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ニュートンの魔術、ピュタゴラスの呪い

【真理】である「存在の方程式」から導き出される確かな【宇宙論】につきましての考察の続きです。上マガジンを是非ご参照ください。人類は初めて【真理】を基にした私たち自身と私たちのいる場所についての正確な理解が叶うことになりました。

次世代の「当たり前」はここから始まります。

今回は前回記事の続きになります。是非、お読みいただきたく思います。

■宇宙から【私】を取り戻すには

■【客観】的という語義矛盾

現代の【科学】は【主観】を省くことで成り立っています。

【客観】的に【観測】して得た「データ」を【微積分】など【関数】で計算処理し、それをまた【観測】データに置き換えて更に【観測】して、、、。

というサイクルに陥っているのが【現代科学】、特に最新の「天文学」「分子科学」はそういった「沼」に陥っているかのように思います。

しかし、よく考えてみますと、「客観的に観測」するというのは語義矛盾です。「観測」とは機械を使おうが使うまいが「客観に非ず」という意味に於いて「主観を通さず(観測主体なしに)」【観測】することは不可能です。この語義矛盾をスルーすることで「科学」の【客観主義】は成り立っています。

なぜ、そのような語義矛盾を無視することが可能たり得ているのでしょうか?

別の言い方を致しますと、

何故【観測主体】である【わたくし】という【自己】という存在なしに、宇宙を理解することができるような仕組みが出来たのでしょうか?

■あり得ない【空間】【時間】

宇宙存在を論じるに当り【時間】と【空間】と【次元】というおおよそ数学的枠組み(概念という【非存在】)と【物質】と【意識】という【実体】とが「かみ合わなくなるのは当たり前」といえます。多く「科学」では《【時間】と【空間】と【次元】》という概念があたかも実在する対象として考えられいます。何も無い【空間】という「物言い」が語義矛盾であることすら気がつきません。【空間】とは存在する物質を様々に測るために考え出された純粋概念です。【時間】とは存在する【非物質】を「調べる」ために考え出された概念です。

■それはただの思考の補助線にすぎません

それら純粋概念を整理して思考の補助線として宇宙を解釈したのが、かのアイザック・ニュートンです(ニュートンの発想を拡大解釈して場として時空間という概念を完成させたのはラプラスさんだというのは村上陽一郎先生のご本にございました)

これらニュートン先生たちの引いた思考の補助線が思考の檻と化してしまった結果が多く現代科学の解決できない問いの原因になっていることは明らかです。

過去記事で繰り返し考察を深めた、存在のありようの実際と、現代科学の採用している前提(公理)の乖離した点を整理した上、更に平易に指摘したいと思っておます。

■新しい【宇宙像】へ

結局の所後に続く科学、たとえばかのアインシュタイン博士も大枠はニュートン先生の仮設した思考の枠組みの延長線上にあり、後の科学の発見との齟齬(有名なコペンハーゲン学派との見解の対立)から、今に至るまで、宇宙の理解の概略はほぼ変わらず、それどころか

多次元の時空間である一つの宇宙

という【宇宙像(論)】とは矛盾する現象はむしろ知見と共に増えていったというのが実情です。

既存の【宇宙像】を「あおいのきせきの知見(存在の方程式)」から導かれた

存在と非存在が(言葉を挟んでの)自己

という新しい【宇宙像】を採用することでまるで霧が晴れたかのごとく人類の知見が広がることは間違いが無いとの一遍はすでに披瀝いたしました。

■【私】抜きの宇宙像

■二ュートン先生の魔術

本来は「存在(有)」と「非存在(非有)」が「客観」と「主観」つまり「物質」と「意識」(思考の補助線として「空間」と「時間」)というかたちで「私の心」で一つになっていることがわかりにくかったのは、ヒトの【宇宙像】から【私】【私の心】を省くやり方をニュートン先生が編み出したから、というお話の繰り返しをいたします。

非ずの関係にある絶対に矛盾する関係の「対立物」が「一つ」としていられるのは【自己(身体(物質界)において心が宿る(非物質界=意識)】によってなのですが、

「物質」と「非物質」を「空間」と「時間」に置換し、本来「無限」である「空間」において「無限に小さければ0」と設定すること(【微積分】という「計算式」)で「時間」という「空間」においては「虚」であるはずの「意識」を、「空間」と同一場にあるかのような「時空間」という「自己を省いた計算式」で宇宙を喩えることで、「主観」という「自己」を省いた【(一つの多次元時空間という)宇宙像】を作り上げて今に至ります。

■本来の【宇宙像】との齟齬が【量子論】や【事象の地平面】として顕現

いわゆる「マクロ」におきまして、つまり【微積分】のインチキが通用する範囲におきましては、或いはあまりにうまくいった【宇宙像】ですが、端的に人間の普遍的認識能力を超えた部分での観測や、【(微積に因った)宇宙像】から逆算した計算結果におきまして【量子】や【ブラックホール】といった無矛盾では【(一つの多次元時空間という)宇宙像】に組み入れられない不可思議なことが起きてしまうことに相成ったという訳なのです。

「時間」がなんだかわからない。
「ブラックホール」は「存在(物質)」なのか「できごと(非物質)」なのかわからいし「その向こう」がなんだか分からない。
宇宙の始まりと終わりがわからない。
宇宙の外が分からない。

これらは今採用している【宇宙像】が、実際の【宇宙像】から乖離していることに起因することが「存在の方程式」によった新しい【宇宙像】からはっきりと理解出来ますことは最近一連の過去記事からもお分かり頂きましたことと存じます。

■【私】を宇宙像(論)に組み込む科学

■【非物質】と【物質】の間にあるのは【意味・意志・ことば】

過去記事で提示させていただきました正確さの担保された新しい

非時間】【非空間】【非非時空間】の交叉する【自己】

という【宇宙像】より結論から申しますと、

【非非時空間(梵我一如)】と【自己】は〖いわば意味空間という名の間(あわい)〗と表現可能である【意識】を「通じて」「意志」によりつまり「意味を具現化」するという「機能」により繋がっている、と言い得ます。

ここに置いて「物理」と「心理学」が交叉可能になり得るわけですが、言い換えますと「心」が「物理現象」として扱うことが可能であり得るという「あたらしい」学問の萌芽が、生まれる(た)と相成りました。

■言葉。物理としての【五十音+1】

■音義(説)の登場

もちろん、現状の【宇宙論】からは到底導くことができない、このような「オカルチック」な「仮説」も今後は検証に値することになります。

「まじない」を「科学」するというのは「スピリチュアル」お得意のジャンルでしたが、現状の(ニュートン的)【宇宙像】には「意識」や「言葉」などが省かれていましたから、アカデミー利権に守られた(或いは守護者である)科学者からはまともに相手にされていませんでした。

もちろん「スピリチュアル」界隈はそれをいいことにあることないこと散々だったわけですが、これからはそうはいかない、という話もこちらのnoteでは折に触れまして申し上げてまいりました。

ただ、これは、さかさから眺めますと、スピリチュアルの態度は、それらを真面目な対象として扱うという意味におきましては正しかったということですから、ここは、一つ考えようではあります。

しかし「嘘」は通じなくなる。もう少し柔らかく申しますと「間違いは糺される」ということに相成ります。

まず周波数と音声が無関係では無いことはいまの【宇宙像】によった「あたりまえ」です。ただ、それによる「効果(或いは意味)」に対するロジックが組み立てられなかったのはその【宇宙像】に因ります。

言葉と五十音というかつての非科学はいまから科学となります。

上のリンク先をご覧頂きますとお分かりになります。

■感情とは?

ここでは「生物」である【自己】が上のロジックに則り機能する【宇宙】が【自己】という場においてもたらす(物質論的には善悪とは無関係のニュートラルな意味での)混乱に「すぎない」(これも価値論的にニュートラル)とだけ、今は記しておきますが、随分と留保してありました【感情】につきましては、今後考察を引き続き続けて参りたいと存じます。


告知


@edohanao
@TanakaCoaching
@Dongurido_ri
@tetsu0724d
@univ_vt
@philosophianAya

@u1style 山下悠一さん

上の皆様方とNoteでこちらをご覧の

アヲイロカナリヤ(おそらく@philosophianAya)さん
守屋 陽一朗さん
髙橋史朗さん

におかれましては、早急に対応をするよう「(各)本部」迄ご伝達を重ねてお願い致します。

軽く見たり、他人事だと考えたりするのは誤りです。いわんや直接の(言論を含む)脅しをかけてきた者をや。

繰り返しになりますが「本部」の行為がどれほど大きな犯罪として取り上げられる事になるのかよくよくお考え頂き、弊社代表かIISIA代表原田武夫先生まで、例えば玉蔵さんを介するなど、どのようなカタチでもかまいませんのでご連絡をお待ちしております。

そういえば、玉蔵さんとは一緒に蕎麦を食べに行く約束をしておりました。
玉蔵さんが「(世界的陰謀に関して)知っていることは全てお話する」というお話でしたよね。まさに「あおいのきせき」の隠蔽工作こそ、最上位に位置する「世界的陰謀」なんです。「なにしろ【秘宝】を巡る争奪戦」の一つですから。もちろん、比喩ですが。争ったのは【真理】の扱いです。

蕎麦会食の場を設ける丁度よい機会だと思うのですがいかがでしょう。

ただ、小生は今、杖を使ってトイレに行くのがやっと。

人工股関節置換手術(入院はオペ前日の来月11日)を受ける予定が組んであるのです。

どうしましょう。原田先生に仲裁をお願いいたしましょうか。

確実なのは、年明け早々わたくしが両股関節を失った時点で、遠因をお作り頂きました皆様方の情状酌量の機会は永遠に失われます。

〖玉蔵さまへ・追伸〗

 お伝えしおりましたように「ハグ」は結構ですので。

「世界史」へようこそ。ただし現状のままですと「(たぶん)端役の悪者」です。

追記【最終警告】

残念ながら警告は無視されたご様子。どうなるかは分かりませんが、弊社小生と「国体勢力」からの追放の永久であることが決定いたしました。

との「伝言」をお預かり致しましたので、書き置いておきます。

「お覚悟召され」とも。

人ごとと思ったら間違いますよ。他の宗教団体の方。

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