#俳句幼稚園 手のひらに小さく灯る檸檬かな 手に軽き心に重き檸檬かな 迸る血潮のごとき檸檬噛む 秋の季語 檸檬に寄せて詠んでみました。 二学期が始まりますね、レモンの輪切りの砂糖漬け、出掛ける前に一枚食べると夏バテ予防になりますよ。
五回に渡ってお送りしてきた文芸学習の『檸檬』が終了しました。詩と物語の融合、檸檬の正体、芸術の牢獄から解放される爽快感など、短くとも読みどころの多いこの作品を徹底的に読み込みました。文学を学ぶのに最適の作品です。ぜひお読み下さい。 https://note.com/yamadahoshihiko/m/m53ff7473c5ba
長めの記事(梶井基次郎)を載せた後なので、 「今日のひと言」は数日お休みさせていただきますm(__)m 「今後こんな作家のことばも!」みたいなリクエスト等ございましたら、コメント欄にお気軽にどうぞ(^▽^)/ 店主
梶井基次郎の「愛撫」を読んだ。感無量だ。 筋のない詩的叙情に満ちた短編小説では梶井の右に出る者はいないだろう。 初期、中期の芥川は悪い言い方をすれば「小細工」をするが、梶井はしない。 晩年芥川は詩や風景画のような小説を書こうとしていた。 梶井基次郎の短編のように。
昨日は、昼に「百年の孤独」読んで夜に安部公房の「箱男」と梶井基次郎を少し読みました。頭がカオスになるかと思えば、逆にすっきりします。ガイブン、日本のシュールレアリスム、日本の古典と棲み分けされているせいですね。どれも面白いけど文体は梶井基次郎だなあ。
梶井基次郎の『檸檬』を15年ぶりぐらいに読み直す。最初に読んだのは高校の教科書でだった。年月が経って読み返してみると、セザンヌのような西洋の絵描きや、映画監督のような眼差しで事物を描写しているところが面白い。若くして亡くなってしまった梶井さん、お主もやるなあ。
無情の隙間から端然と咲く佇まいに、ある一節が重なった。「一体どんな樹の花でも、所謂(いわゆる)真盛りという状態に達すると、あたりの空気の中へ一種神秘的な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽(こま)が完全な静止に澄むように」梶井基次郎「桜の樹の下には」より