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書いた言葉はどこに行く

 今回は「2022年1月1日」に投稿した記事の再掲です。文章の勢いを生かすために、加筆は最小限にとどめています。


自分の書いた言葉たちは、どこに行くのでしょう? 


 ネット上で文章を公開しているとよく考えます。note で下書きをつくり、それを投稿したとたんに、あなたの目に触れることになります。あなただけではありません。不特定多数の人に読まれる可能性が生じます。一瞬に、ですよ。

 自分の書いた文章が人目に触れるなんて、印刷しか手段がなかった時代にはずいぶん時間がかかったはずです。

 そもそも個人の文章が他人の目に触れるのは稀な出来事だったにちがいありません。手紙くらいのものではなかったかと想像します。手紙だと一対一の関係です。

 まして不特定多数の人たちになんて。まして一瞬になんて。大昔の人なら、これを魔法と言うでしょう。私たちは魔法の世界にいるのです。

     *

 公開設定をして文章を投稿した、目の前のパソコンなりスマホの画面が、自分の書いた言葉の誕生した特別で、かけがえのない場所だと思いがちです。

 でも、よく考えるとその画面は世界中にある画面のひとつにすぎないことに気づきます。ありふれたものの一つ、つまり one of them なのですが、この them はおびただしい数になるでしょう。

「星野廉 note 言葉」でネット検索をすると、一瞬のうちに「言葉」の出てくる私の note がヒットするのですが、その文書はどこから来たのでしょう? 

 不思議でなりません。検索して呼び出すまで、どこに行っていたのでしょう? 

 帰ってきたのではない気がします。これを「帰ってきた」なんて、とてもじゃないけど言えそうもありません。以前に自分が送り出したものなのに、です。

「わが子」とか「分身」のイメージではありません。「他人」のような気がします。

あなたの書いた言葉は、どこに行くのでしょう?


 PCやスマホで文章の下書きをつくっていて削除することがありますが、あれは消えてしまうのですよね? 

 一瞬のうちにですよ。仕組みは分からないのですが、キーボードである操作をすると削除した文字列が復活することがあります。

 でも、もたもたしているとそれもできなくなり、もう会えなくなります。またちゃんと覚えていて同じ文字列を入力すれば出てきますが、さっきの文字列とはもう会えません。

     *

 自分が消去した文章が宇宙のどこかでぷかぷか浮いている気がする――。そんな意味のことを書いていた作家がいました。

 一回じゃなくて、四、五回くらいですが(いや、もっとかな?)、noteを退会して投稿した記事をぜんぶ削除したことがあります。自分なりに、のっぴきならぬ事情があってやったことなのですけど。

 それはさておき、一瞬のうちに全記事が消えます。あっけないですよ。頭も空白になります。二、三日は魂が抜けたようにぼーっとしていました。

 後味が悪いだけでなく、悲しいのです。自分の書いた言葉たちが消えるということは、人にとって大きな喪失感をともなう出来事であり、個人的には事件なのかもしれません。

 公開している記事を削除したいなら、全記事のバックアップを取っておくことをお勧めします。小心者の私のように。

(まさに、この記事がそうなのです。バックアップから復元したものに加筆しています。)

私の書いた文章は、どこへ行くのでしょう?


 そもそも私がnoteに来たのは、お墓をつくり直すためでした。

 十四年ほど前に一年間くらいかけてブログ記事をほぼ毎日書いていて、そのバックアップを電子書籍化し置いておいたサイトがありました。いわば私の書いた文章のお墓です。

 もう書かないつもりだったのです(じつのところ、そのブログを削除して以来十年間ほどは、何も書いていませんでした)。

 そのサイトを持つ会社が身売りすることになったので、あわててお墓を移そうとして、あちこち探して、ここにたどり着いたというわけです。そして過去のブログ記事を再投稿しながら新しいお墓をつくっているうちに、書き下ろしの記事も投稿するようになりました。

     *

 それにしても、ネット上の「お墓」は永久にあるものではないと、その当時は痛感しました。

 ここはどうなんでしょう? 

 ちゃんとバックアップを取っておいて、PCのハードディスク内とか、USBメモリーで手元供養も同時にしておけば安心かもしれません。

 でも、誰が読むのでしょう? 

 誰が読んでくれるのでしょう?

私たちの書いた言葉たちは、どこに行くのでしょうか?


 言葉は借り物です。誰もが生まれたときに、すでに言葉があり、それを借りてつかっているわけです。借りたといっても、ふつうは返す必要はありません。

 自分の書いた言葉がどこかの誰かに、移ったり、写ったり、映ったりして、誰かの中でその人の言葉になる。こんなことがあれば素晴らしいですよね。

 比喩的な意味での結合とか結婚みたいじゃありませんか。顰蹙を買いそうですが、愛のいとなみを連想してしまいます。

あなたや私やみんなの書いた言葉たちは、どこへ行くのでしょう?


 私の書いたこの記事があなたの端末の画面に映っているさまを、いま想像しています。

 それもいつか消えるのでしょうが、消えればきっと宇宙のどこかでぷかぷか浮いている。あなたの書いた言葉たちといっしょに浮いている。みんなの書いた言葉たちといっしょにぷかぷかふわふわ。

 そんなさまを思いえがいています。

 みなさん、今年もよろしくお願いいたします。

     ◆

 以上が再掲の記事です。

 投稿したのは、2022年の元旦でした。この記事のあったアカウントはいまはありませんが、バックアップに残していてよかったと思います。

 ちなみに、アカウントを退会した以上、上で引用した記事はもうネット上にはないもようです。

 ――いや、もうあるにちがいありません。でも、どこに?

 いずれにせよ、ネット上では投稿と複製と拡散と保存が、ほぼ同時にかつ瞬時に起きているようです。でも、そんなことが、いったいどこで起きているのでしょう?

     *

 二年経ちましたが、いまだに謎です。解けない謎と言うよりも、解きたくない謎なのかもしれません。

 この不可解で不気味でさえある不思議さ――決して嫌いではありません。慣れ親しんだからでしょうか。

 居心地がよくて、みょうに懐かしいのです。それでいて殺伐としてもいます。何かに似ているなあと考えていて、はっとしました。この世界にそっくりなのです。

 それはそうなのですけど、ここは、どこなのでしょう?

 みなさん、今年もよろしくお願いいたします。


#noteのつづけ方 #インターネット #文字 #言葉  


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