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近況について。2023.9.11

近況について。九月が幕を開けてすぐに、5日〜7日の間、東京大学にて開かれた集中講義「四則和算サマースクール」へ参加してきて間もない。京都へ戻ってきて少し落ち着いたので、近況を振り返ってみたいと思う。
私は現代数学と決別し、独自の道を行くと決意した身のゆえ、大学や研究室といった雰囲気そのものが随分と久しく感じた。実は、もう大学などとは関わりを持つことがないだろうと思っていたのだが、今回の集中講義は一言でいえば「とても楽しかった」という感想に尽きる。四則和算が自分の探求と関わりを持つかどうかの見通しも立っていない状態で参加してきたのだが、結果として最終日には「これは使えそうだ」という感触が得られた。これはやはり、四則和算の生みの親である光吉先生ご本人から講義を受けた影響が大きいと思う。本質的に受け取った情報はほとんどテレパシーに近い。つまり、理論の『ねらい』をぐわっと掴むには、直接会って話すことによる非言語情報が貴重な情報源になる。確かに、拡張リーマン球面によるモデルの整備は重要であるが、それは理論そのものの内容的な深い研究があってこそであると思う。その点は例えば非ユークリッド幾何をみれば分かりやすい。数学者の寺坂英孝先生が指摘されているように、非ユークリッド幾何はモデルの整備(ポアンカレ円盤モデルなど)はされているものの、その内容的な深い研究はこれまでのところあまり為されていないと言われている。つまり、内容を深く突き詰める事と、モデルを整備する事の両方が大切である。なので、内容を熟知している光吉先生ご本人から講義を受けることが重要な経験であった。また、これは憶測に過ぎないが、私は四則和算と非ユークリッド幾何がなんらかの関わりを持つ可能性を感じている。さらには多変数解析関数論(岡理論)や数学者の角田秀一郎先生や中込照明先生の研究などとも関係があるような氣がして、楽しい憶測が脳内を飛び交う。しかし、重要なのは「自分は一体なにがやりたいのか、どこを目指しているのか」であり、その点を常に見失うことなくしっかりと認識している必要がある。四則和算もまた武器であり、自分の内側から湧いてくる《情緒》を本体として、その表現型としての道具立てを揃えているような状況であると思う。
それと、自分の身の置き所について、最近はよく考えている氣がする。三枝誠先生の「整体的生活術」に才能についての言及があり、参考にしている。

「叩けよ、さらば開かれん」という言葉がありますが、便所のドアの感覚で叩いてみる人がいるけど、三回叩いて開くドアなんかないですからね。しかも、叩き続ければ開けてくれるという保証もない。結局、叩き続けることに意味があるわけで、十年叩くとか二十年叩くとかになると、才能というより執念のほうがずっと大切な要素になってきますね。第一、才能なんて、なまけものの使う言葉です。

仮に、才能ということを言おうとするなら、才能がある人ほど、間主体を大切にしなければなりません。人はどんな人間関係を結ぶかによって、あっけないくらいに変わるものです。天与の才能というものが少しはあるとするなら、自分自身を潰すような場所からは立ち去って、自分自身を活かしてくれる場所に出向く能力のことだと思います。ですから、ちゃんと「ノー」と言えることも大切な能力のひとつです。

整体的生活術p.66-67

私は二十才の時から叩き続けている探求がある。あれから丁度四年ほど経つが、ようやく開く氣配がしてきた頃だ。ずっと懲りずに叩き続けている。「開かないんじゃないかな」と思いながらも、諦めず懲りずに叩き続けている。十年、二十年、と叩き続けることになっていくと思う。その執念(粘り強さ)には自信がある。高校時代に、師匠から「研究者にとって重要なのは、才能よりも執念(粘り強さ)であって、君には驚くほどその力がある。だから研究者に向いた素質がある」と言ってもらったことがある(数理の翼という合宿へ応募した際に書いてもらった推薦状にそのようなことが書いてあった記憶がある。ちなみに応募は選考に通って参加できた。これも数学の道を選ぶようになった重要な出来事であったと思う)。
そして今回、集中講義に参加してみて、自分自身を活かしてくれる場所について意識するようになった。もちろん、今の環境を懐疑しているわけではない。とても恵まれた環境に居て、独りでコツコツと探求を進められている。だが、現実的に数学について存分に語り合える同世代の友人が周囲に居るか居ないか、という環境の差は正直かなり大きいと感じた。集中講義の感想を「とても楽しかった」と書いたが、先生の講義はもちろんのこと、久しぶりに同世代の理数系の人たちと議論することができて、その環境がたまらなく楽しかった。そして、自分の力も存分に出て、本領発揮という感じがした。独りで着々と進めていくスタイルも私に適したやり方であり、これを基本としながらも、友人らと議論をして互いに高め合えるような環境も求めて行きたい氣持ちが湧いてきている。そのような心境の変化があったことを本稿noteへ書き残し、近況として筆を置くとする。

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