし、【物質】ではなく【波動】であるとうことに留意が必要でしょう。

すると意識においての死を考える場合、【意識】に於いて、「わたくしの【意識】」を【心】と指示いたしましたように、死後「心」が消失し「【意識】へ戻るとはどのようなものかの考察が必要になってきます。

【わたくし】とは【非空間】【非時間】【非時空間】の交差する「ところ」であると過去記事で幾度も記しましたことが、思考の補助線になりますことは、容易にお分かりいただけることと思います。

死が宇宙においてどのような出来事か、「交差が解ける」訳ですから、詳細にどのように言語として指示出来うる事になるのは今後の考察に任せたいと思います。

◎【心】としての死によって、「【わたくし】の【意識】」である「心」は消失するが、【意識】はなくならない。

【意識】に於いて、私を私たらしめているものは何でしょうか。死によって、それが失われると考えるのは、物凄く、妥当です。

ふと、【滅私】とか【無我】という言葉が思い出されます。

■【心】と【言葉】、【精神】と【魂】

今後の考察は【わたし】を失った【心】つまり【意識】とはどのようなものかを【魂】と【精神】と絡めまして深めて参りたいと思っております。

いずれにせよ、世界は「わたくし」抜きで全てを理解・語ることはできないことが、ここ最近のこちらのnoteでの考察におきまして、はっきりとしたわけであります。

■さよならアメリカさよならニッポン

■非「アメリカ」非「ニッポン」

戦後、日本アメリカという対立軸ので見事な音楽を紡ぎ出していくことになる天才たちの集団「はっぴいえんど」の最後の曲が、

さよならアメリカさよならニッポン

二つの対極世界から「さよなら」して向かうところは
当然、
アメリカに「非ず」
ニッポンに「非ず」
クニ

「非時空間」という「あらゆるすべて」である「理想郷」は「nowhere」で「notime 」に在るのです。

ほんとうに優れた芸術家のお仕事には心を奪われてしまうと当時に、深い、
深い深い心から敬意の念を懐かずにはいられないのです。

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