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憑依の勧め 気後れしないコツ

憑依(ひょうい)は、霊などが乗り移ること。憑(つ)くこと。憑霊、神降ろし、神懸り、神宿り、憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある
(Wikipediaより)

この説明は大変わかりにくい。
では何故引用した?わからない。

私がこれから伝えたい「憑依」とは霊的なものではなくて、別人格が自身に乗り移ること。

ロバート秋山さんの「クリエイターズファイル」
これが1番わかりやすいだろう。
架空の魂を乗り移らせ、その場を凌ぐ。
お芝居ではない、憑依中はその人格なので、その言動は嘘ではない。

25歳の時、花街に身を置き、その仕事の難しさに悩んでいた。

夜な夜なやってくる客達は、成功者と呼ばれる人が多い。
ホンモノだな、と思う人は皆謙虚なのだが、やはり芸者遊び、チヤホヤされたい、自慢したい、とにかく俺の話を聞いてくれ、そんな人も沢山いた。

その前はアパレル販売員をやっていたので、接客なら得意、私ならできるだろう、そう思っていた。
しかし、そうはいかなかった。

月並みな言葉であるが、やってくる皆は頭が良い。
老人で酒がはいっているが、私より遥かに頭の回転が早い。

私の接客は嘘っぽい、白々しい、わざとらしい、調子が良い、そんなことを女将さんから言われた。
そう、皆それに気づいていた。

何人かの客からは、あの子はちょっと、と女将さんに言う人、それでも女将さん的には専属の私を入れた方が潤うので、客に嫌がられながら入った座敷も多々あった。

気に入ってくれる人もいたが、やはりこれは悩みの種だった。
アパレル時代のノリでは無理だ、酒を飲み交わし、もう少し踏み込んだ関係性。

勿論アパレル時代も、顧客と深い関係は沢山あった。
悩みを聞いたり、店内でシャンパンとチョコレートを出してじっくりとプライベートの話をしたり、夜食事に行ったり。

しかし、花街ではまた少し違うものが求められる。

そこで行き着いたのが「憑依」

例えば創業会長のAさん。
地方から裸一貫上京し、成功、今は大きな企業。

この人は自分の話をしたくてたまらない。
ニセのチヤホヤは毎日たくさんの人からされている。

Aさんが求めている人格、それはまだ侘びしかった時代の苦労を分かち合う、血反吐を吐くほど仕事に打ち込んだあの時の自分を褒めたいし、その反面家族に寂しい思いをさせた後悔。
財がある今は、妻、子、孫、皆に贅沢をさせ暮らしている。

彼の人生に深く思いを馳せ、私はAさんのことを心底敬愛する人格に憑依した。

話をしていて、若い頃の話をする彼を見て、涙が溢れて止まらなくなった。
今や成功者、私の履歴書常連、しかし彼の苦悩や葛藤を考えたら泣かずにはいられなかった。
しかし、私は芸者。
客の前で泣くなど御法度である。
泣いてはダメだ、でも抑えきれない、Aさんはどう思ったのかわからない、けどそれからは深く、色々なことを話せるようになった。

お歳なのにチャラいBさん。
ちょいワル老人。
女、下ネタ大好き。老舗の3代目。
こんな時は、全く同じ土俵のチャラいキャラクターに「憑依」
上っ面の会話、下品な話題、本来の私は大嫌いなタイプだが、憑依しているので、楽しくて仕方がない。ずっとここに居たい。
大爆笑、訳がわからず楽しい時間、あっという間。
彼が向島に求めているのはおそらくこれだった。

完全なる悪の塊、政治家のCさん。
悪しかない。顔も悪。やってることも犯罪。
都合の悪い人は殺す。
私は、世界にはそういう人も必要、むしろ彼が世を正している、国民を引っ張っている、そう考える人格に憑依。
彼も発散の場。私が漏らすまい、そう思い、彼なりのストレスを吐き出す。
「うんうん、先生は敢えてやってらっしゃる、それ、私にはわかっていますよ、私だけは先生の味方ですから」
そういうし、その時は本当にそう思っている。

そんな感じで「憑依」するとなんだか上手くいくようになった。

これは仕事以外にも使った。

28歳の時、外国人の富豪であるマフィアと交際し始めた。
そこで行く先々は想像を絶する世界。
庶民として育った私は、見たことも聞いたこともない世界だった。

その何年も前から、翁に色々なところに連れて行ってもらっていた。
しかし、場の先方は翁が連れてくる若い女、それはまぁ、ほぼほぼ夜の子だろう、皆がそう思っているので、それなりの格好をして、ただ品良く、静かに振る舞っていればそれで良かった。

しかし、この富豪の世界は違った。
パーティや会食に同伴すれば、上から下までゆっくりとじっくりと凝視され、値踏みされ、この黄色人種の女はどの程度なの?
そんな風に皆が見てくるのである。

英語もほぼ出来ない。
場違い、気後れ、まさしくそれだった。

しかし、そこでも私は「憑依」を使った。

常に真顔、少し退屈そうに、あぁ、こんな感じね、とダルそうな雰囲気を醸し出し、持っていないからだけど、敢えて宝飾は身につけないポリシー。
英語が話せないからなのだけど、無口なキャラ。

バトラーが何かを運んできたら
「あら、ありがとう」
愛想笑いでそれ以外は言わない。
シャンデリアとか、何か凄そうな美術品があれば、それに目をやり、あぁ、この程度ね、という表情をする。

何者かわからない謎の人、それに憑依。
見窄らしく見えるけど、実はすごい人の可能性もあるから、馬鹿にするのはやめておこう、そう思わせるキャラに憑依。

そんなこんなでさまざまな国のロイヤルファミリーやナイト、実業家、色々な人と対等に交流をした。

こんな生活していたのは1年ほど。
なんだかんだ貴重な経験だった。

「憑依」
これは今でもよくする。

今から観る映画、せっかくお金を払うのだから、良いものを観たい。
であれば、その作品に確実に感動するキャラに憑依してしまえば良いのである。
2000円、安すぎる、そう思えば充実。

つまり、毎日楽しく生きたい、だったら確実に楽しいと思うキャラに憑依してしまえばいい。
多幸感に包まれたい、育児をしている自分に酔いたい、この人に愛されたい、日々老化している自分を認めたくない、最悪な職場だが行かなくてならない、
色々あるけれど、「憑依」は自分を生きやすくさせてくれるひとつの手段。

あれ、私の素ってなんだったっけな。

終わり








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