◆誕生 時は川端康成の伊豆の踊子が大流行した大正十五年。 十二月二十五日、病床に伏していた大正天皇崩御。次の元号は光文と決まったものの、諸々あり六日間だけの昭和…
その一報を目にしたのはちょうど5月だった。 GW、根津美術館と三井記念美術館でそれぞれ国宝を見た。 根津で見たのは尾形光琳の「燕子花図屏風」 三井で見たのは桃山時代…
現実 習い事 これから先生の資格を取る件 観劇 チャリティイベント ボランティア 家事はあまりしない 掃除と洗濯はする 神楽坂のある店で生けてあった花。 あやめ?杜若…
実はここひと月程、投稿しよう、いやなんか違う気がする、まあ、でも、これでいいだろう、投稿しよう、いや伝えたいことを書けていない、不完全だ。 そんなことを思い、ウ…
ちょうど1年前、鬱々としていた。 というか鬱病だった。 病気である。 暫く何が原因だったのかわからなかったが、おそらくそれの始まりは2022の春、親友を亡くした、これ…
25歳から始まった翁との日々。 翁は元ドヤクザ。 足を洗ってからも、その人脈をうまく使い成り上がった。 現役ヤクザとの交流も多々あり、私もたくさんの場に同席した。 …
きょうき 【狂気】 常軌を逸していること。またそのような精神状態。古代社会では狂気の人が神の声を伝えると尊ばれたが、中世になると悪魔憑きとして迫害されるようにな…
翁とファッションは切っても切り離せない。 美術品や芸術•アートには全く興味を持たない翁だったが、ファッションには強いこだわりがあった。 一見無地のシンプルなスー…
私は大人で、よくいるおばさん。 9歳、10歳のみんなよりはだいぶ長く生きている。 でも実際、頭の中は然程変わらないかなぁ。 いや、勉強しているみんなの方が私よりずっ…
憑依(ひょうい)は、霊などが乗り移ること。憑(つ)くこと。憑霊、神降ろし、神懸り、神宿り、憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ…
げ‐せわ【下世話】 ——世間で人々がよく口にすることば。俗にいうことば。ことわざやたとえ、物の道理などについていう。 (「コトバンク」より) この話、前回の③で…
2009年、長く続いたJ党政権が終わり、M党が与党となった。 J党が嫌い、またはM党に希望を託した日本国民は歓喜、ようやく我が国は変わるのか? 多くの人がそう思った夏。 …
結婚(けっこん)とは、配偶者と呼ばれる人々の間の、文化的、若しくは法的に認められた繋がりの事で、配偶者同士、その子との間に権利と義務を確立する行為である[1]。そ…
②では、母が発病したところまで書いた。 私が上京してから5年ほど、母は安定していた。 子育てが終わったので、仕事を始め、資格を取ったり。 たまに顔を合わせるときは…
母が退院したところで①は終わったが、少し話は戻る。 13歳の頃、母の入院によりふたつ上の兄と2人暮らしになった。 父は愛人宅から月に数回お金を置きにくる。 「自分の…
これは実母の話である。 母は70年前、東北のある田舎で生まれ、酒飲みの祖父、働き者の祖母、家庭は貧しかったようだ。 きっかけはよくわからないが、14歳の頃、統合失調…
湾岸おばさん
2023年12月19日 01:09
◆誕生時は川端康成の伊豆の踊子が大流行した大正十五年。十二月二十五日、病床に伏していた大正天皇崩御。次の元号は光文と決まったものの、諸々あり六日間だけの昭和元年となる。そんな貴重な元年の年末、文京区本郷にて生を受けた翁。父は軍需工場を経営し裕福な家庭だった。その後次々に妹が生まれる当時は色々なことがぞんざいだったらしく、本来昭和元年十二月に生まれていた翁だったが、モタモタしたのか
2024年5月11日 21:56
その一報を目にしたのはちょうど5月だった。GW、根津美術館と三井記念美術館でそれぞれ国宝を見た。根津で見たのは尾形光琳の「燕子花図屏風」三井で見たのは桃山時代の志野茶碗私の感覚では、それらが何故国宝に認定されたのかわからない。今年の5月はなんだかバタバタしている。去年は鬱で引きこもっていた。国宝を個人で複数所有していた川端康成。彼は何故71歳であの逗子マリーナで、ひっそりと
2024年5月1日 00:04
現実習い事これから先生の資格を取る件観劇チャリティイベントボランティア家事はあまりしない掃除と洗濯はする神楽坂のある店で生けてあった花。あやめ?杜若?アイリス?なんだろう、店主も妻が生けたので、とわからず。そうだ、今は根津で国宝の燕子花図が見れるんだった。そして庭園にはあやめが咲いている。5月上旬までには行かないと。そんなことを思った今日。今時期は沢山の花が咲い
2024年4月27日 23:54
実はここひと月程、投稿しよう、いやなんか違う気がする、まあ、でも、これでいいだろう、投稿しよう、いや伝えたいことを書けていない、不完全だ。そんなことを思い、ウジウジとして宙ぶらりんの拙文がある。勿論、私のような一般人の文章など、誰も期待はしていない。しかし、それを目にした、どなたかの数秒を無駄にしてしまうかもしれない。それだけは避けたい。というのは設定。私はnoteを始めてから
2024年4月11日 01:56
ちょうど1年前、鬱々としていた。というか鬱病だった。病気である。暫く何が原因だったのかわからなかったが、おそらくそれの始まりは2022の春、親友を亡くした、これにあるのだろう。(渋谷という街 親友の死 参照)私はその事実を認めたくなかった。しかしその年の師走、自分の精神状態がおかしい、ということに気づいた。悲観絶望、支離滅裂な思想、危ない。訳のわからない怒り、意味不明なことで夫
2024年3月26日 14:23
25歳から始まった翁との日々。翁は元ドヤクザ。足を洗ってからも、その人脈をうまく使い成り上がった。現役ヤクザとの交流も多々あり、私もたくさんの場に同席した。翁の同期なので、皆老人。有名なところでいえば渋谷の元親分安藤昇さん、並木一家の津久井親分など。既にその頃の首領は、翁など雲の上の存在で直に会うことはなかった。昔は血気盛んだったのだろうが、落ち着き、ひょうきんで優しい、ただのお
2024年3月18日 17:04
きょうき 【狂気】常軌を逸していること。またそのような精神状態。古代社会では狂気の人が神の声を伝えると尊ばれたが、中世になると悪魔憑きとして迫害されるようになる。偉大な芸術が狂気から生まれ、社会的リーダーの中に「狂ひ人」がいたことが医学的に解明されて、この傾向に拍車がかかったといい、哲学的面でも狂気と実存との関係が注目されつつある。この候、春を感じ暴風、花粉そして頭痛。暖かくなると変な人
2024年3月10日 23:29
翁とファッションは切っても切り離せない。美術品や芸術•アートには全く興味を持たない翁だったが、ファッションには強いこだわりがあった。一見無地のシンプルなスーツを着ていると思いきや、裏地はメタリックパープルだったりする。そもそもがドヤクザなので、派手な配色を好む。ある週末、オークラの「さざんか」でご飯を食べることになり、店に着いたら、私の親友が私の紹介した男性からプロポーズされている現
2024年3月5日 21:37
私は大人で、よくいるおばさん。9歳、10歳のみんなよりはだいぶ長く生きている。でも実際、頭の中は然程変わらないかなぁ。いや、勉強しているみんなの方が私よりずっと頭が良いと思う。日々小学校へ通うみんなは、どんなことを考え、何が楽しくて、何に悩んでいて、何を知りたいか、42歳の私にはわからない。クラスでいじめが起きている?特別授業があった?お巡りさんが話に来た?なるほど。みんな
2024年2月26日 01:06
憑依(ひょうい)は、霊などが乗り移ること。憑(つ)くこと。憑霊、神降ろし、神懸り、神宿り、憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある(Wikipediaより)この説明は大変わかりにくい。では何故引用した?わからない。私がこれから伝えたい「憑依」とは霊的なものではなくて、別人格が自身に乗り移ること。ロバート秋山さんの「クリエイターズファイル」こ
2024年2月21日 02:17
げ‐せわ【下世話】——世間で人々がよく口にすることば。俗にいうことば。ことわざやたとえ、物の道理などについていう。(「コトバンク」より)この話、前回の③でついに下世話クラブ結成。4人でこれにどのエピソードを書こうかとワイワイ話した。が、あり過ぎる。書き続けていたら一生終わらない。我々は現在進行形であり、この東雲で、強烈なオーラを放ちながら、その友情を更に深めている最中である。
2024年2月9日 00:50
2009年、長く続いたJ党政権が終わり、M党が与党となった。J党が嫌い、またはM党に希望を託した日本国民は歓喜、ようやく我が国は変わるのか?多くの人がそう思った夏。「フィクサー」といえば私の中では児玉誉士夫なのだが、この平成の時代にも、児玉氏ほどの圧倒的な力はないものの、それに近い人がいた。花街時代のお客さん。I先生。何者なのかは今も謎。どうやら、安岡正篤先生のような易者みたいな
2024年2月4日 02:00
結婚(けっこん)とは、配偶者と呼ばれる人々の間の、文化的、若しくは法的に認められた繋がりの事で、配偶者同士、その子との間に権利と義務を確立する行為である[1]。それはほぼ普遍的な文化[2]であるが、結婚の定義は文化や宗教によって、また時間の経過とともに変化する。〈Wikipediaより〉私には幼い頃から結婚願望がなかった。結婚して、いま現在の日々が不思議である。俗にいう言葉で、たかが紙
2024年1月30日 22:33
②では、母が発病したところまで書いた。私が上京してから5年ほど、母は安定していた。子育てが終わったので、仕事を始め、資格を取ったり。たまに顔を合わせるときは、なんだか楽しそうで、良かった、病気にはもうならないんじゃないかなぁ、と思うこともあった。一方で私はお医者からPTSDですね、なんて言われながらも普通に、いや普通を装って好きな仕事をして、キャリアを積み、給料も上がり、小さなアパート
2024年1月26日 02:39
母が退院したところで①は終わったが、少し話は戻る。13歳の頃、母の入院によりふたつ上の兄と2人暮らしになった。父は愛人宅から月に数回お金を置きにくる。「自分の愛する人はあの女とは違い一流大学の文学部を出ている」など、母を否定をし、私自身も罵られたことが多々あった。それでも稀に機嫌の良いときは2人で話をした。それは父の仕事の関係上本だらけの家で育った私、幼い頃から博識な父に色々な質
2024年1月25日 03:06
これは実母の話である。母は70年前、東北のある田舎で生まれ、酒飲みの祖父、働き者の祖母、家庭は貧しかったようだ。きっかけはよくわからないが、14歳の頃、統合失調症になり、発狂し、町の精神病院に入院させられた。あそこの娘は気が狂っている。集落の人々はそういい、村八分だったとか。「女が勉強なんかしてもしょうがない」学びたかったが、父の意向により高校には進学できず、どこかの旅館に住み込