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月刊『抽象的な歩き方』

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様々なフリー切符や長旅に出た記録の置き場。
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2023年8月の記事一覧

ACT.47『本当の洗礼は』

ACT.47『本当の洗礼は』

山線との別れ

 長万部に到着した。
 この駅は、C62形急行ニセコの時代に重連が切り離された駅であり、この駅からC62形急行ニセコは重連を解放して本務機と客車だけを従え、連絡船の待つ函館に向かっていたのだ。
 そして、そんな函館まではあとこの場所から100キロ近くある。この旅路では北海道の中で最も南の都市として長万部の街に訪れた(中継地点としてであったが)のだが、それでもまだまだ道南の街は遠い気

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ACT.46『変わる山線へ』

ACT.46『変わる山線へ』

駅周辺と新幹線

 前回も記したように、この倶知安の駅周辺には現在非常に新幹線の建設に向けた動きが盛んである。新函館北斗から延伸された札幌に至る北海道新幹線の延伸線路は現在の函館本線は山線の経路と同じような経路を進行し、この倶知安で乗客を出迎えるのだ。
 その事に関しては、また後ほどにしておこう。
 六郷駅の胆振線跡を自転車で出発し、再び倶知安の大通りに出た。この大通りが倶知安のメインストリートと

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ACT.45『羊蹄山の眼下』

ACT.45『羊蹄山の眼下』

新幹線建設の忙しさ

 倶知安の駅にまず降りて感じたのは、この駅の周辺が新幹線家延伸への来る時期に向かって次々に開拓されている事だった。
 その事は手に取るようにじっくりと伝わり、駅の忙しない状況を感じさせてくる。この鉄路に関しては廃止説や貨物転用など、様々な議論を交錯させているがどの結論にて終止符を叩き付けるのだろうか。
 この倶知安駅で下車したのには理由がある。この駅にも、自分の憧れたものがあ

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ACT.44『ピストルは鳴らされた』

ACT.44『ピストルは鳴らされた』

港町を離れる

 遂に、小樽市を離れる時が来た。山陰本線の綾部付近で事故遅延し、20時間以上かけて到着した北海道最初の街。そして、カモメが鳴き鉄道の起源や歴史を感じ、多くの優しさや人々と交流した街。そんな小樽から離れる時が来た。
 自分の宿泊した区画…ゲストハウスでの宿泊だったが、自分の宿泊した区画は自分しか寝ていなかったので、(2段ベッドが4つほどあったのに)悠々と目覚ましのアラームを設定しその

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ACT.43『序章』

ACT.43『序章』

流れ着いて

 小樽市でそのまま一泊する事にした。倶知安方面なども考えて宿を調べたが、そのまま小樽市に滞在。南小樽から徒歩15分圏内の銭湯ゲストハウスに宿泊した。
 という事で、小樽駅方面に向かう中央バスに乗車。そのまま乗車していたのだが…
 気が付いた時には小樽駅のバスターミナルホームにバスが斜め付けされており、自分が疲れてというかクタクタになって寝ている状態だった。
 と、小樽駅からこの先3つ

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ACT.42『小樽科学と交通の深淵に』

ACT.42『小樽科学と交通の深淵に』

機関車の繋ぐ絆

 …皆様。もうそろそろ、この話も終了と致します。本当に長引いてしまった事を先に一先ずお詫びさせて下しぃ。(まずはキミの纏める能力だろう)
 さて。小樽市総合博物館の館内をじっくり見ていると、館内を勇壮な汽車が走行している。この汽車の名は、『アイアンホース号』。北海道とアメリカの絆によって導入された蒸気機関車だ。
 この機関車は、アメリカのポーター社が製造した機関車である。生まれは

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ACT.41『人口10万などは』

ACT.41『人口10万などは』

北の大地の鉄道始まりの場所に

 この小樽は、前記事でも記したように北海道最初の鉄道、幌内鉄道と深い縁を持つ場所でありアメリカからのお雇い外国人、クロフォードの尽力が大きく貢献された場所である。
 そして、そんな場所だからこそ…と鉄道の歴史や鉄道の保存にも熱心だ。この場所にはED75-501の準鉄道記念物指定車両以外にも、鉄道の歴史に大きくその足跡を残した他、鉄道の歴史や車両をじっくりと学んでいく

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ACT.40『小樽の魂を感じて』

ACT.40『小樽の魂を感じて』

歴史的建造物の多さに

 北海道の中でも、特に小樽という街は歴史的建造物の多さが非常に目立っている。
 駅舎が準鉄道記念物指定の120周年の歩みを経た伝統ある敷地…なのは当然の事実として、実は街中にも歴史的な歩みを多く経た建物が存在している。
 冒頭の写真に掲載した、『日銀小樽支店』もその1つだ。この建物は、宿泊したゲストハウスから徒歩5分圏内だったのでスグに向かう事が出来た。(しかし道には迷った

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ACT.39『待ちきれずに行ってみた』

ACT.39『待ちきれずに行ってみた』

小樽駅から始まる朝

 宿泊したゲストハウスのチェックアウト時間が遅めに設定されていた事に少し甘えていた…と言うのもあるが、山陰線の綾部付近で発生した竹倒壊の事故の影響を受けて道内フリーきっぷの日程が少し前倒しになっていたので、今回はそれも兼ねてチェックアウトまでの時間を朝の鉄道で過ごす事にした。
 駅内に入ってから撮影したのは、733系同士の連結写真である。
 このタイプは735系だったろうか、

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ACT.38『放蕩航海、北海道』

ACT.38『放蕩航海、北海道』

起床、イベント、満喫

 行きの東舞鶴から乗船したフェリー内では、体力が序盤で緊張していた事、そして初の北海道に向かう状態という事で身体が硬くなっていたのかかなり船内を探検したり放浪したりしていたと思う。側から見れば、その行動は
「落ち着きがない」「態度がなっていない」
と叱りを受けてしまう状況にあるのかもしれないと今更にながら思う事がある。
 発達の障害、疾患と共に生活を送っていく中で自分は医師

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ACT.37『2度目に賭けて』

ACT.37『2度目に賭けて』

挫けず小樽を見据えて

 自宅に一時帰宅してからは、食料の再管理や宿の調整、そして再び日程をどうするか…などの様々な行程の調整にも追われており、マンガと睡眠で完結している状況とも偏に言えなかった状況だったのである。
 と、再び身支度して亀岡から同経路・同列車にて再び東舞鶴に向かう。東舞鶴付近で京都丹後鉄道の旅をして時間の経過を見過ごしても良かったのだが、それだと只々金銭を浪費してしまう羽目になって

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ACT.36『半ばにて』

ACT.36『半ばにて』

軍港の街からの帰還

 さて、東舞鶴にて抑止を食った状態になってしまった自分だったが、過ごし方に悩んでしまった。
 新日本海フェリーの方には
「16時以降に戻ってきてください」
との指示を受けていたが、結局その時間をどうして潰すかに悩んだのである。
 その時間を、京都丹後鉄道の撮影に費やしても良いし舞鶴の周辺観光をして暇を潰すのも良いし。自分としては悩む判断であった。
 と、結局自分が選んだ選択と

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ACT.35『北海道上陸作戦…?』

ACT.35『北海道上陸作戦…?』

北の大地を目指すなら

 ある事情があり、自分は1週間近い北海道遠征に出る事にした。今だからこそ書ける、残せる事になるが本当に送り出してくださった皆さんと家族には感謝だ。お土産もその関係者や友人にはしっかりと購入している。
 しかし。京都から北海道を目指していくにはすっかり遠くなった印象がある。何年か前になってしまうが、寝台特急・トワイライトエクスプレスが走っている状況であれば自分は取り敢えず予約

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