見出し画像

翁とファッション

翁とファッションは切っても切り離せない。

美術品や芸術•アートには全く興味を持たない翁だったが、ファッションには強いこだわりがあった。

一見無地のシンプルなスーツを着ていると思いきや、裏地はメタリックパープルだったりする。
そもそもがドヤクザなので、派手な配色を好む。

ある週末、オークラの「さざんか」でご飯を食べることになり、店に着いたら、私の親友が私の紹介した男性からプロポーズされている現場に遭遇した。

友人夫妻と翁をそれぞれ紹介したのだが、その時の翁のファッションは週末だったので私服。
白いシャツに、香港のペニンシュラホテルのテーラーで仕立てたターコイズブルーのスラックスにパイソン革のベルトを巻いていた。

私はその時、それが普通だったのでなんとも思わなかったが、友人夫妻はボトムの色彩に驚いていた。

翁は毎月何着ものスーツをオーダーしていた。
お店は赤坂の「ビスポークハヤカワ」さん。
良い生地が入りましたよ、ロロピアーナかスキャバルが多い。
注文、採寸、そして裏地とパイピングを選ぶのだが、ピンクの裏地にオレンジのパイピングなど、やはり凄め。

社長や私が、こちらも素敵、などと言っても結果は派手×派手になる。
仕上がったら社長が油性マジックでタグにサインを入れる。

常に同時進行で数着をオーダー。

翁の六番町の屋敷は大きい。
しかし、服が入りきらず、ある時、クローゼットの増築工事を提案され、ビスポークの社長立ち合いのもと、デザイン。
業者はいつもビルの建設をお願いしている竹中工務店。

いつもより人の出入りが多くなるので、アルソックから門の前に2名、24時間体制で有人警備。
そんなこともあった。

既製品を買うこともある。
買い物しようと言われ、日本橋三越に行った。
本館と新館の間の車寄せに行くと、担当者が待ち構えており、上の外商サロンでパジャマやガウンなどを買った。
私も色々買ってもらった。
まだあるのはミラショーンのシルクのパジャマ。
大切にとってある。

私のことをいつも気にかけてくれた翁。

暖くなったな、涼しくなってきたな、そう思う季節になると決まって
「服を買ってやるよ、好きなものを選びなさい」
そう言って三越に行くが、必ずミッソーニに入り、凄めな色彩のピタピタニットドレスを手に取り
「これイイわねぇ」
さすがにこのアイテムは着こなせない。
すると今度はエミリオプッチのやはり派手柄のシルクドレスを手に取り
「これならどうかしら?」
これも私の好みでは、ない。

なので私は翁をうまく誘導し、ダイアンフォンファステンバーグとイッサに行き、たくさんのワンピースを買ってもらった。

ただ、毎回毎回、ミッソーニとプッチを経由し、これは着ません、というやりとりに疲れてきた。
そうだ、セレクトショップに連れて行ってみよう、翁は好まないかもしれないが、一か八かだ。

ある日の秋、お決まりの言葉
「服を買ってやるよ」
きた。よし。
「薬局の向かいのお店で買いたいんです」
「あらそう、行ってみようか」
私たちはバーニーズニューヨークの横に車をつけた。

翁は少し驚いて
「交詢ビルで服が売ってるのか?」
私はその時、交詢社というものが何だか知らなかった。
よくわからないが
「はい、色々なメーカーの服が売っていてどれも素敵なんです」
そんなことを言って、店に入り、服や靴を沢山買ってもらった。

交詢社とはその昔、社交の場であり、限られたハイソサエティな人々が集まり、誰もが憧れる特別な空間であった。

当然、翁も憧れてはいたが到底入ることができなかった場所。

それから季節が移りゆくとき、決まって彼は嬉しそうに
「交詢ビル行こうか」
そう言って私にたくさんの服や靴を買ってくれるようになった。

バーニーズ銀座店は、私にとって思い出の店。
今でも立ち寄ると、シューズコーナーのソファにどっしりと座って待っている翁が見える。
ああ、翁をあんまり待たせたらいけない、でもこれもあれもいいし、迷う。
そんなことを思いながら服を選んでたあの頃。

あの頃の洋服たちは、中年太りにより、ほとんど着れなくなってしまいました。
でも、着てくれるどなかに差し上げて、大切にしますよ。
そして、そろそろ私も派手×派手になるかもなぁ。
明るい色はパワーをもらえる。
そしてあなたを懐かしむのです。

終わり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?