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推敲と絶望 そして

実はここひと月程、投稿しよう、いやなんか違う気がする、まあ、でも、これでいいだろう、投稿しよう、いや伝えたいことを書けていない、不完全だ。

そんなことを思い、ウジウジとして宙ぶらりんの拙文がある。

勿論、私のような一般人の文章など、誰も期待はしていない。
しかし、それを目にした、どなたかの数秒を無駄にしてしまうかもしれない。
それだけは避けたい。

というのは設定。

私はnoteを始めてから「推敲」をしたことがない。
その場でパッと思いついた言葉をそのまんま打ち、ちょっと〆っぽい一文をしたため
終わり
と打つ。
校正もしないので後から誤字脱字に気がつく。

つまり、とてもテキトウで大雑把で、読む人に失礼なモノを書いて載せている。
素人だし、お金をいただいているわけではない、勝手に読み出したのだから少しくらいの時間、無駄にしてもいいでしょう。

自己中心的で傲慢な本体に、謙虚という、なんだか滑らかでキメの細かい絹っぽいメッキの、おそらく歪んだ物体。
それが私のnote。

イイ加減だけど、無責任だけど、無推敲のそれらは稚拙。でも嫌いにはなれない。
丸い真鍮の錘が水面に垂直に、重力によって、ポトリと落ちるように直線的で、自分ですら気が付かなかった本音が隠れている。 
ときがある。

はじめに書いた、ウジウジとしてる件。
あるライブで感動することがあった。
その日出会ったある歌手は、私の残りの人生において、最重要人物になる。
そう確信。滅多にないなぁ、こんなこと。

その夜に書くべきだった。
でもウダウダとして、いざ書いたら「推敲」し始めている自分がいた。
その時点でダメだった。

私の脳内にある、この歪んだ物体は、完全なる球体には決してなれないのである。
もしなってしまったら、それはもはや、私ではない。

絶望とは何か
推敲の魔に憑かれることだ
同じことを繰り返し幾たびも失敗しやり直し
しかも自分の至らなさを痛感して絶望するのが推敲である

このように、ある人は言った。
プロではないのだから、突発的に思いついたことを書けばいい、やはり変だ、と思ったら消せばいい。

例えば
「太陽は僕の敵」
そんな言葉は、きっと推敲を重ねてできたタイトルではないと思う。

ふと、ライフハック的なことを思いつく。
なんて名案、これはすぐ実行しよう、しかし今は眠い、明日やるか。
明朝、忘れている。
名案を思いついたことは覚えている、けどそれがなんだったのかを思い出せない。

突発的な言動は良いとはいえない。
でも、暮らしのひと手間が消える名案が潜んでいる、かもしれない。

推敲は一般的に、ギョクを磨くように、良い行いだろう。
でも、常に絶望が纏わりついている。

今、2:40。
ド深夜。
眠い、先程までnhkホールでオザケンを見ていた。

しかし、寝ないで思ったことを最後まで書く。

整理すると、突発的な歪んだグニャグニャの物体は、完全な球体にはなれないので、推敲は無駄である、絶望するだけだ。

ある人の言葉には続きがあった。

幸福が忍び足で近寄って来るのはこの時である
本人は気がついていないかもしれないが

そう、同じ失敗を重ねて、自分を責め、ガッカリして、しょんぼりして、絶望。
実はその瞬間の全てのとき、それは忍びでやってきているらしい。

完璧な球体というのは、実は存在せず、想像上のものにすぎない。
いくら磨いても歪んだままの物体は、それはそれで愛でたくなるときがやってくる。
忍び足なのでいつかはわからないけど、悪くない何かは確実に近寄ってきている。

歌手に出会った件は後日投稿しよう。

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ここまでが昨夜2:40に書いてた文章。
結局突発的に〆て投稿、はできなかった。
眠かったから。

かといって、推敲はしない。

生を受けた時、人は皆完璧な玉(ギョク)だった。
お腹が空いた、眠い、その時だけ泣く。
その所作を見て、煩悩など1ミリもないのがわかる。
のち、各々の時間があって、失敗を繰り返して今があって、皆歪みを持つ。

ヘインズでもなんでもいいのだけど、クルーネックのTシャツがあって、新品の首元はシャキッとしているけど、だんだんヨレてくる。
そのヨレを無理やり元に戻しても、新品にはならない。
しかし、ヨレたそれは、たくさんの経験と思想が詰まっている。

敢えて褪せやヨレを作り、ヴィンテージ加工だとか、ウォッシュ加工だとか、カッコよさげな文言をつけて、新品の歪み、というものもある。
それは
同じことを繰り返し幾たびも失敗しやり直し
しかも自分の至らなさを痛感して絶望する
その過程が人工的だということ。


つい先日、知人が留置所にいると知った。
何故なのか、大体想像はつく。
突発的にやったことなのか、推敲してやったことなのかはわからない。

人生は推敲中。
ブラッシュアップできる。
終わったことは考えない。

自然にできたヨレは、なんともいない哀愁という魅力がある。
突発にでも慎重にでも、どちらの選択をしても、ヨレは作れる。

という話。

終わり

こういう形而上の長文は1番つまらないよなぁ

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