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統合失調症に翻弄される人生⑤ちなみに

何名の方が読んでくださっているかわからないが、このシリーズは悲観的なものでは、ない。

え、どう見ても可哀想な人々の話じゃん、そう思うだろう。
確かにそうともいえる。
精神病に翻弄される1人の女。そしてその家族。

そうなんだけど、結果的に私たちは平和に楽しく暮らしている現在がある。

母の病気を知った時、私は想像した。
ボサボサの頭でボロボロの服を着て、更に酷い身なりの老婆とアテもなく彷徨うホームレス母娘の姿を。
自分の行末はこうなるのだろうか。
その想像では当然年老いた私も気が狂っている。

でも、違った。
母は今ボランティアをしながらほどほどに身体を動かし、大好きな草花を愛で、楽しく生活している。
父のおかげで金銭的な心配もない。

私は結婚をして子供を産み、なんだかんだ普通の暮らしをしている。
夫は常に私のことを気にかけてくれている。
ボサボサの頭は同じか。

つまり、この話で伝えたいのは、重度の精神病を持って生まれても、人生の途中でソレになってしまっても、適切な治療を受ければ治り、楽しい人生が待っているのだから、悲観しないで欲しい。
コレにつきる。

劣悪な環境におかれて絶望しても、ギリ生きていればやがて図太くなり、気にならなくなる。

キラキラなど目指さなくていい、キワで十分。

母は翁に常に気にかけられ、翁は易者を呼ぶと必ず母の運勢も聞いた。
「どうにかして、人生もうひと花咲かせてやりたいわねぇ」
そう言う。

母と翁が初めて対面したのは私が出産したとき。
面識のない伝説のヤクザから気にかけてもらえるなんて、そうそう無い。

母はよく言う
「私にしては上出来な人生だね」

そう、それで良い。

精神疾患とは、辛い。
ならなきゃわからないことだらけ。
怠けでもめんどくさい人でも何でもなくて、脳の病気。
だから治る。

家族の私はというと、幼い頃にそれを目の当たりにして、差別的な考えを持たなくなった。
弱い人の力になりたいと思った。
身なりやその人を取り巻く環境でそれらを区別してはいけないと思った。
困っている、おそらく困っている、誰かがそう感じたら違ったとしても率先して助けるようになった。
嫌われるかも、うざがられるかも、そんなことはどうでもよくて、なんでもいいから困窮している人の役に立ちたいと思った。
人の苦しみを共感できるようになった。

若い時、数ヶ月おきに貧困国のスラム街に沢山行った。
その時の出会い、経験、それは私の「良い部分」を作った。
もちろん「悪い部分」も無限にあるがそれはとりあえず置いておく。

つまり、母が精神疾患だったおかげで、私は人を平等に見れる人間になれた。

公共の場で奇声をあげたり、明らかにおかしい人がいる。
その人はなんらかの事情で治療を受けれていないだけ。
多くの人は嫌な顔をして避ける。
私はその多くの人と同じマインドにはなれない。
何かできることがあればしたい。
場合によっては話しかける。
私はそんな自分が好きだ。
話しかけて殺されたらそれはそれで良い。

この話が誰かの希望になれば私はとても嬉しい。

というちょっと脱線した話。

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