【超ド級】天皇による終戦工作の人工地震と世界初の日本製広島原爆地上起爆成功と北朝鮮でのチッソの原爆開発

2,3年前まではトンデモ話と思われた事が徐々に当時の真相が明らかになるにつれ、ほぼ広島の原爆地上起爆は間違いない事が決定的になりつつある。

広島原爆は米国が投下した訳ではない(地上爆発)
だから、オバマ大統領は決して謝らなかった。
なお、原爆爆破当日、県知事らも無事で仲間として残されていたことがわかる!
ちなみに長崎原爆では県知事含め官僚らはほとんど避難して無傷!
これらは東京大空襲の時の東京都

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お気持ち表明に対するお気持ち表明

どうも第六天魔王です。いやー俺もこんな風に長文お気持ちnote、つまりろくに中身も無いのに上手く言いたいことを纏められていないnote書きたかったんですよね。

はいここでまずクソデカ感情ドーーーーーーーーーーン!!!!!!!(例:これが嫌でこのコンテンツやめました!)

負の感情マシマシチョモランマ。もうここで終わっていいやん。てかここで完結しとるやん、もういいでしょ。お前はこのコンテンツやめた

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小説 ふじはらの物語り Ⅰ 《侍従と女官》 41 原本

お上は、今回のお遊びのために、梅壺御殿、すなわち、凝華舎(ぎょうかしゃ)にまで、お渡りである。

お供は、平侍従と家春であった。

どういうわけであろうか、家春にとり、これが、尚侍を知る、初めての機会であった。

さしもの寵姫(ちょうき)である、尚侍について、興味を覚えない者が、この宮中に、居るべくもない。

家春は、そのお方について、大変気になっていた。

皇太后様が、尚侍らに対し、藤壺以北への

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そんなに簡単には落ちないぞ❗️
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東の天子 人がちがう?

隋の煬帝に送った、有名なフレーズ。しかし、そこにはちがう名前が書かれていた。

学校の歴史教科書は『隋書』倭国伝から

大業三年、其の王多利思比孤、使を遣して朝貢す。使者日く、『聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣わして朝貢せしめ、兼ねて沙門数十人、来りて仏法を学ぶ』と。其の国書に日く、『日出づる処の天子,書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々』と。帝之を覧て悦ばず、鴻臚卿に謂ひて

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<出雲>という思想 原武史著 書評

<概要>
神道の思想史的系譜について、江戸時代の国学から維新政府による国家神道に至るまでの流れを俯瞰し、アマテラスから続く血統「天皇家」の中央集権近代国家の権威として伊勢の系譜を紹介しつつ、(維新政府にとって)傍系たるオホクニヌシノミコトから続く出雲の血統「出雲国造」に焦点を当てた著作。別途出雲の系譜としての大宮氷川神社の思想史の紹介あり。

<コメント>
◼️復古神道における出雲
著者あとがきで

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小説 ふじはらの物語り Ⅰ 《侍従と女官》 40 原本

今日の、お午(ひる)過ぎの、お上の、遊び相手は、尚侍(ないしのかみ)と、そのお付きをも兼ねる、二人の内侍であった。

二人の内侍は、宮中の当世の流儀に沿って、お上から、めでたき通り名を、頂戴した。

内蔵(くら)の命婦(みょうぶ)は、“今では”、朝日。

少納言の君は、“今では”、うてな。

けれども、実のところ、同輩同士、上下関係、つまり、役務上、そして、日常においては、それらは、あまり使用され

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大吉元年
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日本赤十字社、表は愛の顔、裏は悪の顔

赤十字とは何か
スイスの実業家アンリ・デュナンは「1:人道、2:中立、3:公平、4:独立、5:奉仕、6:単一、7:世界性」の7つの原則を掲げ、国際赤十字社を創設した。それは、表向きは「世界各国に存在する人道的な活動団体である」。「……国の内外を問わず、戦争や大規模な事故や災害の際に、敵味方の区別なく中立機関として、人道的支援を行う」(『ウィキペディア百科辞典』)組織的には、ジュネーブ条約と、それに

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小説 ふじはらの物語り Ⅰ 《侍従と女官》 39 原本

かように、女達の、心のざわめきを、袖にし行くほどに、家春という者は、彼女達の間で、単に、『綺麗な絵』としか、見られなくなり行く。

それに、ここは、宮中。

面白いことには、欠かない場所なのである。

家春は、やがて、「几帳面な公達」、もしくは、「几帳面に過ぎる御仁」との定評を、男女問わずに、獲得したものである。

確かに、そうである上に、常に、冷静な表情を、誇り得る彼は、要するに、他人からして、

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アッシには関わりのねえ事でござんす。
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森鴎外と天皇神話

鞄に札束が入る入らないで有名な猪瀬直樹の作家生活四十周年の集大成『公』を読んだ。なるほど天皇と文学と政治を徹底して調べ上げた猪瀬直樹らしい大きな構えの真剣な議論だ。その『公』において、明治の天皇制が急ごしらえの出鱈目であったことに対する明治の知識人の態度として、猪瀬は森鴎外の『かのように』の一節を捕まえる。

秀麿は父の詞を一つ思い出したのが機縁になって、今一つの父の詞を思い出した。それは又或る日

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