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アクセスの多い記事

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全体ビュー(全期間)でアクセスの多い記事を集めました。アクセスの多い順に並べてあります。
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#熟成下書き

人間椅子、「人間椅子」、『人間椅子』

人間椅子、「人間椅子」、『人間椅子』

 今回は「立体人間と平面人間」の続きです。それぞれが別の方向をむいた言いたいこと(断片)がたくさんあり、まとまりのない文章になっています。申し訳ありません。

 お急ぎの方は最後にある「まとめ」だけをお読みください。

人間椅子から「人間椅子」へ
 江戸川乱歩の『人間椅子』の文章は朗読に適していると思います。音読してすらすらと頭に入ってくる文体で書かれているのです。特に難しい漢語が使われているわけ

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辺境にいる 辺境である 

辺境にいる 辺境である 


テリトリー、外、内、辺境
 昔の話です。

「仏文学は澁澤龍彦、独文学は種村季弘(たねむらすえひろ)、英文学は由良君美(ゆらきみよし)」――そんなふうに、一部の人たちが口にしていた時期がありました。

 三人に共通するのは、博覧強記というところでしょうか。在野、アカデミックな場と、身を置く場所は違いましたが、それぞれが持ち味を生かしながら、いいお仕事をなさっていました。

 澁澤龍彦 - Wik

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読みやすさについて

読みやすさについて

 今回は、「読みにくさについて」に引き続き、執筆中の記事の一部を独立させて、先に投稿することにします。これは体調が良くないための措置で、全体を一気に書こうとして無理をしないようにとの配慮からです。

 現在執筆している記事のタイトル(仮題)は「sense・意味・方向、order・順序・序列、space・空間・空白」です。前回の「読みにくさについて」では「sense・意味・方向、order・秩序・序

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エッセイ、一人称の小説、三人称の小説

エッセイ、一人称の小説、三人称の小説

 今回は、古井由吉のエッセイと小説を紹介します。

 前回の記事でお知らせしましたように、しばらくnoteでの活動をお休みして読書に専念するつもりでいたのですが、気になる下書きが複数あるので、ペースをうんと落として投稿する方向に気持ちが傾いてきました。ふらふらして申し訳ありません。

◆雪の描写
 古井由吉が金沢大学の教員として金沢に住んでいたころを回想した文章を読んでいて、感動したことがあります

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立体人間と平面人間

立体人間と平面人間

 今回の記事は、「立体、平面、空白(薄っぺらいもの・05)」と「「タブロー、テーブル、タブラ(『檸檬』を読む・02)」」の続きです。

◆立体と平面 自分には立体の時と平面の時があるような気がします。正確に言えば、自分を立体として意識している時と平面として意識している時があるのです。

 入浴中なんかは自分が立体だとつくづく感じます。なにしろ自分の体を自分の手を使って洗っているのです。自分の手の皮

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わける、はかる、わかる

わける、はかる、わかる

 本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)

     *

 今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。

 どの文章も愛着のあるも

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読みにくさについて

読みにくさについて

 ある記事を書こうとしていて、ある部分が長くなってきたので、そこだけを記事にすることにしました。以前なら多少長くなっても強引に記事にしたのですが、このところ体力が落ちているので、無理をせずに別の記事にします。

文章の特徴
 蓮實重彥の文章を読んでいて感じる特徴はいくつかありますが、なかでも私が目を惹かれるのは以下の四つです。

1)音声化できない文章の要素である約物の使用。

⇒「立体、平面、空

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出す、出さない、ほのめかす(『檸檬』を読む・01)

出す、出さない、ほのめかす(『檸檬』を読む・01)

 梶井基次郎の『檸檬』を読みます。引用にさいして使用するのは『梶井基次郎全集 全一巻』(ちくま文庫)ですが、青空文庫でも読めます。

     *

『檸檬』で檸檬という果物の色はどのように描かれているでしょう? 

「レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。」(『梶井基次郎全集 全一巻』(ちくま文庫)p.17・ルビの省略は引用

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音読・黙読・速読(その1)

音読・黙読・速読(その1)

 今回から三回に分けて「音読・黙読・速読」という連載をします。

黙読しやすい文章
 漢字が適度に使われている文章は黙読しやすい気がします。読むというよりも、見て瞬間的に意味を取るのに漢字が適しているのは、もともとが象形文字だったからでしょうか。

 形を音に変換してその意味を理解するのではなく、形で直接意味が理解される回路が頭の中にできているように思えます。

 フォトリーディングという言葉を聞

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ぺらぺら(薄っぺらいもの・02)

ぺらぺら(薄っぺらいもの・02)

 今回は「薄っぺらいもの・01」の続きです。

 いま私は薄い液晶の画面に表示されている自分の書いた文字を見つめています。

 と書きましたが、半分は正確ではない気がします。

「薄い」は「ある程度(そこそこ)厚みのある」という感じで、「自分の書いた」は「自分がキーボードのキーを叩いて入力した」であり、「文字」は利用しているサイトが用意した活字といういうべきでしょう。

 細かいことを言っています

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薄っぺらいもの・01

薄っぺらいもの・01

 世界は薄っぺらいものに満ちています。薄っぺらいのに厚いものに、です。

 薄いと厚いは矛盾しません。辞書を開くと、短い見出し語に長い語義や説明や例文があるのと似ています。

 短いほど長かったり長いほど短かったりするのですが、目をうんと細めて見ると、よく見えます。

 ぎゃくに目を大きく開くと、見えすぎて見えなくなり気付きません。

 薄いは厚い。長いは短い。小さいは大きい。見えるは見えない。

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鏡、時計、文字

鏡、時計、文字

「わける、はかる、わかる」への投稿後の加筆が、かなり大幅なものとなってしまったので、加筆した二つの文章を独立させ、新たな記事にしました。ふらふらして申し訳ありません。

「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」は蓮實重彥の文章にうながされて書いたものであり、「「鏡・時計・文字」という迷路」は古井由吉の『杳子』の冒頭における杳子と「彼」の出会いの場面について書いたものです。

 私は古井由吉の作

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「かける」と「かける」(かける、かかる・03)

「かける」と「かける」(かける、かかる・03)


かけるとかける
 かけるとかける。
「かける」と「かける」。

 上のフレーズは「AするとAする」と読めば、「Aすると(その結果)Aする(ことになる)」とも、「「Aすること」と「Aすること」」とも読めます。

 いずれにせよ、前者と後者は別物でなければなりません。

     *

 かける、掛ける、懸ける、架ける、賭ける、欠ける、駆ける、翔る、駈ける、掻ける、書ける、描ける、画ける

「かける

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書いた言葉はどこに行く

書いた言葉はどこに行く

 今回は「2022年1月1日」に投稿した記事の再掲です。文章の勢いを生かすために、加筆は最小限にとどめています。

自分の書いた言葉たちは、どこに行くのでしょう? 
 ネット上で文章を公開しているとよく考えます。note で下書きをつくり、それを投稿したとたんに、あなたの目に触れることになります。あなただけではありません。不特定多数の人に読まれる可能性が生じます。一瞬に、ですよ。

 自分の書いた

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