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読者の心に芽生えたひらめきが、いつしか「バタフライ効果」となって、より良い社会へと向か…

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読者の心に芽生えたひらめきが、いつしか「バタフライ効果」となって、より良い社会へと向かう潮流を生み出すーーー。そのような思いから、微力ながらも真心を込めた執筆に努めて参ります。月2~3回のペースで掲載中。長文になる傾向がありますが、予めご了承ください (^^;

最近の記事

薩摩偉人伝 ~ 西郷隆盛(前編)

私のこの地での最大のテーマは、稲盛和夫という巨頭を生み出す原点となった西郷隆盛にあるのですが、推敲を重ねてようやく記事がまとまりました。 前編では、私自身の頭の整理として、波瀾万丈だったその足跡を振り返り、後編では、私たちが手本とすべき考え方や教訓などを導出します。(以下、文字削減のため「である」調・敬称略で記載) 生い立ち 1828年1月、西郷隆盛は、薩摩藩城下の加治屋町に薩摩藩士の長男として生まれた。西郷家は大家族で、その暮らしは決して裕福ではなかった。 西郷は、子

    • 薩摩偉人伝 ~ 東郷平八郎

      1848年1月、東郷平八郎は、西郷隆盛や大久保利通が生まれ育った薩摩藩城下の加治屋町に、薩摩藩士の四男として生まれました。 幼少の頃は、辛抱強い子として西郷隆盛の弟・吉次郎から可愛がられていたそうです(西郷隆盛とは、20歳年下になる)。 1856年、島津斉彬公が水軍を創設したとき、父から「将来は水軍に進め」と諭されました。(以下、文字削減のため「である」調・敬称略で記載) 薩英戦争に従軍 1862年、 島津藩の行列を横切った英国人が殺傷された生麦事件を機に、翌1863年

      • 心が震えた名曲10選(応援歌編)

        今日から7月ですね。 もうすぐ、パリ・オリンピックが始まりますが、テーマソングは、YOASOBIの「舞台に立って」という新曲になるそうです。 今回は、過去のオリンピックのテーマソングなどを中心に、応援歌を集めてみました。 Fly High - milet 2022年、北京オリンピックのテーマソングです。空高く身も心も高揚するような一曲です✨ 誓い - 平原綾香 2006年、トリノ・オリンピックのテーマソングです。歌詞が凄くいいですね✨ SMILE 晴れ渡る空のよ

        • ふるさと再発見 〜 海軍の秘密基地

          今回は、「ふるさと再発見」と題して、我が故郷・熊本についてのご紹介です。 熊本県は、外洋から離れた九州の真ん中に位置し、自称「海軍通」の私自身、長らく「熊本には海軍に関する遺構はない」と思っていました。 ところが数年前、熊本県南部に位置する球磨郡錦町に、かつて「山の中の海軍航空隊」と呼ばれた秘密基地があったことが分かってきました。 本稿では、およそ6年前に、この地に建てられたミュージアムについて紹介し、後半で基地建設に至ったナゾに迫りたいと思います。 ミュージアムの概

        薩摩偉人伝 ~ 西郷隆盛(前編)

        マガジン

        • 私の厳選書庫
          31本

        記事

          「薩摩隼人」とは何か

          鹿児島では、「やっせんぼ」(意気地なし)と対照的な言葉として、勇猛果敢な人には「薩摩隼人」という言葉が使われて来ました。 今回は、西郷隆盛の代名詞とも言うべき薩摩隼人という言葉ができた経緯や、その意味についてのお話です。 そもそも「隼人」とは何か 8世紀、日本が律令国家としての形を整え始めた頃、南九州には隼人(はやと)(注1) と呼ばれる、朝廷に従(まつろ)わぬ人々が居ました。 (注1) 少なくとも7世紀までに南九州に勃興した隼人は、大和朝廷とは習俗を異にし、朝廷から平

          「薩摩隼人」とは何か

          島津斉彬公と「昇平丸」

          鹿児島県民に「鹿児島のヒーローは誰?」と尋ねると、決まって返ってくる答えは西郷隆盛です。 一方で、「確かに西郷は県民のヒーローだけど、西郷を育んだ薩摩藩主・島津斉彬(しまづ なりあきら)公が、その原点だ」と答える人も居ます。 今回は、西郷隆盛の原点たる島津斉彬公の人となりと功績、そして彼が手掛けた洋式軍艦についてお話します。 島津斉彬公について 島津斉彬公は、江戸時代後期の島津家28代当主で、薩摩藩11代藩主です。 「三百諸侯(注1) 中、並ぶものなし」といわれた偉材

          島津斉彬公と「昇平丸」

          日本海軍発祥之地「美々津」を訪ねて

          今回は、宮崎県北部の太平洋に面した日向市美々津町と、日本海軍発祥にまつわるお話となります。 美々津(みみつ)という地名は、その昔、神武東征(注1) 御舟出の港として御津(みつ)と呼ばれていたことに由来するそうです。   (注1) 神武東征については、こちら☟ 日本海軍発祥之地 神武天皇の皇軍は、現在の宮崎市にある皇宮屋(こぐや)(注2) を発ち、日向市にある美々津の港から船に乗り、瀬戸内海から紀伊半島方面を目指しました。 (注2) 神武天皇が東征するまで過ごした宮居の跡

          日本海軍発祥之地「美々津」を訪ねて

          ひむか神話街道 ~ 高千穂町を訪ねて

          「ひむか神話街道」シリーズ第3回は、皇祖発祥の地と伝えられる高千穂町(たかちほちょう)をご紹介します。 以前、天の逆鉾がある天孫降臨の地・高千穂峰のお話をしましたが、高千穂町は、こちらとはまた別の場所になります。 高千穂町は、九州の真ん中、宮崎県の最北端に位置し、阿蘇山の火山活動で噴出した火砕流を五ヶ瀬川が侵食して作られた高千穂峡や、「岩戸隠れ」などの日本神話にまつわる名所が散在する観光スポットです。 「高千穂」の名の由来 「高千穂」という言葉は、天照大御神の孫である瓊

          ひむか神話街道 ~ 高千穂町を訪ねて

          稲盛記念館 〜 西郷隆盛の教え

          稲盛記念館の第二弾は、西郷隆盛にまつわるお話です。後段で大切なお話をしますので、最後までおつき合い下さい (^ ^; 1 「敬天愛人」について 前回、記念館の入口には、「敬天愛人」というレリーフが飾られているとお話しましたが、 この言葉は、明治時代の文学博士・中村正直(なかむら まさなお)の造語といわれ、簡単に言えば「天を敬い、人を愛すること」を意味します。 西郷隆盛の座右の銘として、著書「南洲翁遺訓」(注1) にも登場します。 (注1) 南洲とは「南の島」を意味し、

          稲盛記念館 〜 西郷隆盛の教え

          伊能忠敬と、この国のカタチ

          日本人が「国家」を意識するようになったきっかけは、長い歴史の中で、何度もありました。例えば、日本を初めて統一したヤマト王権の誕生、鎌倉時代の元寇、江戸時代末期の黒船来航など。 日本民族の「国家」への帰属意識は、そうした中央集権の強化や外敵の来襲によって強まってきた訳ですが、では、日本人はいつ「日本という国の姿カタチ」を知ったのでしょうか。   今回は、その方面で大きな役割を果たした偉人・伊能忠敬(いのうただたか)についてご紹介致します。 日本地図の歴史 日本という国の姿カ

          伊能忠敬と、この国のカタチ

          海自機事故の背景にあるもの

          年始早々、JAL機と海保機が羽田空港の滑走路上で衝突し、海保機側に多数の殉職者が発生したばかりでしたが、 起きてはならない航空間の衝突事故が、また起きてしまいました。 20日夜、伊豆諸島沖で海上自衛隊のヘリコプター「SH-60K」2機が衝突して墜落したとみられる事故で乗員1名が死亡、7名が行方不明となり、現在も捜索活動が続いています。 防衛大臣は、2機のフライトレコーダーの解析を進めているとした上で「現時点で、飛行中の機体に異常を示すデータはなかった」と述べました。

          海自機事故の背景にあるもの

          稲盛記念館 ~ 人生の方程式

          私の尊敬する偉人は「杉原千畝」であることは、以前お話したとおりですが、私には、もう一人、尊敬する偉人がいます。 それは、京セラや第二電電(KDDI)の創業者で、JALの会長を務められた「稲盛和夫」さんです。 南九州は、日本神話、明治維新、東郷平八郎、特攻隊、宇宙ロケットなど、私にとり大変、興味深いテーマが凝縮された場所なのですが、稲盛さんの出身地でもありました。 鹿児島大学のキャンパス内には、同校の卒業生である稲盛さんの記念館があります。 私は、これまでに稲盛さんの著

          稲盛記念館 ~ 人生の方程式

          母と私が紡いだ「魂の成長」という名の物語

          母が逝った 桜咲く春の訪れを待たずして 母が余命宣告を受けてからの日々は 自分史上、最も過酷を極めた 冷静と感情の間で常に揺れ動き 出来ることは何でもやった 私には兄弟がいるが 私とは真逆な人間とだけ言っておこう つまり、私は孤独な闘いを強いられた 次から次に訪れる大きな決断 しかし、自分が最後の砦 知恵を振り絞って、やり切るしかない 身内だろうと、公的機関だろうと 母の気持ちに寄り添えていないと 感じたときは、躊躇なく嚙みついた 時に「あなたみたいには出来ない

          母と私が紡いだ「魂の成長」という名の物語

          チブサン古墳 〜 装飾古墳の魅力に迫る

          これまで、宮内庁が管理する天皇・皇族ゆかりのお墓である御陵(みささぎ)について、いくつか紹介してきましたが、 今回は、豪族のお墓、特に古墳時代に作られた装飾古墳(そうしょくこふん)について、ご紹介したいと思います。   古墳時代とは 古来、人々は近親者が亡くなると、時に死者に装飾を施し、時に副葬品として道具や農作物などを埋葬するなど、それぞれの死生観に基づく儀式を行い、その亡骸を棺や墓に入れて弔ってきました。 3世紀から7世紀にかけて、日本各地に大きなお墓が作られた時期が

          チブサン古墳 〜 装飾古墳の魅力に迫る

          「八紘一宇」の大御心とは

          宮崎市の中心部にある県立平和台公園には、平和の塔と呼ばれる史跡があります。 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が東征に出発するまでの拠点とした皇宮屋(こぐや)の北の丘に、1940年の皇紀2600年記念行事の一つとして建造されたものです。 高さ約37mのこの塔は、かつて八紘之基柱(あめつちのもとはしら)と呼ばれ、当時の石塔としては日本一の高さだったそうです。 四隅には、商工人・和御魂(にぎみたま)、農耕人・幸御魂(さちみたま)、漁人・奇御魂(くしみたま)、武

          「八紘一宇」の大御心とは

          ひむか神話街道 ~ 木花神社を訪ねて

          本日は、天皇陛下のお誕生日ですね🎌✨   日本の天皇は、初代・神武天皇から第126代・今上天皇に至るまで、万世一系の皇統を維持してきた訳ですが、本稿の終盤では、この万世一系の重要性について、少しだけお話したいと思います。 1 今回の主役は、木花佐久夜姫 前回、天孫・瓊瓊杵尊の降臨と天の逆鉾をクローズアップしましたが、 今回は、天孫・瓊瓊杵尊のお妃となった木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)が主役となります(カバー写真は、木花神社の境内に装飾された木花佐久夜姫の像)。 2 

          ひむか神話街道 ~ 木花神社を訪ねて