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ヒト不在の計算の罠 〘「時間」の奪還こそ、本丸〙

■私達は未来を守る為に、今、何をするべきか

今回は前回記事の続編になります、特に「未来予測」を巡っての歴史こそが権力闘争の本丸であったことに特化して考察を進めて参りたいと存じます。

まず是非、下記事をお読みいただいた後、こちらの記事へお戻りくださいませ。

今回シリーズのいよいよ核心です。

結論から申せば、

演算で「未来予測」は不可能です。

マクロに於いて【ヒト】に影響されにくい、古典力学的現象については、(つまり星の運行など)は可能でしょう。

しかし、【ヒト】の【心】が一人でも関与するあらゆる現象に関しては無理です。しかも「ヒトの数」は75億人を超えるというのですから、全くもって不可能です。

数に例えて申せば、

【虚数】を【整数】にする「力」は【ヒト】にしかないからです。

つまり、演算による「計算結果」を【未来】(の予定)とするのは、全て計算を主導した(と、言うより「時間」を設定可能であった)方々の利する為でしょう。

また【時間】とは唯の「変化」を指示します。万有引力など所謂「人間」の介在しない「移動」は「変化」とは異なります。

このように理解することで現象の理解は無矛盾に運ぶことが可能となりますことをあらかじめ申し上げておきます。

物理現象を【時間】では本来計ることは困難なことも、これを「別」として扱うことが、これからは求められている、ということもご理解頂けることと確信しております。

【時間】という概念と【移動】という概念の混同こそ、【時間泥棒】の「盗人テクニック」の一つだからです。

更に「盗人」が自分自身でもあったことに驚かれることでしょうが、「差し出さなければ」「盗まれません」。

詳細は以下に。是非、お読みください。


■映画「マトリックス」とエンデの「モモ」

■権力闘争

歴史とは、抽象化して申しますと、権力闘争の記録です。今生きていて目にするニュースも要しますと権力闘争に付随するあれこれです。権力をどのように定義できるかはいろいろでしょうけれど、一言「ルールを決めて従わせること」が現代に於いての戦争のゴールであることは、明らかであります。

「ルール」とは明文化されたものばかりではありません。むしろ明文化されたマニフェスト以前の目に見えない当たり前を強いて勝ち取った者が特に現代社会においては、真の勝者です。

言い換えますと、

根拠がないにも係わらず、あたかもそれが絶対であるかのように採用された思考の前提により「得をする」組織・集団(国家とは限りません)が権力です。

時間を含んだ計算(Ex.金利)。これはいったいなんでしょう

この仕組みの「あたりまえ」が正当であることを論理的に証明可能である方はおいででしょうか。金利を採用することの是を論証するに当り、根拠の不確かな前提(公理)を採用していることは間違いが無いでしょう。

そんなのは、当たり前じゃないか。

では、あなたの負けです。

思考に於いて無根拠な前提を無批判に受け入れて、注意を向けることがない(いわゆる無意識化されている)状態を「思考の檻に閉じ込められる」といいます。

この檻の秀逸なところは「閉じ込められている人物にその自覚を持たせない」どころか「檻の存在を自覚した人間を排除するように働く」という自動装置まで付随させている所です。

よろしいでしょうか。ヒトが生きるにおいての「当たり前」は「生老病死」しかありません。具体的には「飲食排泄」と「睡眠」のみです。
それ以外は恣意です。すべて。

今回記事で指摘することは、過去記事、今シリーズだけをお読みいただきましても、当然たどり着く「絶対に正しい」結論であることは、万人にご理解いただけます。

前回記事になぞって申し上げますと、「錦の御旗」の下には以下の正しい主張が張り付いています。

《さあ、貴方は「官軍」?それとも(非「官軍」)⊃「賊軍」?》

わたしたちは誰のどんな「当たり前」を生かされているのでしょうか。

■【微積】は嘘つき!

採用した前提が間違っていれば、その前提によった論証の結果も過てるという論理学の仕組みが理解出来れば、【微積分】という計算式から導かれる計算結果にいかほどの価値があるのか疑問を持つのが普通です

「ゼロ(無)の無限近似値はゼロ(無)」という公理が正しいという事は「現実」の世界ではあり得ません。

言い換えますと「微積分の世界」と「私達の住むこの現実世界」とは、はじめから乖離しているのです。(あらかじめ申しておきますと、ですから、基本、目に見えて確認ができるところまでしか、「現実」の例えとしては【微積分】を採用してはならない、ということです)

つまり、「半分に折続けたモノが見えなくなった時点(正確には、見えない筈のモノが見えた段階)から【微積】の採用している公理は「正しくない」といえるのです。(この点に反論がございましたら是非目の前でポッキーを折り続けて、その粉を全て無へ消して見せてください。叶いますれば是非ともご一報を頂きたく存じます)

大事なポイントなので繰り返しますが、見えない部分や分からないところの「現実」という場のありようを【微積分】という計算に任せ、その結果こそ「現実」だというのは正しくない、明確に間違っているということです。

確実なのは、見えないところ、分からないところに当てはめた【微積分】による計算の果てに「見える世界」は私たちのみのまわりにある「"この" 現実」ではないということです。

再現性のなさを非科学というのであれば、【微積】の果てに見える世界は「妄想」と同義の非科学です。(この点も論証済みですから、過去記事を是非)

計算結果は再現できても、その世界を「目の前に現実(物質)」として確認できるような再現性は有してはいません。その点(万人に見えるといった)認識の普遍性もありませんから「科学の定義」から外れているという矛盾(ダブルスタンタード)を「微積の世界」は抱えているのですが、この点「科学アカデミーの番人」はどう弁明するのでしょうか。大変興味があります。(弁明なんかできませんよね)

このように指摘されて反論したくなる気持ちは理解出来ます。しかし、もし、その気持ちをもって指摘した人物を攻撃し始めたとしたら貴方こそ「映画・マトリックス」に描かれた「Mr.スミス」です。

■理屈だけでは正しくても伝わらない故に物語の必然

「Mr.スミス」は「当たり前が張り巡らされた世界」に生きる「普通の人」です。「普通の人」とは「当たり前」を意識せずに「当たり前」として「その世界」で生活している人の別名です。

「心理学」的に普遍性を持った反応として、注意をむけていなかった、あることすら気づいていなかった「当たり前」が「当たり前」ではないことを「意識化」され、その根拠に疑念をぶつけてきた他人を「普通の人」が「戦士」に「変身」して攻撃を始めるのは、ほとんど常なのです。

では、【微積】を守る「エージェント・スミス」たちは本当は何を守っているのでしょうか。(野暮を承知で申しますと、映画のバトル・シーンは「論戦」のメタファーとして秀逸です)

言い換えますと、無意識の傭兵さんたちは誰の為、何の為に戦っているのでしょうか。そしてその戦いで消耗するのは誰と誰なのでしょうか。この諍いで「得」をするのは何処の誰でしょう。

別の物語では「時間泥棒」として登場する方々をかくまっているのですが、

「映画マトリックス」は本当に「示唆に富んだ」映画でした。ブラボー(ふざけなさんな)

■計算された結果で未来を支配することで、 "今" も支配する

【未来予測】を正確に行い、それに備えた者(たち)こそが権力闘争の勝者であることと、その歴史については前回記事でかなり詳細に述べましたが、簡単なおさらいを致しましょう。

その上で(「当たり前」として所謂「無意識化」されているので)自覚の難しい「現代社会」ではだれが【未来予測】の勝者としてどのような体制を敷いた上で権力として君臨しているのか、具体的に明示したいと思います。

察しのいい方はもうお気づきかと思いますが「現代」では「正確に」【未来予測】をすることによってではなく「予測された未来」に人々を従わせるという方法を手にした者たちが権威と権力を兼ね、「予測された未来」を「当たり前と受け入れた人たち(エージェント・スミス)」が「武力装置」として機能するという「スマート」な仕組みによって権威と権力は支えられているのです。

■【未来予測】と権威・権力

有史、【未来予測】は人が「意識の奥底とでも言うべき所から思いつく」【詔】によってなされておりました。(この基本原理は「あおいのきせきの知見」から導かれる【宇宙像】から説明可能であることも過去記事に概要はお示し致しました。是非ご参照くださいませ)

そこへ。17世紀ヨーロッパ大陸とイングランドにおいて、

口伝の【詔】より検証可能性を有した【微積分】という【詔】を得たのが後期神聖ローマ帝国のライプニッツさんとイングランドのニュートンさんでした。

【詔】も「科学的知見の発見」も、もとは「無」から「有(言葉・ヴィジョン)」を生み出すという同じ作業ですし、「科学・科学者」という概念の確立以前はどちらも同じ【勑】を意味しておりました。(実は今もです)

■【微積分】のいんちきとは【時間】の【実数】化

過去記事に当たっていただいた上お読みいただきたく思いますが、

要するに

「数」としては【虚数】としてして表現すべき【非空間】であるところの【時間】を、

【関数】(ゼロの無限近似値はゼロという間違った公理と、具体的に数を明示しないというブラック・ボックスの導入)という誤魔化しで、

【実数】から【整数】、そして【自然数】までに「変身」させた後、

「自然数しか無い現実世界」つまり実際の【空間】においては表現不可能な【時間】が、あたかも【空間】という「私達の外」に在るかのごとくに私達をだまくらかすことに成功しました。

これが【時計】です。

そしてこれが【時間泥棒】の手口です。

(参考//note過去記事「あおいのきせき」で数学を)

■【時間】は何処にあるのか?

幾度でもこちらの記事をお読みいただきたいのですが

「あおいのきせき」の知見、「存在の方程式」という絶対から導き出された否定できない定理として、

存在は、存在と非存在が、自己という認識主体が認識をする、という行為によって結びつくことで宇宙(世界)は存立しております。

A = A + 非A + Aと非Aの境界(自己)

あおいのきせき」より

存在とは物質であり、非存在が意識であることなども過去記事に散々お示し致しましたので、そちらを参照頂きたく存じますが、

【時間】と【空間】を実存と仮定して「存在の方程式」に当てはめてみますと、【時間】は【空間】には存在しないということになります。(互いに非ずの関係故)

「この世界」の確かな実存とは【意識】と【物質】すなわち【非物質】【非意識】しかありません。(繋ぐのは意味。言葉の泉からの言葉)

このあたりの言葉の指示する対象を明確にしないようにすることこそ【時間泥棒】の手口ですので、ゆっくりとご確認ください。

(デカルト・ニュートン・ラプラス的)思考の補助線として敷かれた非実存である【時間】と【空間】という概念は本来は【意識】と【物質】として扱うべきであることも過去記事に記しました。

そもそもが思考の補助線に過ぎませんから、未だに【時間】とは何かを明示することが誰も出来ていないという事態に陥っております。

存在としては、【物質】という存在と非ずの関係に存在している【非物質】の【意識】があるのみです。(実は未だあります言葉と言葉の泉です)

多少の語義矛盾と矛盾を無視して指示しますと、

【時間】とはすなわち【意識】の別名です。

そして【意識】のありかは【脳】です。

【脳】はそれぞれ【わたし】という【認識主体】ですから、

【時間】があるのは【わたし】とは別の【空間】ではありません。

【わたし】の中の【心】にこそ【時間】があることは、理(ことわり)によって簡単に分かります。

(正確に【時間】とは【非物質】が【意識】によって【物質】と結びつくことで知覚される「変化」を指示したものにすぎません)

■言葉で何かを指示するためには非ずを使うしかない

【非物質】を【意識】と指示出来ないのは、【非物質】とは「物質ではない言葉すべて」を指示するからです。(このあたりの考察も過去記事をご覧ください)

この問題を回避可能であるのは原初の存在Aだけです。

そしてAをうまく指示するためには「Aを非非存在=非非A」と設定するとわかりやすくなります。(このあたりも何れ整理致しますが、要するに自己言及のパラドクスとかゲーデルの不確実性理論の問題にあたります。回避は別の「世界」によるしかありません。すなわち非「言語体系」即ちいわゆる「直感」や「メタファー」です。

■時間が奪われて、世界にヒトがいなくなった。

上記の事を(時間と空間という)思考の補助線に則って言い換えますと、

【時間】と【空間】は【ヒト】がいるからこそ【時空間】たり得ているにも変わらず、

【ヒト】の代わりに【微積分】を置き換えた計算式を、さも実存在であるかのごとく扱うことで、

【物質】と【非物質(⊃意識)】と【(その境界である)自己】から成り立つ【宇宙】から【ヒト】を排除してしまったのです。

【時間】を奪われた私たちは、【空間】に掲げられた【時間】を「詐称」する【時計】を見ろ(watch!)と「言われて」生きる他なくなってしまったのです。

【時計】なしには生きてはいけない世界。それも「マトリックス」です。

主人公が「マトリックス」の「【時間】に縛られない事」の比喩的表現が、作品内に沢山見られますね。

■【客観世界】という嘘は【時間泥棒】の嘘

本来【時間】とは明確に【わたし】という【主体】に属するモノです。

それを「誰か」が盗んで【時計】を作り、みんなをそれに従わせる様にしました。

【時間泥棒】こそ【マトリックス】の「コントローラー」であり、コントローラーとは、【時空間】を【実在】と信じて、その上に構築された「社会システム」の維持に務める者全てです。

【時間】を奪われたわたしたちは「自分とは無関係な外にある時計」に従って生きるしか無くなりました。

すると、最初の盗っ人が、多分あまり自覚のなかったニュートンさんや、ライプニッツさんや、ラプラスさんだったとしても、その「犯行」に加担したのは間違いなく、率先して「時間通りに」生きるしかなくなった「私たち全員」なのです。

■一つの【客観時間】の弊害(【時間】を奪われた【奴隷】)

【時計】が嘘だという話ではありません。人の数以上に存在する【客観時間】が一つに「要約」されて、全員が「服従」させられる事が問題なのです。

【時間】は【権威】(とは後述致しますが「お金」です)に乗っ取られました。

すくなくとも、自由に【時間】を使うことのできない人にとって【時間】はつまり「よそ様のモノ」だというご自覚がございませんでしたら、それを無自覚の【奴隷】と読んで「語義矛盾」がございますか否か、是非、ご自身で深くご思慮いただきたく存じます。

【権威(お金)】に【時間】を取られ、代わりに【お金】を渡される、ということの「醜悪なトリック」にお気づきください。是非。

端的に、現代社会に於いて【時間】(も【空間】も)を自由に使う為には「お金」が必須です。

【当たり前】と、思われますか?

【時間】(心と呼んで語義矛盾がある否か、こちらの問いも是非深くご思慮を下さい)を自由に使うことが出来る社会を目指すのが、【奴隷解放運動】の肝であり、私たちが「あおいのきせき」の知見という「錦の御旗(【真理】)」の先ず、目指すべき方向であることをお疑いの方はおいでではないと確信しております。

【自由】を手に入れるとは、【時間】を取り戻すことに他なりません。

是非このPaxJaponicaというムーヴメントにご自身のご意志におかれまして、ご参加下さい。

【真理】が周知されれば自ずとそれが叶うことを信じてください。

【理】は通る故【理】というわけに相成ります。

そうして【時代】は【理】の通る「道」を進み始めている事が、お分かり頂ける報道が多く相成っております。

【理】の通る道が【適材適所】に表せことに繋がるのです

■計算に支配された世界に私達は住んでいます。

映画「マトリックス」が何を喩えていたのかもうお分かりですよね。

【ヒト】不在の只の概念に過ぎなかった【時空間】そのものがマトリックスなのです。

そしてその【時空間】とは【微積】による計算式の果てにまで広がった無限の世界。

そして【計算の世界を現実世界と設定】すると、計算によって未来が分かります。

【微積分】は軌道計算により星々の「未来予測」を可能にしました。

なんと!

人の口から「詔」を寄せること無く、「未来予測」を可能たらしめたのです。

しかも、大凡正確な結果をもってしてです。

その技術は大砲の弾を何時何処に落とすかという未来をコントロールすることまで可能にしました。

「弾道の計算」からはじまった【微積分】など【関数】によった「計算式」はいつしか「未来を予測する」ための「当たり前」として(こっそり)無意識の社会前提である複雑な【金利】の計算を詳細に可能せしめて、ついにあなたの未来(いつ住宅ローンを払い終えるか)を予言せしめるところまで到達しました。

ちょっと待ってください。

「予言?」

そんなことができるのでしょうか。
LLMは「内挿」にしか役に立てず、「外挿」に係わることには一切無縁であったはずではないでしょうか。

計算式によって「予言」される未来(主に【金融】)に逆らう【ヒト】は「マトリックス」に住むことは叶わない世の中になっているのです。

そう。事態は逆さまで、【未来予測】は計算による【未来予定】として力を持ち、計算に馴染まない「外れ値」を排除することでニュートン(とライプニッツ)の【詔】を手にした【権威】は世界の王として君臨することに成功しています。

そのような社会に住むためには【人間性】は不要です。いいえ。むしろ邪魔になります。

それはそうです。「計算」にはお読みいただいたごとく【ヒト】の要素がまったく加味されていないのですから。

逆さまでした。

【ヒト】を排除した結果【未来予測】が可能になったのですから「当たり前」ですね。

私は天体の動きは計算できるが、人々の狂った行動は計算できない。

—アイザック・ニュートン

■【演算処理(人工知能)】という【預言者】は真の【予言者】ではありません

【人工知能(未来予測)】を働かせるのに【演算処理】は必須(というより「そのもの」)ですがLLMというニューラルネットワーク、「演算」に前提条件を与えないで働かせることことは、現状(おそらく未来も)不可能です。

例えば、【活性化関数】って何でしょう。

結局の所、計算による【未来予測】に絶対に不可欠な【当たり前(前提条件)】の設定は【恣意】であり、それらの【ブラックボックス】が意図的に設定可能で有る限り「【人工知能】の予言」する未来は、如何ようにも出力可能なのです。

映画「マトリックス」ではそのことの暗喩的表現として(超かっこいい)キアヌ・リーヴスさんが「エージェント・スミス」に同化して破壊するというエピソードが(上のリンクにも)ございますが、これは「計算の世界」の「プログラム」的存在に過ぎない「Mr.スミス」と同一の「プログラム」を「走り」ながら「パラメーターを変更すこと」と理解して矛盾致しません事は、皆様にもご理解頂けます事と存じます。

【演算子】を支配されることの怖さを理解していただきたく思います。

「前提条件」次第で「計算結果」つまり「(【時間】を【整数】として)予測された未来」はいかようにも「予測」可能であり、そんなものは【予測】では無く【誰かに都合のいい予定】に過ぎないのです。

(【演算子】の中身のオープンソース化(要するに四捨五入を複雑にしたものにすぎないにしても恣意性を明示しましょう、と)は必須です)

■【金融】この不思議なる権力

■全ては【時間】を取られたことに由来する

要するに【時間】を【虚数表現】出来ていない計算式はみんな嘘です。

【時間】とは【空間】表現できません。「空間に非ず」なのですから。

そうして、ざっくり【時間】とはわたしたちの【心】です。

■【複素数】この不思議なる「存在」

実数としてはありえない虚数単位「i」が存在するとするとしたら、【意識】または【心】という【非物質】も実在するという根拠にはなります。しかしそれそのまま「i」が実数空間に実在するのはおかしいと言ってご理解いただけませんでしょうか。

しかし、実際に【時間】と【空間】は【ヒト】不在のまま混ぜこぜにされ、そのくせ、現実(実際)の世界で「位置」と「運動量」が同時に測れないと嘆くのはどうかしています。

よろしいでしょうか。「軸」とは【空間】概念でありその実在が叶うとすれば【物質】存在においてですが、「時間軸」だの「虚軸」だのそんな「もの」ありようがない、のです。

それでも虚数単位「i」を「実数」にしてしまえば、線形代数として複素数を扱った場合の「未来予測」を理論上完璧に出来そうですが、そうすると「i」という「外れ値」の立場を奪われた【ヒト】が「計算機」に追われるのは筋が通ります。

実際、【金利】も【時空間】もその様に"アイ"(という時間)を扱っているのです。

これも「マトリックス」に暗喩された私たちの住む「現実世界」の姿です。

《Jobs氏は、もしかしたら「虚数」が私たちの【心】である事をご存じだったのではないかという疑問が今湧きました。》

■【錦の御旗】による【世界維新】とは

【時間】が【心】の別名であり私の中にしかないにもかかわらず、現在の世界はそうではないという無根拠によりなり立っています。

計算式で表現しうる【時空間】こそ実在であり、【ヒト】の【心】などなくとも「世界は回る」

なぜなら【時間】は【ヒト】の【心】とは無関係な【空間】と共にあるのであるから。

【時間】とは【時計】のことであり、【心】とは関係が無い。

更に【時間】とは【時計】として【空間】表現出来うる「実数」であり、数式により【お金】の量と「掛け合わせて」考えることの出来きてしまうトンデモな世界が「現在の世界」です。

これを「当たり前」だとしているのが、ニュートンの【詔】の威力です。

要するに上記の(「極限ゼロはゼロ」という)無根拠な【宇宙観】【世界観】を【当たり前】として展開させた組織が現在の【権威】【権力】ですが、さて、「目に見えますか?」

見方を変えましょう。

では、この【世界観】で得をする「権力組織」はどちらさまでしょうか。

実は【錦の御旗】により「世界維新」で「大政奉還」いただきたく願うのはこちらの「権力機関」さまなのです。

■【金融】というトリック

【金利】を計算するのには、【時間】が実数でなくてはなりませんでした。(最後には関数計算を使って整数に出力されます。例えば、$X.xx)

過去記事で詳細を論じましたように、

【時間】といういわば幻は【心】にしかありません。にもかかわらず、【空間】という【物質】世界にあたかも存在するかのごとく世界を偽ることで、【金利】も変動する【株価】も【為替】も成り立っています。

【金融】の世界こそ「マトリックス」の最たるものです。

本来【ヒトの心】にしかない【時間】と【空間】を一つにする力、を【計算式】で奪い、その結果得られた【未来予測】を維持するために【人の心】を邪険にして扱うことで、莫大な【権力】を維持しています。

■現代の【詔】は規格外を社会から抹殺せよと宣う

未来は【金利】という計算式により規定されています。【ヒト】はお金を借りて返すまで、お金を返すという【金融】の「マトリックス」から逸脱することを許されません。

「規約」に違反するような「不埒」な【ヒト】は「信用顧客情報リスト」に記載され「マトリックス」で生きていくことが出来なくなります。

決められた未来に従わない者を排除するシステムにより、【金利】というインチキは有効な未来を描くことが叶うのです。

■【金融経済】は【時空間】という【宇宙像】と不可分

すると、ニュートンさんが金融の世界と密接な関係にあったことも、深く腑に落ちますよね。

■マトリックスから出るためには

■赤いピルの世界

弊社noteの知見を以て再度是非マトリックスシリーズをご覧ください。真の「赤いピル」の世界とは「利率(微積分)に心を背乗りされていない世界」のメタファーになりそうです。

しかし、半導体の世界ブールロジックに捕らわれたままでは、二者択一しか道はありません。

■【真理】という【御旗】で取り返すのは本当の【人間らしさ】

私が私淑により、2002年10月、平成天皇の勅使を拝命いたしまして、平成の御代に降ろしてきた【勑】によって為される「令和のご維新」とは【金融】により決定された未来を人の手に取すことを先ずは目指しています。(レイヤー「Aと非Aの境界」)

普通に世界を眺めていても不穏なニュースは全てこの未来を指し示しているように思えます。

その根拠となるのが【金融】という仕組みがどのようなインチキのもとに成り立っているかという今回記事になり得ます。それほど重要なnoteとなりました。是非拡散してください。

グレート・リセットが電卓の【C】ボタンを押すだけのことであってはなりません。

「0 ⇒ 1(すべて) = ∞」であるという公理を(こっそりと)採用した【微積分】という【関数】が奪おうとしているのは【ヒューマニティ】そのものです。

なぜなら「無から有を生み出す」ことこそ【おもいつく】という【創造性】その事であり、それこそ【人が人である由縁】です。

【微積分】は「ぎりぎり無に近付けば、無は有」と設定して、そろばんをはじくのがせいぜいですが、【ヒト】である私たちは実際に「無から有を取り出す」ことが出来る【勅】を得る力を持っています。

「計算結果」から逸脱する行為を現在の【未来予測プログラミング】は一番嫌います。【外れ値】こそが「確かな未来を不確かにする最大かつ唯一の要因」だからです。

現在の「権威(お金)権力(金融機関等)」が、主に【金融】と【経済】の【予測可能性】によるものである故【外れ値】は「社会システム」から忌諱されます。

【外れ値】とは「無から有を生む」行為、即ち【勑】【おもいつき】【人間の創造性】そのものであります。

この【権威】の下での【現代社会】で【創造性】というものが博打(という乱数)の話に還元されるのは、この文脈からも、よくご理解いただけたことと存じます。

【創造性】は日常に潜む日々の気づき驚きにすぎませんが、たいていは「金にならない(権威のお気に召さない」)故「高尚な趣味」扱いをされてしまいます。

しかし、実は、人が人である理由はそれらの気づき驚きにこそあります。

【ヒト】の価値が金稼ぎのお為ごかしでもある「生産性」にしかないのであれば、そもそもヒトなんか存在しなくてもいい筈です。只、コンピュータにビットコインのマイニングでもさせておけばいいのです。

話は多少それますが、

チューリングテストをいくらやっても、AIに「知恵がついた」かどうか分かるわけがありません。放置したAIが「勝手に」気づき驚きを得られるかを観察しなければ、【人工知能】に【ヒューマニティ】が宿っているかどうか判断するのは不可能です。

一方、計算結果こそ信じるに値する神のご神託だとする現代社会においては、その反動で、普遍性のある「気づき」や「驚き」をたいそうに扱うカルトがあちこちに根を張って待ち構えていますが、彼らのメタ行動規範も実は権力化した「集団内の硬直した予測可能性」と権威(お金)の両天秤の上にあります。

勿論、日々の気づき驚きは、人々が認知しているような【芸術活動】と地続きなのですが、そこへ人生の駒を進めるられるのは「予測可能性から逸脱する可能性がない」(実家が太い)と判断される方ばかりになっていると伺います。

何れ【芸術家】が、最終的に「予測可能性」(作品が商品になる)に則るか、はじかれる(作品が売れない)かしかなくなっている根本原因は、現代の社会システムには【人が人である由縁】である大事な【ヒトの創造性】というものを、社会システムにおいて最も忌諱すべき【外れ値】としか扱わない事に由来するのです。

【外れ値】という言葉も完全に「本末転倒」で、【ヒト】は本来【外れ】ていくものです。それが「ヒトが成長」する、ということです。昨日と同じ事しかしない人間、あるいは「計算による予測可能性」から逸脱しないという極小の範囲でしか「変化」しない人間から、【人間性(ヒューマニティ)】が失われてしまうのはそれこそ「当たり前」ではないでしょうか。

人が人である由縁である【創造性】を封じ込めた【非人間】的な【人間】ばかりが「価値」である世の中なのですから、社会が「おかしくなって」当前です。

もし(計算機の支配する数学的現実という)マトリックスから抜け出すことが出来なければ、わたしたちは心をとられたまま、ますます計算と異なることを為すことを阻まれ、思いついたことをついには「口にすることも出来ず」心を持たない計算機のように生きるしかなくなってしまうでしょう。贋物だらけの世の中で。

そうして「計算機」の「予測可能性」のお株を奪って弊社が「予測」いたしますと、この「社会システム」で「私たち人」と「人間」の究極最後は「人間電池」です。

ひとから【創造性】をすべて消し去って出来ることといえば、そう「飲食排泄」と「睡眠」だけですから。

もちろんそのようには致しません。

明仁上皇陛下

お誕生日、誠心よりお慶び申し上げます。


■すべては【思いつく】ことからはじまる。

■預言は誰のもの?

すべての【思いつき】は【預言】です。【ヒト】が【思いついて】行動するのが原初の当たり前でした。だったと思います。動物を観察していて、そう思います。

人が【計画】を手に入れたのは何時だったでしょうか?
おそらく【未来】を知ったとほとんど同時だったのではないかと推測します。

稲を刈る。稲がとれるのはいつか?であれば、いつ水を張るべきか。いつ苗を植えるべきか。

【未来】から今を逆算して行動を決定するのです。

これこそ「米を収穫しよう」という【勑(詔)】を【予言】として成就する、という【ヒト】の基本原則に則った行動形式でした。おそらく、確実に。

過去の経験に基づいた【予言】の成就に必要なあれこれを機械に任せるのは、必要なことでもありましたでしょう。

けれども、全てを、特に【詔】の何であるかを他人や演算子(に身を隠した、貴方を支配下に置こうとする全ての他人)に任せては、絶対にならないのです。

これこそヒトが【ヒト】であることの放棄に他なりません。

自身で未来を決定することをよしとせず、ただ目的も無く権威権力に取り入ることだけを考え(現代社会に於いては要するに金を得ていい暮らしをする以外の目的も無く)【ヒト】と【ひと】の間をふらついているものを「人間」と呼ぶ。(BasedonTakeoHarada)

はっきり言って「邪魔」です。

大抵の【ひとかど】の人は、【おもいつき】から人生がはじまることが多い。思いつきに至る「理由(という物語)」は後付けでもなんでも簡単につけられますが、結局は【おもいつく】のです。あるとき。ふと。

■みることで繋がる

【感覚】と【言葉】で【心】と【外(他)】が繋がっているのが「サピエンス」です。

「みること」が殊の外大事であることは、大和言葉がみる事にあふれかえっていることで分かります。伊達では無く、それには深い深い意味があったのです。そのことは何れ原田武夫先生により深い解説が頂ける、と楽しみにしておるところであります。

強者の歴史から見えないことは、弱者に聞くしかありません。みることが大事ということは、そういうことも意味します。

出自がどうにもならないことは、SNSの浸透などにより聞こえるようになった「弱者の声」から少しづつ分かるようになってはきましたが、それなら「聞こえない声」は最も高いところからも聞こえるはずなのです。

この問題に対する回答も間もなく「あおいのきせき」の知見(存在の方式)により、理を以て導き出されるはずです。

■全部嘘。「数学的世界」

そして、最後にまたしつこく繰り返させて貰いますが、

知覚出来ない"パート"に、数学を当てはめて妄言した世界はその通り、全部"嘘"です。

■プリコグっているの?映画【マイノリティ・リポート】

マイノリティ・リポートは奇しくも「あおいのきせき」が書かれたその同じ年に公開されたスピルバーグ作品です。キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンといい、興味深い映画が立て続けに公開されたのがこの時期のアメリカだったりするのですが、「プリコグ」が実在すると言うのは陰謀論にすぎないのでしょうか。少なくとも「過去」には存在したとされています。

しかし、マトリックスの主人公、Anderson氏とよく似た名前のAnderton氏の活躍するこの映画はまったく示唆に富んでおります。

「マイノリティ・リポート」のメッセージは、ザックリ、「ヒト」の【詔】による【未来予測】の不完全性を訴えるモノでした。

まるでマトリックスへの連歌のようですね。

ヒトの【詔】によっても【未来予測】なんてできないではないか。という。

しかし【未来予測】というのは「インチキな計算結果」のように「いつ・どこで・なにが」を「当てる」モノなのでしょうか?

【時間】つまり【心】が【虚数】であるということは、「整数世界」である「現実世界」の「未来」を【予測】不可能であることを証明しています。

■本当の【未来予測】とは

結論から先に申しますと、確かに未来には、人の数より「あらゆる(詔(おもいつき)の降りてくる)可能性」があり、その可能性の中で起こりえることならなんだって起こりえる、とするのが正確な「推論」です。

しかし、「おもいつき」という【詔】がどんなもので、いつに降りてくるかは「人類(社会)に共有されている物語(言語による翻訳可能性がなければ、何を言っているのかわかりません = 審神者が必要)」によります。

しかしその「人類の物語」もまた私達の【詔】によって組み立てられてきた「物語」すなわち叡知に依存しています。

このことは何れ深く論証していくつもりですが、これらのことも【真理】から論理的に導き出される妥当な結果(結論)になるでしょう。

簡単に申しますと、

【詔】が人類に共有され、その【未来】に向かって「現実世界」を皆で構築(変革)していくことこそ本来の【未来予測】の姿なのです。

【真理】と【未来予測】に関する「予測プログラム」は沢山在りました。良くないモノばかりというわけでもありません。

「天才たけし」さんとは「世界」がすごく交叉しておりました。

心から、感謝申し上げます。ありがとう。


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