統合失調症に翻弄される人生④入院2
かなりトキが空いたけど続きを書こうと思う。
前回の③では私が社会人になり、母の最初の発病、そして入院。
入院先が遠方だったので、私はとりあえず日常に戻った。
それから一年くらいで退院すると連絡があった。
よく覚えていないが迎えに行ったりとかそういうことはしなかった気がする。
その直後、兄は結婚。
結婚式は退院したすぐ後で、色々と気掛かりだったが、無事に終わった。
その次の発病は1年も経たないうちにすぐきた。
キッカケはなんだったのだろう。
この時にわかったのは、母の病気には必ずターゲットがいる。
兄だった。
兄に対して執拗な嫌がらせをしていた。
自分が産んだ子供なのに。
まあ、病気なので仕方ない。
躁状態、極悪人。街にいたら絶対関わりたくない人。
こんな状態。
兄が自宅に呼んで少し滞在させていたが、限界だった。
お嫁さんも辛かっただろう。
また遠方に入院させに行く、というのも無理だった。
そこで色々と調べて行き着いたのが、国がやっている精神医療センター。
そこなら一見でも入院させることができると。
車でそこに行く道中も大変だった。
センターに着くと色々な手続きがあったが、その場で入院させてくれた。
医師はおそらく驚いていた。
こんなにも酷いのに家で診ていたのですか?的な。
閉鎖病棟に初めて入った。
刑務所の方が全然マシじゃん、という空間。
360°剥き出しのコンクリートに鉄格子、拘束具がフルで設置してあるベッドに、洋式便器。
これだけ。
ドラマや映画でしか見たことのない昭和の牢屋、そのまんま。
しかも早速両手両足ベルトで縛られた。
人権ってなに?
精神病患者にそんなものはないのか?
でも
「こんなところに居させるなら私が面倒見ますから!」
とは絶対言えない。
とりあえずこの牢屋に入れるしか方法がないので、そこに入れ、私は仕事が休みのたびに牢屋に面会に行った。
気狂いから徐々にマシになっていく。
その過程を見た。
そして、1年おきにこれが起きるのはかなりキツイ。
普通の仕事はできないのでは?
そんなことを考え始めた。
そして私はファッションの会社を辞めることにした。
この頃交際している男性たちは何故か、生活の面倒を見てくれる人が多く、家賃は全額、そのほかも何でも払ってくれていた。
なので、生活に対しての不安はなく、なんとかなるだろうと思った。
牢屋から一般病棟に移り、順調に回復、やはり1年ほどでそこを出ることができた。
病気なのだから治療すれば治る、当然の流れ。
その後から、これは頻繁に起こることだ、兄とそう確信して、実家近くの入院設備のある精神病院に定期的に受診させることにした。
そしてこの頃私は向島に身を置いた。
翁との出会う。
その次の発病がまた大変だった。
でも翁がついていてくれたからギリ大丈夫だった。
またそのうち書きます。
精神疾患に苦しんでる人々へ
病気なので治療すれば治ります。
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